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オタクとしての自分史その6

その他

 ぼくにとって2002年はアニメ版シスプリ考察の年、続く2003年は同じくリピュア考察の年でした。さらにこの時期、シスプリファンダムによる独自のシスプリ継承企画「シスター・プリンセス・メーカー」に横ちょから関わらせていただいたり、シスプリのパロディコンテンツをいくつか公開したりと、ぼくのオタク的活動の中心にはつねにシスプリが存在していました。その締めにあたるのが、2004年の夏冬コミケでの考察本(冬は改訂新版)刊行ということになります。その節はあまのさん・利休さんをはじめ、皆様お世話になりました(礼)。

 とはいえ、やはり他の様々な作品にもぼくは関心を示していました。2003年からの5年間、とくに好きだったものを挙げれば以下のとおりです。

 

・2003年:『GUNSLINGER GIRL』(漫画、開始2002年)『よつばと!』『ローゼンメイデン』(アニメ・漫画、漫画は開始2002年)『マリア様がみてる』(小説、開始1998年)『涼宮ハルヒの憂鬱』(小説)

・2004年:『ふたりはプリキュア』『Rance VI ―ゼス崩壊―』
・2005年:『おねがいマイメロディ』『ふたりはプリキュア Max Heart』『ふたつのスピカ』(漫画、開始2001年)『魔法先生ネギま!』(漫画、開始2003年)
・2006年:『ふたりはプリキュア Splash Star』『涼宮ハルヒの憂鬱』(アニメ)『戦国ランス
・2007年:『Yes!プリキュア5』『まなびストレート!』(アニメ)『びんちょうタン』(漫画、開始2003年)

 

 これ以外の作品もあれこれ楽しんではいたんですが、傾向としては次第に縮小というか元々狭かったというか。ただしサイト管理者としては、アニメ版シスプリに特化した立ち位置から、他作品についても考察するサイトへと踏み出した時期でもありました。そのきっかけとなったのが、『涼宮ハルヒの憂鬱』です。

 このライトノベル作品については、刊行当時ネット上で議論といざこざが発生しており、ぼくは最初は傍観者として関係各所を巡回していました。しかし、いざこざに対する夏場薫さんのご指摘に反省した結果、ちゃんと自分で読んだうえで作品の是非を判断しよう、と思い直したのです。そこで実際に読んでみて大いに気に入り、日記にて感想や考察を書き始めたのが2003年の夏でした(当時の考察は後にまとめてます)。

 これは、ぼく個人にとって、今まで避けてきていた作品をめぐるネット論争への参加を意味していました。いや、アニプリ考察だってそういう面も持ちあわせていたはずですけど、そこでは激しい議論とかいったものはあまり経験しなかったし、主にファンダムの中だけを意識していられたのですね。一方ハルヒでは、作品への好悪も解釈も様々に提起されている状況だし、出たばっかの作品に安定したファンダムも何もないわけです。そこへ自分から飛び込みにいったというのは、まぁアニプリ考察でよほど自信がついたということか、それとも最初は日記での感想書きでしたのでハードルが低く感じられたということなのか。少なくとも、SFか否かといったジャンル論やライトノベル批評などについて無知でありながらも、アニプリと同じように作品を愚直に見つめることで自分なりに受け止めた作品の姿を語ることはできる、と考えていたのでしょう。そして実際に、頑張ったなりの結果が得られたと感じました。

 同じようにして、『ローゼンメイデン』やニチアサなどのお気に入り作品についても、日記で感想を綴ったり、ぼくが引っかかった箇所について突っ込んだミニ考察を書いたり、ということを習慣化していくのが、だいたいこの時期。そういった作品を視聴してない時の日記内容は、ネット上での話題への言及とか小話とかご近所とのやりとりとかで満たされていました。それはそれで日々の習いとなってましたし楽しかったのですけど、やりがいというか手応えというか、そういうものはそれなりに力を入れた考察などのときに得られるもので、アニプリ考察以来ぼくが味をしめたことは間違いないところです。

 

 この流れの中でぼくは、同人誌寄稿のお誘いをいただいたり、いずみのさんから刺激を受けての『魔法先生ネギま!』考察をいくつか公開したりしました。それぞれ楽しく、また作品をより深く理解する機会としてありがたくもある作業でした。

 しかし、考察などのリストを見返すと、2006年から2008年までの間、他所様の同人誌への寄稿を除くと特定の作品についてじっくり考察したものが公開されなくなっていることが分かります。つまり、この時期のぼくは、自分のオタクとしてのあり方を発見したはずにもかかわらず、とことんこだわる対象作品を見いだせなかったのです。

