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『ニルヴァーナ』シリーズから『超人ロック』を振り返って

 最近のものかどうかにこだわらず好きな作品について書いとこ。ということで『超人ロック』の『ニルヴァーナ』、2009年連載の4巻本を念頭におきながらこのシリーズ全体についてつらつらと。

 

 『超人ロック』との出会いは週刊少年キング連載『炎の虎』でしたので、もう35年前になるんですか。あの頃はSFというジャンルがよく分かっておらず、いや今でも分かんないんですけど、テレビのヒーローものの延長上でこの作品も当初楽しんでいたような記憶があります。ただ、それが次第に難しくなっていくという。

 その頃のぼくは『ザンボット3』なども視聴してましたので、主人公サイドの主要人物たちが戦死していく展開には(慣れないまでも)経験があったわけですが、それにしてもこの『超人ロック』のその後の展開には、子供心にしんどいものがありました。いや展開そのものはもう文句なく面白いし、キング(KING)休刊までずっと読み続けてた大好きなシリーズ作品でしたけど、そこで描かれる人間の命の軽さや文明世界の負の部分というかどうにもならなさというか、そういうものを受け止めかねてたんですね。当時のぼくが好んでたギャグマンガの面白さとは別方向のそれなわけで、シリアスで、大人っぽくて、背伸びさせてくれる作品の一つでした。また、当時キングで掲載された他作家の読み切りSF作品や、チャンピオンで読んだ『百億の昼と千億の夜』などに触れるうちに、SFとは人間を宇宙に向きあわせて自らの卑小さや業を描くものなのかな、そこではハッピーエンドじゃないほうが良いとされるものなのかな、と考えていったのです。

 

 とりわけガツンときたのは、例えば、『マインド・バスター』でのライガー教授の狂気の所業。ロックは最善をつくすけど、あの大虐殺そのものを止めることはできませんでした。例えば、『虚空の戦場』でのラグとレマの最期。ぼくが当時好きだった二人が殺されてしまうなんて、しかも重要なキャラに相応しい相討ちなどの結果ではなく、あんなにあっけなく一方的に。勧善懲悪の物語や正義の最強ヒーローを求めていたぼくは、それらの場面に少なからぬ衝撃を受けました。

 もちろん『光の剣』では、ランとニアの結ばれに安堵しましたし、ラフノールの空を舞う飛竜の姿に心躍らせたものです(今でも大好きなシリーズの一つです)。でも、ちょうど銀河連邦崩壊期を描いていたこともあって、この時期のロックには時代の波に抗う悲壮さがつねに重ね合わされていたように感じます。そして読者であるぼくも彼のその後ろ姿を見ては、暗い気持ちに陥るのでした。

 

 その後、時代の前後が様々な場所で描かれていくにつれ、またぼく自身も年を食っていくにつれ、作品の大河ドラマ・歴史物語としての側面に気づき、個々のゲストキャラに感情移入しながらも時代の流れを読み取って楽しんでいくことができるようになっていきました。しかし、それは同時に、ロックの孤独を発見することでもありました。親しい人々が戦いの中で死んでいくだけでなく、平和な世界であろうとも彼らの寿命の終わりによって絶えず取り残されていくという、永遠の旅人としての孤独を。

 こちらのテーマについては、例えば『シャトレーズ』のミルバ(大好きな女性キャラの一人です)のように、ロックが定命の人間とそれでも深い交わりを結んでいく姿が様々に描かれてきてますし、最新の完結シリーズ『風の抱擁』ではこの問題への素晴らしい答えを示しています。これはこれでいっぱい語りたいことがあるんですけど、ぼくにとってやはり気になり続けていたのは、人類の愚行(と言ってみますが)にその都度向き合っていこうとするロックの、こちらから感じる悲壮さや徒労感でした。親しい人々やパートナーたる女性が彼を支えてくれることにありがたく思いながらも、結局このどうにもならなさ自体は解消しないのではないか、と。

 

 そんな長年のシリーズの果てに、『ニルヴァーナ』ですよ。

 もう、ね。あの最終巻でのロックの姿を目の当たりにしたとき、ああ、今までずっと読み続けてきてよかった、と心底思いました。『グインサーガ』第67巻『風の挽歌』でグインがゴダロたちにようやく出会えたときと同じような、ああ、だからここまでついてきたんだ、という納得。報われたという勝手な充足感。

 ライガー教授とジオイド弾のトラウマを、ロック自身が乗り越えていく。読んでるぼくも、彼の後ろ姿を見て、あのときの衝撃を受け止め直しながらもそこで抱いた悲壮感や徒労感を拭い去ることができる。ロックひとりが孤独に立ち向かうんじゃなくて、彼に触発された人々もまったく見ず知らずの人々もそれぞれの責務を果たし信念を貫き人類を信じようとして、破局を回避していく。一度は大虐殺に手を染めた者たちが、悔恨とともに行動を改め、自らの所業の責任をとろうとする。ロックよかったな、と肩を叩きたい気分(何様)。そこで殺された人々はやはり膨大にいるわけで、けっして手放しのハッピーエンドではないんだけど、悲劇と人間賛歌がここに分かちがたくあるのです。これがSFというものなんでしょうかね。

 正直、この『ニルヴァーナ』と『風の抱擁』が完結したいま、『超人ロック』の最重要テーマ2つに答えが示されたととらえると、なんだか聖悠紀さんがいつこの作品が終わっても大丈夫なように備えてるのかな、などと失礼な不安を抱いたりしてしまいます。それくらいこの2シリーズは、長年楽しませていただいてきたファンの一人に対して、途方もないご褒美として届けられたんですよ。これだ、これをずっと待っていたんだ、と。

 でもそれは、他のシリーズが物足りないということじゃないし、ぼくがこういう物語を実際にイメージして待ち望んでいたということでもありません。他のシリーズはそれぞれの持ち味で作品世界を広げ深め、またその中でこれらのテーマも繰り返し語られてきたわけで、いずれも『超人ロック』の大切な一部分です。そして、読者が手にしたとたん「そうか、自分はこれを待っていたんだ」と事後的に発見するなんていう反応は、作者が読者の気持ちをよく理解しながら、作品の軸を枉げずにいることによって産み出されるのだと思います。

 いつまで続くか分かりませんがいつまでも続いてほしいこの作品、ぼくがこの宇宙から消えてもロックの旅は続くのでしょうし、人類の愚かさも可能性も彼のそばにあり続けるのでしょう。