映画版はときゃち感想

  まとまった感想は一度も書いてなかったので、このさい『ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー…ですか!?』感想を。以下ネタバレです。

 

 ぼくはプリキュアシリーズを初代からずっと視聴し続けている大きなお友達の1人ですが、中でも好きなのが『ハートキャッチプリキュア!』。TVシリーズのDVDを揃えている唯一の作品であり、本編放映時にはプリキュアと敵幹部それぞれの主張の是非をめぐって考察を2本書いたくらい入れ込んでました。(「『ハートキャッチプリキュア』 堪忍袋の緒が切れるまで」「『ハートキャッチプリキュア』 ここらが正論の限界よ」)その映画版である『花の都で…』も、お気に入りの作品となっています。

 上映当時は、その作品そのものの評価と並んで、対象年齢の幼児さんたちに理解できるのか、とか、ミラクルライトを振るタイミングがわかりにくい、とかいった批判も指摘されてました。ぼくもそれらは頷けるところですし、幼児さんたちには大きくなったときにもう一度観てもらえれば、と思っています。たぶん、あの頃に気づかなかったことに気づくはず。そしてまた、ぼくなどは子供の気持ちでこの作品を楽しむことができないわけですから、子供が子供として楽しんだことはそれ自体が尊いものだと感じます。ぼくがここで書く内容は、作品にこんな深みがあっただの子供には難しいだのという上から目線じゃなくて、たんに1人のプリキュアファンがこう理解して楽しんでます、というだけのお話です。

 

1.オリヴィエについて。

 

 この作品は、映画オリジナルキャラの少年オリヴィエ(ルー・ガルー)の視点からつぼみたちを捉え直すことで彼女たちの魅力を新たな姿で描くものですが、物語の柱はオリヴィエ自身の問題がプリキュアたちとの関わりを通じてどのように解きほぐされていくかにあります。

 後にオリヴィエという名を獲得するこの少年は天涯孤独の生まれで、たまたまサラマンダー男爵と出会ったせいでこの恐るべき魔物を解き放つことになり、また同時に彼と出会ったおかげで拠り所を得ることになりました。狼男(ルー・ガルー)としての能力を男爵から与えられた少年は、たえずこの分裂した二面性のなかに生きてきました。男爵は少年に生きるすべとよすがを与えてくれますが、しかしそれは男爵が少年を自分の目的(プリキュアへの復讐)のための道具として利用することでもありました。

 とはいえ、男爵に連れられて旅に出た当初は、純粋に嬉しかったんだわけですよ。少年にとって初めての自分をかまってくれる他者であり「父さん」なんですから。能力を与えられ厳しい修行を課されても、それはそれで男爵の役に立てるように頑張ろうという自らの意志に支えられていた面があるでしょう。しかし、物心ついて男爵の執心にも理解が及ぶようになり、少年自身が男爵に対する自分の欲求を自覚してくるにつれて、もはや以前のような有用な道具としての役割に満足できなくなっていきましたし、悪事をなすことにも抵抗を感じるようになりました。だからといって、男爵から受けた恩を忘れるわけではない。ないんだけれど、男爵の意志に素直に応えることはもうできない。でも男爵と正面きって争うのは嫌だ。狼男はその爪と腕力で敵を引き裂くのですが、当の少年自身は自らを引き裂いてしまっていたわけです。

 そこでやむなく、男爵の目的にとって必要不可欠な宝石を盗んで逃げ出します。他に手のうちようもないので、男爵が次のきわめて良からぬ悪事を決行できないように、と考えたわけですね。しかし、この行動は、男爵を牽制する消極的反抗であると同時に、自分が離れていったときに男爵がどんな態度に出るかを無自覚に試しているという面も持ち合わせています。あくまでも宝石を優先するのか、それともほんの少しでいいから少年の求めるところと向き合おうとするのか。まぁ少年もそれほど期待してなかったでしょうけれど、実際に男爵はルー・ガルーを冷酷に罰します。

 その逃避行のさなか、少年はたまたまつぼみと出会ったせいで足止めされ、また同時に彼女と出会ったおかげで男爵の攻撃から救い出されます。つぼみはお節介なことに仲間たちとつるんで少年をかくまい、あれこれとお世話を焼こうとしてうざがらせます。少年からすれば、何でこんなに自分のことをかまうのかが分からない。つぼみとの貸し借りはすでに片付ているし、彼女にとって自分は有用な存在ではない。もしかすると、つぼみは自分を弟的存在として有用に(姉ぶるのに都合よく)感じているのかもしれない。そうであれば、結局つぼみと男爵に違いはなくなっちゃいます。ただ、つぼみが男爵と決定的に異なるのは、彼女が自分に名前をつけてくれたこと。いえ、たしかに男爵も「ルー・ガルー」というあだ名を与えはしました。でもそれは道具としての名前にすぎない。つぼみは、少年の能力や有用性とは無関係な花の名前で呼ぼうとし、しかもそのとき少年が気に入ってくれるかをうかがってくれました。少年の意志を尋ねてくれました。つぼみは少年の意志を無視して閉じ込めてるようだけど、ここでは明瞭に少年の意志を認めて尊重しようとしてるんです。そして少年は、その名前を受け入れました。自分の意志で。だから、つぼみのお節介にためらいなく腹を立てたりもできたし、つぼみの華やかな姿を見て素直に首を縦に振れもしたのです。