 もっとも、実際にこだわりを示した作品はありました。『涼宮ハルヒの消失』は腰を据えて考察しようとずっと思っていましたし、日記で『まなびストレート!』についての議論に参加したこともありました。ただ、『消失』の考察をまとめあげて公開するのは2010年になってからですし、他の作品については独立コンテンツとして書ききっていないままです。

 

 記憶するところでは、当時のぼくは、けっこう迷っていたような気がします。

 まず、ひとりのオタクとして、どかんと入れ込む作品が見つからないことに迷いました。好きな作品はあれども、ここで自分の中の比較対象となってしまうのがアニメ版シスプリなわけでして、それと比べればなかなか全力を注ぐに至らないんですね。もちろん無理に注ぐ必要もなく、日記で綴っていたように自然体で作品を享受していればいいんですが、そこで別の問題が生じていました。

 それは、サイト管理者や考察者としての、つまりネット上での自分の立ち位置の維持のために、新たな作品を求めていたけど得られなかったということです。サイトが自分の好きな作品について自由に語る場でしかないはずなのに、一度得てしまったと思えた考察者としての評判を気にするようになり、定期的に何か書いて公開しなければならないのでは、と感じ始めてしまったわけです。周囲からの期待を勝手に想像して、それに応えるのが自分の役目、といった煮詰まり方。評価して下さった方々への感謝が裏返ってしまったと言うか、まぁ自意識過剰が不安と増長の間で加速したんですね。それと、ここでサイトの勢いを失うのは惜しい、というような欲が出たという。

 なのにこのタイミングで、ぼくの気力体力が明らかに衰えつつあるのを自覚してしまいました。日常生活でもそうですが、オタク生活のうえでも、例えば新しいものへの関心がますます弱まってきたり。作品に長時間向き合うことにいっそう疲労を感じてきたり。テレビはほとんどニチアサだけ、漫画はすでに馴染んでるものかすぐ馴染めるものだけ、ノベルゲーのプレイがじつに厳しくなった時期です。オタクの老化現象を自ら体験しつつあったという次第ですけど、この変化は考察を書くのに想像以上にでっかい壁となりました。アニプリの頃のように朝晩で2本完成させるどころか、1章をまとめることさえ持続集中できなくなってきていたのですから。

  これは、いわばオタクEDという感じの衝撃をぼくにじわじわと与えました。ごめん……今日は疲れているんだ……。しかしびんびんな日はもう二度と来ないのではないか。いや、これは自分のせいじゃないんだ、刺激が十分でないだけなんだ。本当に入れ込める作品にさえ出会えれば、すぐにまたあの頃と同じように……。

 しかし、そんな日は来るのでしょうか。というか、自分のオタクとしての若返りのために、またネット上での自分の立ち位置(と感じたもの)を守るために作品を求めるというのは、ぼくが作品と向き合う誠実さをまったく損なってしまうものではないでしょうか。それは、作品それ自体を享受するためでなく、別の目的の道具として利用することにほかならないのですから。ここにおいて、オタクとしての自己をようやく形作れたはずのぼくは、皮肉にもそのことによって守りの姿勢を生み、かえってオタクの本分を失いかねない状態に陥ってしまったのです。

 

 そんな最中、『涼宮ハルヒの憂鬱』がアニメ化され、大きなブームを生み出しました。それはたしかに、エヴァなどに比べれば思春期にさほど一撃を与えない作品であり、こだわりの薄いファンダムの産み手だったかもしれません。カジュアルで屈託ないアニメファン層というものを可視化させる契機だったのかもしれません。ですが、ぼくにとってハレハレを「踊ってみた」とかは心底どうでもよくて視界に入っておらず(もちろん踊るのが楽しい人はそれを自由に楽しんでいいに決まってる)、ただ問題なのは、ぼくが作品にどう向き合うかのみだったのです。

 当時の日記では『憂鬱』をぼちぼち視聴して感想を書いてますしDVDも揃えましたが、しかしじっくりした考察はすでに3年前にすませちゃってますし、そこから新たにはみ出る大きな何かを発見できてもいません。そんな状態でアニメ作品に向きあおうとしたとき、ぼくはどうしても過去の自作の考察を思い浮かべ、参照してしまいます。するとどうでしょう、「あの頃のぼくはよく書いた」「馬鹿ですね自分」という(自虐も含んだ)過去の栄光への回顧みたいなものがじくじく滲みだして、いまの自分を作品にぶつけることがますます難しくなるではありませんか。「はてなブックマークでそれなりの数を集めた」コンテンツだったという事実も、この時のぼくには負の効果をもたらしていました。これだけ注目されたんだ頑張ったえらかった、と自らを慰められたからです。

