ガルパン劇場版の感想

 劇場版『ガールズ&パンツァー』を年末に観てきました。以下ネタバレです。

 

 あちこちで流行ってたように、とりあえず「ガルパンはいいぞ」と言える内容ではありました。いつもの賑やかで可憐な少女たち、そして画面狭しと活躍する戦車の勇姿。あっという間の2時間は、とても楽しく充実したものでした。
 しかし、ぼくが期待していたとおりの内容だったかというと、少々もにょります。もちろん期待以上の興奮を得られてもいますから、作品を否定するつもりは毛頭ないのですけど、それでもちょっと。ドーラの運用に隊員どんだけ要るのかとか、テーマパークという舞台を活かすとはいえ曲芸しすぎとか、そういうのはともかくとして。

 

 まずつまづいたのが、大洗女子の廃校問題を引っ張ったこと。これは、言われてみれば確かにテレビシリーズ最終話で取り消しと決まったわけではなかったのでして、なるほどこうきたか、と納得はできます。劇場版で描くほどの大問題として、そして他校の精鋭がわざわざ集結するためのフックとして、相応しいものでもあります。ドリームチーム結成に、思わず小さく歓声をあげてしまいました。
 ただしその一方で、「えーまたこの問題を蒸し返すの?」と感じてしまったことも事実。テレビシリーズ最終話で桃が流した涙を、踏みにじられたような気分。それでもいきなり崩れることなく懸命に背筋を伸ばす桃を観て、この子への思慕を新たにしたり、その信頼にちゃんと応えて手を打っていく杏の知略に、さすがは会長と畏怖の念を強めたりと、この展開ならではのポイントもたくさんあります。けれど、ぼくにはこの廃校問題よりももっと観たかった主題があり、微妙な気持ちになってしまったのです。
 劇場版の主題はもう一つあり、それは大会後の西住親子の姿。まほ・みほ姉妹の過去と現在、母娘のほぐれつつある関係などが、テレビシリーズの延長上で語られていました。これもまた間違いなく作品の軸であり、実際に見どころの多いものでしたが、姉妹について正面から描くのならそこにもう一人関わらせてくれてもいいのに、と隔靴掻痒の念を抱かざるをえません。

 

 つまりですね、エリカの描写がもったいなく感じたのですよ。彼女は確かに副隊長として未熟なのだとしても、あの決勝戦で彼女なりに何事かを学んだはずだとすれば、それをこの戦いで実地に試してみてもよかったのではないでしょうか。あるいは、みほのライバルとして向き合いたいのであれば、戦術・指揮の面では西住姉妹に従いつつも、二人の危機をケーニヒス・ティーガーで庇って倒れるくらいの見せ場や、劣勢のみほに「こんなところで負けるつもりなの? あなたを倒すのは私なんだから!」と叱咤するなどの副隊長らしさを示す場面を、与えられてもよかったのではないでしょうか。
 でも、自己犠牲の場面はノンナたちが、再戦を期する叱咤応援はアリサが、それぞれ担当しちゃってるんですよね……。それはそれで適役だとしても、エリカがあまりにもせつない。試合直前の作戦会議で、エリカの発言をまほにスルーされた後エリカがしょぼくれてるのを見て、ぼくは胸が痛みました。と同時に、これは試合中に発奮するための前フリなのだろうと想像もしたわけですよ。そしたら実際には、まほに盾となるよう指示されたことに喜び勇んで従うだけ。違うだろ。エリカはそれで満足するような副隊長じゃないだろ。

 

 そういう人物描写への違和感は、プラウダのメンバーについても抱きました。
 例えばカチューシャはお子様な面を強調されていましたが、それはそれで準決勝の敗戦後に彼女の背伸びしない素直な部分が出やすくなった証とも受け取れます(KV2の乗員たちが語っていたように)。しかし、カチューシャを守るためにノンナたちが身を挺して犠牲となっていったのであれば(そのさいノンナがカチューシャをここからの戦いに必要な人だと告げた以上なおさら)、その後にカチューシャが天才的な構想力を存分に活かす場面や、チームのために我を抑えて勝機をつかむ場面が、もう少し明確に欲しかったように思います。しかし、西住姉妹の才覚と被らないようにするためか、そのへんあまり強調されずに終わっており、やや肩透かしな印象。