 だけど、このことは、少年がルー・ガルーとオリヴィエとにますます引き裂かれることをも意味しました。つぼみたちとの賑やかな交わりのなかで、少年の闇は消えるどころかいっそう力を増してきます。それは、つぼみには見せたくない自分の面。ルー・ガルーの顔。駆けつけたつぼみの衣装を引き裂いてしまい、オリヴィエは激しい罪悪感と恐怖にかられます。つぼみに抱きしめられていくぶんほぐされたとき、オリヴィエはつぼみに助けを求めます。それは間違いなくオリヴィエの声。でも同時にそれは、ひた隠しに抑えこもうとするルー・ガルーの悲鳴でもあります。少年にとって狼男としての一面は、いまや打ち消したい過去の闇でありますが、しかしそれはやはり、男爵と共に過ごした日々の証でもあります。それを捨てることはできない。でもそれに立ち戻って生きることもできない。大切に感じるものをこうやって傷つけてしまう自分のありように、少年はいっそう引き裂かれていきます。やがて男爵と対決するとき、オリヴィエは自らの二面性を精算するために、自分の意志で男爵のもとに戻り、男爵から与えられた力を用いて彼の意志を挫こうとします。それは、少年がつぼみの生きる世界と男爵と過ごしてきた道のりとを、オリヴィエとルー・ガルーとを、必死にひとつなぎにしようとした精一杯の意志の表れでした。

 

 その少年と対峙するサラマンダー男爵もまた、少年と同じく引き裂かれた存在なわけですが。

 おそらく当初は少年を都合よく利用しようとしていたのでしょうけど、プリキュアへの復讐を目指す道中で、彼の心中にも少年への情愛、と呼んでよければそういうものが生まれていったのですね。そんな感情は明らかに砂漠の使徒としての自己否定を意味します。それを認めないためにも、ゆりの父親を堕落させるくらいのことは当然やる。ルー・ガルーにべつだん人間の名前をつけたりしないで、ひたすら道具として扱う。その一方で、自らの寿命がさほど長くないことも察知してますから、ますます少年に冷たくあたる。「もう、遅いんだ」という言葉にこめられているとおり、いまさら少年に情愛を注いだり、自分が消えてからのことを考えて少年に人間的な生活のすべを教えたりなんかできない。まぁしたくてもやりようがないのでしょうけど、だからこそプリキュアへの復讐に向かって邁進するほかありません。せめてそこで本懐を遂げて、少年と共に生きてきた日々に意味があったのだと独善的な納得を得られればよし。まことに身勝手ではありますが、砂漠の使徒としての自分と少年の共連れとしての自分とを無理矢理に結びつけなおすためにはーー言い換えれば、プリキュアへの復讐を目的のままにとどめ、少年との生活を手段のままにとどめておくためには、もうどうしょうもなかったわけです。少年との日々を目的にしちゃったら、何のために今まで頑張ってきたのかがわかんなくなっちゃうんです。

 少年がもう一段階こじれたら、サラマンダー男爵そっくりになったのかもしれません。

 

 そんな二人が、プリキュアに救われました。ルー・ガルーはつぼみに再び抱きしめられて。いいなー。今度の「助けて」は、自分だけじゃなく男爵のためでもあり。そして男爵は、オーケストラさんに一時は拮抗するというさすがのパウァを見せながら、よいこのみんなの応援を得たプリキュアによって浄化されます。しかし、元の姿に戻った男爵が口にしたのはプリキュアへの復讐。浄化できてないじゃん。

 でも、そんな男爵を見て、少年は腹の底から笑いました。男爵は懲りない、まったく度し難い。そして、次の機会のために、まだ生きるつもりでいる。復讐という目的に邁進した過去を捨て去って隠棲するのではなく、しかし再び派手な企みをすぐさま起こせるわけでもなく。たとえ心のうちでは、自分の限界を認識していくぶんおとなしく少年と共に日々を過ごすつもりかもしれませんが、そんなことはおくびにも出さない。実際には手段と目的が入れ替わった(というか、どっちも目的となった)日々がこれから続くかもしれないけど、そんなことはわかってはいるがわかるわけにはいかん。これが大人のメンツであり、面倒臭さであり、子供っぽさでもあり、可愛げでもあります。だから少年は、呆れもするし、腹もたつし、安堵もするしで、ぜんぶ一緒くたになるともはやすっきりと笑うほかないという。そんな少年自身も今後について男爵に自分の意志をはっきり伝えてるわけで、オリヴィエとルー・ガルーが、今までとこれからがしっくりと結び合わされました。この意味で、オーケストラさんはたしかに男爵を、そして男爵と少年との生を、浄化していました。