 このあたりで、いわゆる承認欲求のきしみやサイト管理疲れが無視できないものとなるわけでして、実生活との兼ね合いもあって日記は溜めがちになり、内容も軽くなり、マンネリと枯渇が生まれました。サイト5年説とかあったような気もしますが、そのサイクルにまんまハマってるとも言えます。実生活でも飽きっぽい自分がほとんど唯一続けてこられたのがサイト管理だったということもあって、毎日なるだけ頑張ろうとしていた記憶もありますが、2007年後半からついに日記をしばらく中断することになったのでした。サイトなんて息抜きなんだから、疲れたら素直に休んでしばらくしたらまた再開すればいいんですけど、息抜きで息詰まるとやはりしんどいものです。

 

 以上、あくまでぼく自身の迷走について記してきましたが、ここであえて外部の要因も言い訳にしてみますと。

 例えば『憂鬱』考察『消失』考察を比べると、前者が当時のネット上での議論をもとにして書かれているのに対して、後者はメールでの意見交換をして下さった方を除いて、他所様の解釈・感想に対する明確な言及がありません。これは、ぼく自身があまり探していない結果でもあるはずですが、それと同時に、『消失』について独自の解釈を個人サイトで公開している目立った方がいなかった、という印象があります。今でも検索してみると、まず出てくるのは個人のつっこんだ解釈ではなく、どこも似たような「2chまとめサイト」だったり、作品そのものにどっぷり浸かるのではなくエヴァと比較しながら時代を示す作品として位置づけるものだったり、どこかのアニメ批評家の真似事だったり、が多いのです。

 あくまで個人的な感触ですが、だいたいこの頃あたりから、つまりまとめサイトが繁殖し、ブログが流行し、PVを集めるための「ライフハック」的記事が多発する時期から、アニメなどに関しても「私が作品自体をどう理解したか・どう味わったか」についてではなく「なぜ◯◯は人気が出たのか?」「なぜ✕✕は売れなかったのか?」といった位置づけ文章が目立っていった気がします。そして内容がだいたい薄かったり根拠なかったりという。さらに、その手の記事が個人ニュースサイトでも取り上げられる比率が、どんどん高くなっていったように思います。『カトゆー家断絶』は更新終了時まで掲載バランスを保っていたはずですが、現在では各所ニュースサイトでまとめサイト系へのリンクばかりが並ぶ有り様。これに対して『駄文にゅうす』は、ほんと昔と変わらぬ視野の広さと視点の確かさです。

 オタクのカジュアル化というものが進行しているのかどうかぼくには分かりませんけど、少なくとも自分が作品と向き合って考察するさいに他の方々がどのようにされているのかを確かめたとき、「PV至上主義」「薄さ」「メタさ」「自分の棚上げ」の浸透というものをたしかに実感してきました。2007年時点の日記でもそういうこと書いてますし。

 それはたんに、ファンダムが拡大したから濃ゆい人達が目立たなくなったのだとか、検索上位を占領されただけで実際は以前のまま存在しているのだとか、そういうことなのかもしれません。あるいは、ぼくが絡みやすいタイプの人達が表に出なくなっただけで、アニメ批評などはちゃんと真面目に盛り上がっているのだ、ということなのかもしれません。はたまた、テキストサイト時代は自分をネタにすることでPVを集めたけど、ブログ時代は他人や状況をネタにすることでPVを集める、というウケ狙い・アクセス稼ぎの手法の違いにすぎないのかもしれません。

 しかし、作品を自分できちんと受け止めずにまとめサイトの恣意的な「世評」に乗っかることに、ぼくはどうにも耐えられません。まとめの中に興味深い指摘を発見することもままありますが、まとめた者自身の作品感想がはっきり示されていないような代物は結局「チラシの裏」未満の「チラシの表」にすぎません。なんだかんだでやはりぼくは、自分がみたままの(せめてそうだと感じられるところの)作品の姿をまず大切にしたいし、ある個人が作品をどう見たのかを知りたいのでしょう。

 そしてそれにもかかわらず、上で述べてきたように、自分がその原点を見失いそうになったことはじつに残念なことでした。(続く)