ここからは、ぼくたちの手で

 小山田いく先生逝去との報、3月25日に。ああ。ああああ。

 

 小山田作品にぼくが初めて出会ったのは、記憶のかぎりでは読み切り漫画『12月の唯』です。これは週刊少年チャンピオンの新人まんが賞に応募・佳作入選された作品だったそうです。この雑誌でぼくが馴染んでいた『ふたりと5人』のような丸っこいタッチの登場人物たちが、しかしギャグ漫画というより情緒あふれるストーリー漫画の世界でいきいきと動いていました。同誌連載の『ゆうひが丘の総理大臣』のように、コメディシーンではギャグタッチを、シリアスシーンでは写実的・少女漫画的タッチを、と使い分けている作品がよく見られたこの時代に、どんな場面でも登場人物のタッチを大きく変えずにギャグもシリアスも貫いて“たしかにそこに生きている”彼らを描いた小山田作品は、後から見れば画期的だったのかもしれません。まぁ漫画史に不明なぼくの言うことですからそれはともかくも、ここで出会った独特な空気に、ぼくは先生の初連載作品である『すくらっぷ・ブック』でどっぷりと浸ることになります。

 

 『すくらっぷ・ブック』。ぼくが自分の小遣いで単行本全巻揃えた、しかも刊行日に行きつけの本屋へ駆けつけて入手した、初めての漫画作品がおそらくこれでした。長野県小諸市のとある中学校を舞台にした、約2年にわたる生徒たちの成長の日々を描いた長編です。柏木晴・市野清文・坂口光明・青木理美・迎麻紀・日生香苗・小宮山雅一郎・五島かがり、ああ今でもこうやって名前を思い出せる彼らの日常。週刊少年チャンピオンを立ち読みするとき、まっさきにこの作品を開いていたものです。勉強とか恋愛とか友情とか挫折とか別離とか進路とか卒業とか、学園もの・ジュヴナイルものの主題をおおよそ描き切っており、このとき小学生だったぼくは中学生の彼らの姿に大いに憧れて、やがて自分もこんな学校生活を満喫するんだ、と期待してたものでした(その期待はきれいに裏切られるわけですが)。また、学園ストーリー漫画として登場人物たちがちゃんと成長し・卒業とともにこの空間が終わってしまうことを初めて実感したのもこの作品であり、雑誌で最終回へ向かう数話を読む頃にはもう寂しくてたまりませんでした。

 作品の内容についてもっと詳しく語りたいところなのですが、あの当時から現在に至るまで、ぼくは感想めいた文章を一度も満足に書けずにいます。その理由の一つは、ぼくが何を書こうとも、元作品の描写の美しさや楽しさや統一性にまったく及ばないからです。もちろんファンの未熟な文章とプロの作品を比較すること自体がおこがましいのですけれど、語りたいことはすでに作品の中にこれ以上もなく描き出されていて、そこに何もつけくわえることがない、というのがぼくの率直な思いでした。それくらいこの作品はひとつの物語とそれを包む世界とをぼくの前に提示してくれていて、寝るときに単行本を1、2冊、布団の中に持ち込んではページをめくり、晴ボンたちの賑やかな日々を何十回となく読み返していたのです。

 

 そんなぼくにも、『すくらっぷ・ブック』についてもっと深く味わいたいという欲求がなかったわけではありません。とはいえ同好の士を探すほどの行動力は生まれてこのかた持ちあわせていませんので、感想執筆や絵の模写などといったファンダムの王道にはさっぱり向かわずに、一人でコツコツ分析の真似事をする方向へと向かいました。

 それは例えば、全登場人物の各話ごとの登場コマ数を調べること。たしか1話で100以上のコマに描かれたのは、第1話の晴ボンだけのはずです。数え間違いがないように何度も何度もチェックして、ノートに一覧表を作成していました。ほかにも人間関係の構造変化図めいたものを試みてみたり、名言集を編んでみたり、ともかくデータ分析っぽいことを思いつくままにやってみていたわけです。そこで何が得られたかというと、実際のところほとんど何もなかったのですが、少なくとも手間暇かけた作業に没入しながら、自分がこの作品にどれだけ愛情を抱いているかを確認することはできたのだと思います。