 

 もしかすると、数年を経ずして男爵は消滅してるかもしれないし、デューンが浄化されたときに男爵も一緒に力を喪失してるかもしれません(人間に戻りうるとしても寿命的にはやはり厳しいか)。だとすると、1人となったオリヴィエは今頃どうしてるのでしょうか。なんとなく、フランスのプリキュアを陰から助けてファントムに嫌がらせしたりと、こっそり活躍してそうな気がします。

 

2.つぼみ

 

 この作品のもう一つの柱は、つぼみがどれほど魔性の女か可愛いかを描くことにあります。よね。ね。

 ぼくは元々つぼみ好き好きなんですが、予想をはるかに超えるこのつぼみ押しっぷりはもう諸手を上げて歓迎です。いいぞもっとやれ。まぁ依怙贔屓になってもいけませんけど、物語としてはオリヴィエと4人それぞれがちゃんとからみながらの上ですので。

 プリキュアの4人に共通するのは、他人のためならば自分にできる以上のことを担おうとしてしまうという点です。それがプリキュアとしての意志と素養の重要な一部なのですが、とくにつぼみはこの部分が突出していたように見えます。というか、できることの幅が狭かったり地味だったりするし、いまだ内向的な性格でもあるしで、なんとか頑張ろうとして失敗して落ち込む姿が目立ってたんですね。

 本作品でも、パリの街中で迷子になったり、ショーの練習でこけたり、オリヴィエのお世話を焼きすぎて反発されたりと。でも、以前のようにそのことを引きずらないのは、えりかたちのおかげでもあるし、すでにプリキュアの試練をくぐり抜けて過去の自分を受け入れることができたためでもあります。オリヴィエや男爵に比べると、つぼみは自分を統合できてるんですね。「チェンジ」した後も、自分の嫌な面や忘れたい過去もひっくるめて、これが自分だと認めることができるようになった、と。そして、つぼみは、引き裂かれていたときの自分を忘れてはいません。しだいにオリヴィエの恐怖心と隠したい何かに気づいたとき、つぼみは彼を包み込むことができます。何ができるかは分からなくても、何かしてあげたい。自分にしてくれたことを、お返ししたい。その気持ちをまっすぐもつことができます、もう溢れんばかりに。

  だからこそ、オリヴィエが自分の意志で男爵のもとに戻ったと聞いたとき、辛すぎて、悲しすぎて。何もお返しできないまま、オリヴィエの苦悩を分かち合えないまま、突き放されたかのように感じて。仲間たちに励まされ叱咤されて再び前に進もうとし、狼男と化したオリヴィエをどこまでも信じて身を挺してかばおうとし。弱くて強くて、思いやりがあってお節介で、寂しがり屋で包容力があって、直情径行で内向的で、そのどれもがつぼみの長所であり短所であり、不可欠の一部をなしてます。それは、つぼみとキュアブロッサムのどちらもに共通する、一見矛盾しながらも引き裂かれることのない全体性なのであり、オリヴィエに向けた真摯な意志がそれらを貫いて束ねあげ、少年の心に丸ごと届けました。

 

 んで、そんなつぼみのことが、えりかはもう丸ごと好きで好きで好きで好きで(以下略

 迷子になったつぼみのことをブツブツ言ってても、いざ追いかけるとなると目の色変えて全力走行。つぼみの暴走ぐあいに爆笑しながらも、オリヴィエにつぼみのことを「いいところは最初から変わらないんだよね」と語るときの優しい声。「時々ほんとすごい」この親友がオリヴィエを失って泣きじゃくるとき、半ば呆れながらも、つぼみに抱きついて「つぼみの気持ちは、ちゃんとあの子に伝わってるよ」と言い聞かせるときの表情。頑固で健気で泣き虫な親友のことが、もう愛しくてしょうがないという。

 自分のおかげでつぼみが変われた、と偉そうに嘯きはするけど、えりかもまたつぼみのおかげでファッション部を再建できたし、自分を変えることができたと知ってるんですよね。頼りない親友を引っ張りもしつつ、頼もしい親友に支えられもしつつ。そのどちらもがつぼみのせい・つぼみのおかげであり、彼女の最初から変わらないよさを間近に感じ続けてきたのが、ほかならぬ大親友のえりか様でした。本編第43話で花について語るつぼみを見つめるときの、えりかの何ともいえぬ表情を思い出します。あの場面ではつぼみがえりかの視線に気づいて、顔を向き合わせた直後に二人ともにっこり微笑むんですよね。鼻血もの。あと、えりかはオリヴィエに焼きもち焼かない。園芸部長話のときと比べて超余裕の態度。このへんもけっこう面白いところでした。