サイト・ブログを用いた現金収入を目指さない個人的理由

 先日、ブログやサイト運営による現金収入を公言することについて話題になってました。他所様の方針に対しては、ぼくは単純に「気になるようなら近づかない」というだけの話ですので、ここでは自分自身がどのような方針をとってきたかについて記します。

 

 元サイトの開設後、「広告を貼ってみようか」と考えた時期がありました。それは、アニメ版『シスター・プリンセス』考察を立て続けに執筆公開していた頃、つまり2002年夏からの約2年間です。シスプリファンダムやニュースサイトで取り上げていただき、アクセス数が(自サイトとしては)とても多かったあの時期です。

 このとき、ぼくが広告を貼ることについて思い描いたのは、次のようなことでした。

 アクセスがあるということは、閲覧者の方々に、ぼくの考察を通じてシスプリなどの作品に(いっそうの)興味を抱いてもらえる可能性があるということだ。場合によっては、アニメDVDや原作本・ゲームソフトなどの購入を検討する人もいるだろう。そんなとき、ぼくのサイトの考察ページ中で商品購入サイトへのリンクを貼っておいたほうが、ご自身で情報を検索する手間をかけるよりも、買う気を持続させやすいはずである。これによって、新規ファンは面白い作品に出会えて嬉しいだろうし、作品制作側もファン層と利益が拡大して嬉しいし、ぼくもそのお手伝いができて嬉しい。

 ところで、アマゾンなどのアフェリエイト広告を貼るとなれば、たとえわずかでも広告収入を得ることになるだろう。その収入を、自分の好きな作品に関する商品購入の足しにして、そこから得られた作品への感想・考察などを執筆公開すれば、閲覧者の方々がぼくのサイト経由で購入してくれたお礼を、ぼくなりの方法で示すことができる。サイト管理人と閲覧者の間でお互いに利益となり嬉しい。

 おおよそ以上の2点が前向きの見通しであり、金儲けより「幸せの相互贈与」の活性化を目指そうとしていたわけです。この相互贈与は、ぼくが捉えたアニメ版シスプリの主題の一つでもありましたから、これを考察者・サイト管理人として自ら実践してみよう、という気構えもあったのですね。

 

 しかし、大真面目に考えていくにつれて、むしろ後ろ向きの見通しのほうが、はるかに実感を伴っていきました。

 まず、アマゾンその他特定企業の商売に加担する気がまったく起きない。手続きもリンク張るだけですまないのでめんどくさい。ぼくも消費者としてそれらの通販サイトを利用してますけど、売る側の・しかも特定の店の片棒を自分がかつぐというのは別問題です。ただし製作者への敬意は抱いてますので、広告を貼るならせめて公式通販サイトに限るべきであり、最大限の利益を直接還元したいと考えてました。

 次に、広告収入を作品関連商品の購入に充て、うまいこと考察執筆へのサイクルが回り始めたとして、そこには一種の縛りが生まれます。つまり、

「閲覧者のおかげで得た収入を充てたのだから、閲覧者に恩返しすべく必ず何か書かねばならない」

という縛りです。これは、きわめて不本意ながらおそらく自分が陥ったであろう陥穽でした。似たようなのをもう一つ挙げると、

「自分の好む作品よりも、閲覧者を多数集めて収入を得やすそうな作品を選ぶようになる」

という手段と目的の転倒もありがちな罠ですが、こちらはまだしも予防策がありました。なぜなら、どれだけ話題の作品でも自分の興味がわかなければ手を出さない、というかたくなな態度だけは、ぼくの趣味人生に深く根を下ろしているからです。もう本当にね、読みたくない・見たくないという気持ちは裏切れない。身銭を切ろうと人様からいただいたお金を充てようと、そういうものを買うためには使いたくない。さらに言えば、たとえ購入しても読まないし見ない。批評家のすごいところは、自らの趣味判断を抑えて何にでも向き合う姿勢だと思っていますが、ぼくには無理です。

 これに対して、「閲覧者への恩返し」のために執筆せ「ねばならない」というのは、相手がサイトのお客さんたちですから、興味のない作品に対する無関心とは異なり、最初からこちらは感謝と好意を抱いている対象です。なので、恩返し的な意識も進んで持ちやすい。もちろん自分で勝手にそういうルールを設けて強制力を生んでいるわけですけれど、そうであればこそまぁしんどいという。

 だいたいぼくが好きな作品は数あれど、まとまった文章を捧げた作品は10に満たないのが現実でして、なぜかといえば「その作品についてともかく何か書きたい」という感想への衝動よりも「その作品への根拠薄弱な否定的世評を覆したい」という考察への衝動のほうに激しく突き動かされる人間だからです。とりあえず感想を書いてるうちに意外な方向へ筆が進み、と予想外に興が乗る場合もありますけど、たいていはエネルギーが足りない。となると、せっかく頂戴したお布施を使わせていただきながらなぜ気の利いたことを書けないのか……だって素直に楽しんで満足できちゃったから……という展開が、目に見えるのです。

 

 てなわけで、そんな自縄自縛で苦しむよりは、好きなときに・好きな作品を楽しみ・好きなだけ文章を書いて公開する、という自然体でサイト運営するほうが、ぼくもはるかに楽しいし、おそらく閲覧者も楽しんでくださるようなコンテンツを作ることができる。そう予測できたため、ぼくは今に至るまで広告による収入の道を避けてきたのでした。

 もっとも、サイトのコンテンツ内容と広告内容とを対応させるからそんなことに悩むのであって、コンテンツと無縁な広告が勝手に出るようにすればいいのかもしれませんが、ぼくそういうサイトを閲覧するとき「広告うざい」と感じるので、自発的にはやりません。