 巧みな言葉で表現できないし、絵で描くこともできない自分の作品愛を、どうやって具体化すればいいのか。『すくらっぷ・ブック』は一人のファンである幼いぼくをこの問題に目覚めさせました。そしてこの問いに自分なりの答えを見つけることができたとき、ぼくは晴ボンたちの年齢どころか正木先生よりも上の年齢になってしまっていました。好きなゲーム作品への、叙情とネタを取りませた感想の書き方。シスプリ原作の妹たちの言葉に登場するハートマークや兄呼称を数え、そこから各妹の特質を発見すること。日常はいつか終りを迎えるからこそかけがえないこと。詩的にではなくあくまでも野暮な論考調で、登場人物の内面や相互関係についての描写をできるだけすくい取りながらその具体性のなかで作品の全体像を語り直し、自分の作品愛をさらに掘り下げていこうとする考察スタイル。現在のぼくの感受性から作品享受のありかた、そしてファンとしての表現方法に至るまで、『すくらっぷ・ブック』はそれら一切の源を与えてくれていたのです。

 他にも、例えば『究極超人あ~る』の連載途中で「この作品も、いつかは『すくらっぷ・ブック』のように最終回を迎えてしまうんだな」と寂しさを覚えましたし、『魔法先生ネギま!』の出席簿を見れば「ああ、『すくらっぷ・ブック』第3巻のあの2話の表紙だ」と連想しましたし、日常生活においても虹を見れば「ビフロストの橋」、霜が降りれば「フロストフラワー・ポエトリー」、雪解けの頃には「雪解雫の行進曲」、三角定規を見れば「気はおかしくてきなこもち」といった具合に、四季折々と学校の中で思い出すことが多々ありました。土砂などを運ぶときには「ふっぱっぱ ふっぱっぱ のーみそふっぱっぱー」とつい口ずさむわけですよ。

 さらに同時期に月刊少年チャンピオンで連載された『星のローカス』のおかげで、工業高専へのかっこいいイメージが強化されたほか、星座やギリシャ神話への興味を植え付けられたりもし。おかまにおわれてこんやもひとりなき。その後こじれた思春期を迎えたぼくは、週刊連載第2作『ぶるうピーター』の完結ののち、小山田作品を買い揃えることをやめました。学校生活の平凡さに慣れきったぼくにとって小山田作品の登場人物はすでに憧れの対象になりがたく、また彼らの感情表出がいかにも漫画的に強すぎるように思えていたのです。しかし今から見れば、知的に背伸びして大人に見られたいという思春期まっさかりのぼくは、まさに小山田作品で描かれていた若者たちの自意識とその不安をようやくわがものとして理解できるところまで接近していたのでしょう。だからこそぼくは作品を通して自らを省みることの恥ずかしさに耐えられなかったのかもしれません。

 

 ああ、いまこうやって綴っているこの文章ですら、おそらく小山田作品に込められた情感やその表現をぼくが学んだ結果と言えます。もちろん他のたくさんの表現者の方々からも多大な影響を受けてきたとはいえ、ぼくにとって『すくらっぷ・ブック』は自分の趣味人生を方向づけた、あるいはこういってよければ決定的に呪縛した、大恩ある作品だったのです。ファンとしては途中で離れてしまった以上、あの頃をあまり美化しすぎてもいけないのですけれど。それでも、心からそう思います。

 小山田いく先生、素晴らしい作品を読ませていただき、本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

 

 なお、『すくらっぷ・ブック』連載時の週刊少年チャンピオンには、ぼくに多大な影響を及ぼしたもう2つの作品が掲載されていました。ひとつはとり・みきの初連載作品『るんるんカンパニー』で、小山田いくvsとり・みきの漫画内抗争は当時の名物でした。そしてもうひとつは内山亜紀『あんどろトリオ』。これら3作品からぼくは叙情性・コメディ・ロリコンをそれぞれ学びとったわけであり、その後の自分をみるにつけなんという運命的な出会いだったのかとあらためて衝撃を覚えます。