オタクとしての自分史その7

 アニメ版シスプリとの出会いをきっかけに、オタクとしての自分のあり方を組み立て直せたにもかかわらず、逆にそこで獲得した立ち位置を守るために迷走しだして疲れてしまった2008年半ばまでのぼく。このときの日記中断は、しかし年末までに終わりを告げました。そのきっかけとなったのは、2つの出来事です。

 

 1つは、有村悠さんに『涼宮ハルヒの憂鬱』考察について言及していただいたこと。承認欲求をめぐる議論の中でついでにハルヒ受容が事例的に扱われたんですが、そこでの「これほどの愛情と深さを兼ね備えたハルヒテキストを、ぼくはほかに知らない。」という一文が、ずいぶん嬉しかったものです。「真剣に作品に接する」ことにこだわる方からこのように評されるというのは、アニプリ考察についてMK2さんから「これほど凶悪な愛情をひとつの作品に捧げた例を俺はほかに知らない。」という言葉をいただいたときと同じく、貴重なことなのです。いやー、図らずもこのお二人から「ほかに知らない」とまで言われるというのはもうね、えへへ(自慢)。サンフェイスさんを筆頭とするネットご近所の「このひとにはかなわない」と感じる方々から褒めてもらえた時も、だいたいためらいなく舞い上がりますね。そんなわけでここで少々、ネット上でまた活動してみようかという欲求が頭をもたげ始めました。もっと褒めてー頑張るから褒めて―、という幼児性の発露。

 ところで作品への「愛」というのは、ぼくが感想や考察を書くさいにちゃんと込められているかどうか注意してますけど、最近のガルパン関連の文章に対してもぼくなりの作品愛を読者の方が感じてくださってるのを拝見すると、ほんと安心します。ああ、まだぼくは大丈夫かな、えらそうに歪んでなさげだな、と(今さっき自慢してたくせに)。自分の知性の限界ゆえに「深さ」はなかなか宿せないにせよ、「愛」はあるだけ表現しちゃえばいいものですので、これについてだけはオタクとしての姿勢の是非を、つまり幼い自己承認欲求が作品愛を越え出てしまっていないかを、毎度確認できるわけです。舞い上がるのは止められないので、ブレーキに片足乗っけておくという塩梅でしょうか。

 

 もう1つの出来事は、再びどっぷり浸れる作品が登場したことです。そう、『ベイビー・プリンセス』(以下べびプリ)です。

 この作品は、シスプリの企画母体である『電撃G'sマガジン』にて開始された誌上企画です。その目玉はなんといっても、シスプリと同じ原作者である公野櫻子がテキストを担当されるということ。そして登場するキャラクター達は、19人姉妹。どーん。12人の妹達を越えていく企画が同じ雑誌上で、しかもシスプリ原作者の一方によって担われていくというのですから、シスプリファンダムの最後尾にいたぼくにとって、その正統後継作品を最初から享受できるというのは、それだけで心躍る大事件のはずでした。

 ただ、このニュースを知った当初は、サイト管理に疲れていたこともあり、自分から何か反応しようという気になかなかなれずにいました。しかしそこに上述の被言及が重なって、反応コメントをした勢いでこの新作品にちょっと関わっていこうか、という流れとなったわけです。

 さてこのべびプリですが、なんと公野櫻子による姉妹の「長男との交換日記」がネット上で日々連載されるという、とてつもない偉業に着手されました。平日のみならずイベントによっては祝祭日も、だったと思いますが、ぼくも更新されるのを毎日チェックしながら驚嘆していたものです。もちろん、その内容もじつに豊かで暖かく、きょうだいの生活の姿に自然と惹きこまれていったのを覚えています。何しろシスプリファンとしてどの作品が一番好きだったかといえば当然アニメ版第1作だというぼくのことですから、「共同生活のはじまり」「深化しゆくきょうだい関係」「姉妹の相互支援と葛藤」といったアニプリの諸要素を直系で受け継ぐべびプリに、転ばないはずなどなかったのです。しかもそれは「共同生活の日常化」という、いわばプロミストアイランドの「その後」をも期待させてくれるものでした。

