「ガルパンはいいぞ」に対する個人的態度

 「ガルパンはいいぞ」は同調圧力かどうかについて、ぼくの経験のみに基いて述べます。

 

 劇場版公開後、あちこちでこの一言感想を目撃しました。「あちこちで」というのは、例えばぼくがついったーでフォローしている方々がご自身で呟いたとか、日参してるサイトで語られてたとか、ではありません。まとめサイトなどでいろんな人達の呟きが転載されてたり、ついったーのRTで流れたり、そういうので何度も目にする機会があったということです。

 まずこの時点で、ぼくにとっての身近な方々からの同調圧力はなかった、と言えます。だってほとんど誰も「ガルパンはいいぞ」って書かないんだもん。逆にまた、これを言ってはならないというような圧力も感じませんでした。どちらの側にせよ同調圧力を自覚的・無自覚的にかけてくる人がそばにいないというのはありがたいことです。もっとも、ぼく自身がそういう人を避けている結果でもありますし、むしろぼくが周囲に圧を加えている可能性は残ります。

 

 とはいえ、あれだけ「ガルパンはいいぞ」が流行し、とくに(1)この単純な感想に批判的な呟きを流す(2)劇場版を観てくる、と呟く(3)鑑賞後に「ガルパンはいいぞ」と呟く、という3段オチのパターンが繰り返されると、その新味のなさに飽くとともに、なんとなく「世間」の同調圧力めいたものを感じなくもありませんでした。べつに特定の誰かがそう強制しているわけじゃないんですが、「この一言でわかるよね」「わかるー」という身振り・クリシェとして広がりつつあるな、という印象をもったのです。

 この一言が、例えば作品の劇場版やテレビシリーズについて多様な感想・意見をもったファン達がその相違を超えてつながるための挨拶として機能しているのであれば、それはそれで結構なことだと思います。また、劇場版をまだ観ていない人達にネタバレしないため、あえてシンプルな一言だけで感想を伝えていたのであれば、これもまた温かい配慮と言えましょう。たとえそうでなくとも、個人の感想はその人が素直に感じたままの言葉である以上、他人によって優劣をつけられるものではありません。さらにファン発のキャッチコピーとしても、かなり有効だったのではないでしょうか。

 しかし、ぼくが受けた印象ではこれらに加えて、劇場版を全肯定する以外の態度を認めないような雰囲気が作られつつあるのかな、という漠たる危惧がそこにありました。思い込みかもしれませんが、これはちょっと怖い。内輪意識というよりもその安易な思考停止の見せかけが。

 もちろん、よいところを具体的に示してくれる人も決して少なくなかったことは事実です。劇場版の感想をネタバレ込みで綴られてるサイトをぼくも鑑賞後にいくつか拝見しましたが、そのほとんどは完全な賞賛であり、批判的な感想の持ち主はぼくの見た範囲内でお一人だけでした。ではぼくはといえば、すでに感想を公開しているとおり、鑑賞時に少なからず不満を抱いたのです。

kurubushianyo.hatenadiary.jp

 

 これを書くとき、普段以上に気をつかったように覚えています。「ガルパンはいいぞ」勢から短絡的な反発を受けないように、という想像上の多数派に対する警戒心。書き出しがえらい慎重なのはそのせいですね。へいへいびびってるよ自分。

 しかしたとえ腰が引けてるとしても、劇場版を鑑賞して感じた引っかかりはごまかさずに言葉にしないと気がすまないたちですので、これはどうなの・ああしてほしかったという意見はそのまんま書きました。「ガルパンはいいぞ」の連鎖が一部の受け手にとってあたかも同調圧力のように感じられるとしても、それを理由に自分の正直な気持ちを表現することをためらってしまうならば、そこに本当の同調圧力が生まれてしまうからです。つまり、ぼくが自らを被害者に仕立てることで、印象にすぎなかった同調圧力を実在化させてしまうと同時に、ぼくが沈黙するというその行為によって同調圧力に加担してしまう、というわけです。それに今までぼくはネット上で好きな作品に向き合うときに嘘をつかないという姿勢を貫いてきましたので、これを枉げるわけにはいかないのです。

 だからぼくは自分の感想を綴りましたし、これを読まれた方が「じつは私も別の感想を抱いてて」と今まで黙っていた言葉を紡ぎだすきっかけにでもなれば、それはそれで結構なことだと思います。どちらが多数派になるかという勢力争いのためではなく、多様な意見を安心して語り合い聴き合うことのできるファンダムこそがファンにとっても作品にとっても健全だと信じるからです。もちろんそれはお互いへの批判を否定するものではありませんし、仲間の意見に同調することを排除するものでもありません。

 

 というわけで、劇場版感想はそのように綴り、またその一方でテレビシリーズの各校考察は順次進めるという具合に、ぼくは作品への感想・解釈をそれぞれ表現してきています。劇場版についても考察形式でやがて語ることになるでしょう。ただ、それだけでは「ガルパンはいいぞ」の過剰な流行に対するぼくのむずむずした感覚を消化しきれないな、と予感したため、先日は黒森峰考察の基礎づくりのついでとしてこのフレーズをちょいと揶揄しました。

kurubushianyo.hatenadiary.jp

 

 これで個人的にはすっきりしましたし、あとはぼくの近辺で「ガルパンはいいぞ」の声が聞こえたら、その声そのものは否定せずに「どのへんがよかったの」と尋ねることにします。だって具体的な話を聞けば、ぼくの気づかない作品の魅力を教えてもらえるかもしれないじゃないですか。そしてぼくはぼくで、自らの言葉で語り続けるつもりです。流行りの言い回しが消えた10年後も20年後も、自分の全力を投じた文章が作品の素晴らしさとぼくの作品愛を伝えてくれるように、と。