 カチューシャにしろエリカにしろ、ぼくはテレビシリーズの大洗女子との戦いを経て彼女たちがどのように反省し思い悩みどのように成長を遂げようとするのか、その姿を様々に想像してきました。公式のドラマCDでもそのへんが描かれてもいましたし。とくにエリカは、黒森峰を離れたみほへの愛憎入り交じった屈託や、自分を認めてくれないまほへの焦りに満ちた思慕などを、かつてとはやや異なるかたちで抱いているはずで、そこを劇場版では何がしか描き出してくれるのではないか、と期待していたのです。
 しかし劇場版で西住姉妹が焦点化されたとき、そこにはエリカが関わる余地が直接には存在しなかったのです。ラストのツェッペリン内で会話するまほとエリカの姿には、いくぶん打ち解けた様子も見られはするのですが、ぼくはもっとこの目で、試合の中でそういうのを確認したかった。そして、あの決勝戦ではエリカはまほの元に間に合わなかったからこそ、この劇場版の試合では間に合ってほしかった。西住姉妹の以心伝心ぶりの凄まじさには魅入られたけど、愛里寿との対決で絶体絶命のとき間に割り込むのがあのボコじゃなくてエリカだったら、と思わずにはいられないのです。まぁあのボコはあれで愛里寿側のこだわりも分かるし面白かったわけですが。
 劇場版のスケールを確保しながら、大洗女子チーム内部と西住親子にそれぞれ傾斜をかけるという本作品の方向性は、そりゃ納得のいくものですし成功してると思います。ただ、ぼくは、大洗女子チームと西住姉妹の両方に対してエリカが関わる未来の余地は、それほど小さなものではないと信じるのです。そして、劇場版ではまほとみほの関係を姉妹の視点から描いていましたが、黒森峰での二人の姿もエリカ視点の想起で示してくれたら、姉妹間の情愛の深さも立体的に表現することになったんじゃないでしょうか。
 吉田玲子脚本なんだから、彼女たちの機微にもう少し深く切り込めたはず……と感じちゃうんですが、冒頭と後半の戦車道試合場面がメインとなってるのだとすると、時間的にもドラマ的にもそこまで複雑な仕掛けは盛り込めなかったんでしょうかね。ノンナたちの自己犠牲の場面は何となく勢いで突っ込まれてる気がして、ぼくはふと劇場版『ストライクウィッチーズ』で芳佳の魔力が復活する光景を思い出しました。もしかして、試合シーンでは軍事系スタッフがノリで台詞を決めてる? とさえ感じたり。

 

 なお補足しておくと、ノンナにとってあそこで身を挺した理由は明白です。カチューシャを生き残らせることが試合の鍵になると確信していたことに加えて、ノンナがいなくなってしまった後でもカチューシャが隊長としての務めを果たせるように、その練習を(試合を利用して)行っているわけです。

 これはたんに戦車道の試合だけの話ではなく、卒業後をも見通してのことではないか。つまり、ノンナが3年生でカチューシャが2年生とすれば、ノンナ卒業後のカチューシャを想定しての予行演習ということになります。そしてこのとき、カチューシャはノンナ卒業後のチーム指揮について自覚的に準備していくことになるとともに、ノンナがいなくなっちゃうことに気づくことで、卒業までの残り半年の学園生活でノンナにいっそう甘えてしまいやすくなることにもなります。隊長・副隊長としてはより距離を保つようになるからこそ、チームの外では今まで以上につい甘えてしまうもの。そこまで見通してのノンナの策略だったとすれば、しかもクラーラの自発的犠牲という偶然の機会にとっさの判断をしたのだとすれば、まさに恐るべしであります。

 

 ああいっそのこと、みほまほエリカの三人を中心に据えた劇場版が観たかった。みほとエリカがそれぞれ選抜チームの一員として対決するという展開。他校メンバーはどちらかのチームに属するわけで、つまり実際の劇場版冒頭でやってた試合に近い形式なのですが、みほに対抗し得ないと自覚したエリカが他校隊長たちに教えを請うとか、そこで島田流と出会うとか、そうしてまほを追いかけながらまほとは少し違う自分の戦車道を見つけていき、そうしてみほと肩を並べるようになっていくという、そういうの観たかった。ついでながら、西隊長率いる知波単がサンダースと対決するという硫黄島的シチュエーションもあり得たかもしれず。

 あるいは、大洗女子じゃなくて黒森峰の戦車道チームが解散の危機に陥り、他校が助っ人に来るという展開。この場合、たとえ方便とはいえみほが黒森峰に一時転校できるのか、あの制服を再び着用できるのか、という葛藤が生まれます。みほ自身にもためらいがあるだろうし、エリカが簡単には許さんだろうし。その壁をどう乗り越えるのかを、試合を通じてのみほ・エリカの相互支援によって描き出すとか。
 まぁ今回の劇場版に求められる派手さやオールスター感からすれば、それらのアイディアではちょっと物足りなくなるんでしょうけれど。そんなわけで、OVAか劇場版の次回作を激しく希望です。