 そしてこの公式の交換日記は、ぼくの日記再開にとっても、ある意味ありがたい存在でした。姉妹各人の日記内容について感想や簡単な考察を記すことで、ぼくはほとんど毎日の自分の日記を満たすことができるからです。事実、多少の断続がありながらも、ぼくは交換日記へのコメントをしばらくの間書き続けていきました。お休みの日には例えばニチアサがありますので、だいたい毎日埋められる格好。日記更新の習慣が、こうして再開する運びとなりました。

 

 サイト管理者として再起動すると同時に、アニプリ考察者としての視線がこのべびプリにも向けられていきます。シスプリべびプリの比較というのは素直に気になるところですし、ネット上でもその視点であれこれ言われてもいました。また、公式の交換日記の内容についてぼく自身の日記でその都度解釈しつつ楽しんではいましたが、交換日記が姉妹各人ごとにある程度蓄積されていけば、当然それぞれの担当した日記を全体としてまとめてとらえ直し、そこから姉妹各人の性格や相互関係を読み取ることが、可能となるに決まっています。

 そこでぼくは、シスプリとの比較はべびプリのゲーム版・アニメ版が登場した頃合いでがっつり行うことにして、まずべびプリそのものに向き合うために雑誌を買い始め、さらに満を持した考察である交換日記1年目における姉妹の相互言及を公開しました。つまり連載1年後を迎えるまでは、日々の日記を通じて考察視点を準備していたわけです。

 この考察を見てみますと、対象テキストの数値的特徴を実証的に分析するというのは、シスプリキャラコレ分析ですでに用いていた手法です。また、その数値的特徴とテキストの具体的描写とを関連づけて各登場人物の個性や相互関係を浮かび上がらせるというのは、やはりアニプリ第3話考察で試みたやり方です。まさに文字通りの「昔取った杵柄」。地味にコツコツとデータを集めながら、またアニプリのあの頃を知る方々から反応をいただくたびに、ああ帰ってきた、ここに帰ってきたんだ、としみじみ実感していたのを覚えています。

 

 ところで今しがた、自分の日記(日々の短文)と考察(独立して切り出した長文コンテンツ)との役割分担について記しました。当時もそのへん書いてますが、ぼくは日記ではその時感じたこと・考えたことをとりあえず記録しておく場として用い、その後じっくり腰を据えて作品鑑賞しながら検討したことを考察としてまとめるようにしています。なので、日記で書いたことが考察では否定されていることもたびたび。

 また、この頃よく目にするようになったブログについては、例えばはてな村の習俗がどうとかいうことよりも、ブログでいっぺんに書ける文字数・行数など様式上の制約に、ぼくの関心が向きました。日記をこのはてなブログに移行した今でも、こないだのガルパン聖グロ考察は従来と同じくブログ外の独立コンテンツとして自サイトに掲載してます。やはりぼくとしては、日記と長文考察とは役割を分けておきたいものですし、いろいろ制限のあるブログでは、書きたいだけ書けることが必要な考察を公開できません。そういうフォーマット的な問題で、ブログはじっくりした検討には向かないんじゃないのかな、と思ってます。個人的には、これがテキストサイトをブログが追いやった結果として生まれた、様式上の制約が思考と表現の縮減をもたらすというマイナス面です。

 

 さて話を戻しまして。こうしてぼくはべびプリのおかげで、再びサイト管理者・考察者として作品愛に基づく活動を再会できたわけですが、しかしその勢いはべびプリの企画終了まで持続できませんでした。一応、この頃ぼくがとくに好きだった作品を挙げておきましょう。

 

 ・2008年:『ベイビー・プリンセス』『Yes!プリキュア5 GoGo!』『マップス ネクストシート』(開始2007年)『とらドラ!』(小説、開始2006年)

・2009年:『フレッシュプリキュア』『鋼の錬金術師』(漫画、開始2001年)

・2010年:『ハートキャッチプリキュア

・2011年:『THE IDOLM@STER』(アニメ)『スイートプリキュア』『海賊戦隊ゴーカイジャー

 

 好みの傾向は相変わらずですけど、日記に感想を綴ることがこの時期の後半でまたもしんどくなってきました。例えば『ハートキャッチプリキュア』はシリーズ中でもとりわけ好きな作品で、DVD揃えたし決め台詞についての考察なども公開してるほどですが、にもかかわらず終盤の視聴感想を日記に書いておりません。それほどにサイト更新意欲が再び減退していたわけです。

 その理由としてやはり何より大きいのは、実生活での疲労やオタク体力の弱まりです。こう、色んなことが億劫になってくるという、この傾向は今もなお進行中です。

 しかし、こういう自分自身の状態に対して、べびプリという作品が両極端な作用を及ぼした、ということも当時を振り返った意見としてあえて述べておきたいと思います。一方の作用はすでに記してきたとおり、ぼくの気力を奮い起こさせたというもの。もう一方の作用が何かというと、それは、「共同生活の日常化」の表現への倦怠感をもたらしたというものです。

 もちろん、これはいち読者としてのぼくが勝手に感じたものであり、作品自体がどうこうという話では本来ありません。ただ、ぼくが公式日記の1年目と2年目を比較検討した結果をふまえれば、作品そのものの展開の中に若干の要因を認めることもできます。それによれば、2年目の公式日記に見られる変化は、長男も含めた共同生活の日常化と、長男に対する姉妹の態度の積極化を意味していました。しかし、姉妹が長男へより強く指向したことの反面として姉妹同士の言及が減少したり、また騒動を淡い恋愛意識のレベルで発生させることが多くなったことの裏返しとして年少者が取り残されたり、といった状況も生んでしまっていました。

 アニプリの何がよかったかって、どの妹も平等に描かれていた(航も全ての妹を贔屓なく大切にしていた)という点でした。雑誌連載でも人気投票こそあれど、各妹が等しい機会でメインに据えられていたはずです。このへんは、原作・ゲーム版・アニメ版のそれぞれで兄妹関係の描き方に違いを設けており、ファンの求めるところに応じて多様性を確保していました(リピュア考察1にて詳述)。これに対してべびプリでは、公式日記は姉妹各人の担当機会こそほぼ平等でしたが内容的に偏りが生じた一方で、雑誌連載も次第に年長者中心となりました。小説版がヒカルをメインヒロインに据えているのは、小説という媒体の性質上うなずけるところです。しかし、小説版がヒカルなので公式日記は氷柱、雑誌連載はその二人も含めた年長者&麗、となってしまうと、それ以外の姉妹が脇役になったかのように感じてしまうわけです。雑誌連載の漫画版は、そのあたりバランスとれた描き方をされてて大好きでしたが……。とくに年少者が不利益を被りやすい理由については、べびプリにおける時間の流れに一つの原因があるということを両作品比較にて述べましたけど、ぼくの好きな姉妹の一人が1歳児の青空なこともあり、彼女たち年少者が騒動の中心にほとんど置かれない光景というのは、「共同生活の日常化」をあまりに一面化していないだろうか、と思われたのでした。

 先にも触れたように、これはぼくがアニプリ的な共同生活を観たかった、という個人的な事情ゆえの感想です。公式日記を読みだして半年程度でこういう2クールアニメ版を捏造しちゃってますけど、そこでも姉妹全員をできるだけ平等に登場させようとしてるくらい。自分自身に関しては、両作品を結びつけて捉えすぎた結果、べびプリという作品そのものと向き合うという基本的姿勢が、最初から揺らいでしまっていたということなのかもしれません。結果として、ぼくはべびプリに最後までつきあうことができませんでした。公式日記はその完結まで読み続けましたし、雑誌も連載中は購読していましたし、小説版も最終巻刊行をずっと待ち望んでますが、当時のぼくは公式日記3年目考察のデータを揃えながらも文章を書き上げられず、とうとう公開しなかったのです(3年目データはここにありますが、付属の考察文章の大部分は2年目のものから未修正です)。

 

 こうして再びサイト更新から離れていったぼくが、しかしネットでの書き込みをやめたわけではありませんでした。つまり2008年頃にTwitterでの呟きを開始し、今でも続けている塩梅です。思いついた短文を手間いらずで公開できる、というその簡便さ・安直さが、ある程度考えまとめたうえで更新作業するという日記と比べて、疲れているときでもやめずにすむという長所と感じられました。また、IRC的な風情(実際まったく違うけど、タイムラインだけ見てれば閉鎖空間と錯覚できる)や、ふぁぼりという方法ですぐに肯定的反応が得られるというあたりも、日々の意欲を維持するのに効果的。サイト日記でもTwitterでの呟きのいくつかを選んで転載したりもしましたけど、それも億劫になった2010年後半以降は、すっかりついったらーになってしまったのでした。

 さてしかし、そんなぼくがなぜ昨年になって、わざわざこのはてなを使い出したのでしょうか。(続く)