考察コンテンツの基礎づくり・その1「数えよう」

 「こういうコンテンツが読みたい」という文章を書く気はないし、「自分はこういうつもりでコンテンツ作ってる」というのはすでに書いたので、久々に「自分がコンテンツを作るときのやり方」について書いてみるの巻。ただし考察限定です。

 ぼくの考察の作り方については、10年も前に「あんよ流・考察の書き方」としてまとめています。そこで示した考え方や作品に向き合う態度などは、今でもぼくが考察を書くさいの大前提となっているため、とくに付け加えることはありません。

 ただ、もう少し基礎的な作業としてぼくが実際に何をやっているのか、そこからどんな発想が生まれてくるのかについて、2回くらいで述べてみようかと思います。それは表現力や論理的構成力といった訓練を通じて伸ばす必要のあるもの(あるいはセンスで決まってしまうもの)とは異なり、おそらくほとんどの人が現在の能力でこなせるはずの作業です。

 

 というわけで初回のテーマは、「数えよう」です。

 

 ぼくのいくつかの考察の価値は、他のファンが誰もまともに数えようとしなかった作品内事象をきっちり数えてリスト化・数値化するという、この一点のみで成り立っています。数えることのメリットは、例えば次のものなど。

(a)誰か頭のいい人が面白いことを読み取ってくれそうなデータを提供できる。

(b)自分や世間の先入観が正しいかどうかを実際の数値でチェックできる。

(c)登場人物や状況の実態・変化を数値で可視化できる。

(d)さらにそこから、隠れた登場人物の成長や事態の構造・推移を浮かび上がらせられる。

  具体例にそって見ていきましょう。

 

 

1.「『シスター・プリンセス』キャラクターコレクション一歩手前」

 

 執筆公開は2004年ですが、最初のデータ収集は2002年5月。つまりアニメ版シスプリ考察よりも前なので、ネット上でのぼくの考察作業はこれが第一歩ということになります。

 どんな作業をしたかというと、シスプリのキャラコレ全12巻の中でそれぞれの妹が兄を呼んでいる(可憐なら「お兄ちゃん」)回数を調べたものです。なぜそんなことをやろうとしたかは、よく覚えてません。ぼくは漫画作品なら主要人物の登場コマ数とか数えたがる人間なので、同じように衝動にかられていたはずです。ただ、その前後でキャラコレテキストの行数やハートマークなども数えてたので、それらのデータや相互比較によって各妹の特徴(つまり作者による12人の一人称テキストの書き分けポイント)が明らかになるのではないか、と期待していたのでしょう。

 この、たんに数えただけのデータをいくつか提示しておいたところ、友人が統計処理とグラフ化を行ってくれたおかげで、分析っぽい基盤ができてきました。これが上の(a)にあたります。データを分析する頭がなくとも、数えることさえできればファンダムにとって面白い考察の足がかりになることは可能なのです。

 また、当初の予想では、兄が登場しない話よりも登場する話(とくにデートやお泊り話)のほうが兄を呼ぶ回数は多いと考えていましたが、実際に調べてみると兄不在時の可憐(第1巻第4話)が兄を呼ぶ回数がべらぼうに多いと判明しました。おかげで可憐についての認識を正すことができたわけでして、これが上の(b)にあたります。

 

 

2.「アニメ版『シスター・プリンセス』初期の危機とその超克 ~第3話の2つの表を手がかりに~」

 

 ぼくの考察の記念すべき1本目です。

 ここではまず、作品中に描かれた「当番表」と「<お兄ちゃんと一緒>表」をもとに、それぞれにおける各妹の担当回数を数えました。当時、ネット上でこの作業をしていたファンはいなかった(ただし同人誌ではすでにあり)ので、誰でも参照できるデータを提示するというだけでも価値がありました。ただし本考察ではぼく自身、このデータを2つの分析に用いています。

 1つは、妹達の当番回数からそれぞれの年齢設定を読み取るというものです。シスプリの妹達の年齢は公式設定がなく原作やゲームでも上下関係が様々なのですが、このアニメ版第1作での隠された設定をつかむことによって、その後の共同生活における年齢相応の役割分担などを首尾一貫して読み取るための手がかりが得られました。そして、この当番回数が年齢に応じて決められているということから、妹達が兄と新たに始める共同生活の義務をできるだけ公平に分かち持とうとしているのだと結論づけました。

 もう1つは、妹達が兄を独占できる時間が決して公平に分けられていないという事実の指摘です。眞深の分がすべて四葉に回されたため、四葉だけが得してるのですね。表を見て妹達の名を数えるだけで、このことを明らかにできたわけです。

 これらは、データから兄妹たちの共同生活の実態とその特徴を明確化したということであり、上の(C)にあたります。ところがこの2つの分析を合わせてみると……というのは次回のテーマなのでここでは省略しますが、その部分がつまり(d)にあたります。

 

 

3.アニメ『ガールズ&パンツァー』にみる後継者育成と戦車道の諸相 アンツィオ高校篇 

 

 たとえ表や図などで作品中に描かれていなくても、数えることで気づくことはたくさんあります。そしてその発見が作品愛をさらに深めることも、いっぱいあります。

 このアンツィオ考察の終わり近くでは、副隊長ペパロニが隊長アンチョビを「ドゥーチェ」と呼ぶときと「姐さん」と呼ぶときを数えています。隊員たちが「ドゥーチェ」と連呼する場面が印象的な一方、ペパロニは両方の呼び方をしていたので、ふと(2つの呼び方を何らかの理由で使い分けてるかも?)と気になり、確認してみたのですね。

 すると、回数は2:4で「姐さん」呼ばわりのほうが多いと分かりました。また、ここでそれぞれの台詞や状況を比べてみたところ、ペパロニが直情的な場面で「姐さん」呼ばわりが出てきやすいのではないかと見当をつけました。逆に言えば、彼女が副隊長として冷静になろうとするとき「ドゥーチェ」呼ばわりなのではないか。

 この仮説にたってペパロニの他の言動を再確認していくと、試合中の彼女の意識の揺れ(つまり(d))が浮かび上がってくるとともに、優花里に語った軽口が隊長への愛慕の念を秘めたものだったことに気づかされたのです(つまり(c))。

 もちろんこれは、ぼくがそう見たからそう見えるたぐいの解釈かもしれません。しかし、ペパロニの台詞に現れる隊長呼称を数えるという単純作業の結果として、ぼくはその前よりもはるかに深くペパロニやアンツィオの面々を好きになることができました。

 

 

4.「『ハートキャッチプリキュア』堪忍袋の緒が切れるまで」

 

 台詞に登場する特徴的な言い回しなどを網羅するという作業については、この考察が極北でしょうか。キュアブロッサムの「私、堪忍袋の緒が切れました!」という決め台詞に注目して、各話の犠牲者の悩み・敵幹部による批判や非難・プリキュアによる反論をリスト化したのがこれです。

 ただし、当初ぼくは(とりあえずリストを作ってみるか)という軽い意図で、録画をチェックし表に並べるだけで済ませていました。ところが、この表だけこしらえた段階で公開したところ、キュアブロッサムを揶揄する反応がいっぱい届いたのですね。ぼくのまとめ方がまずかったせいなんですけど、そういう反応や敵幹部への賛同などは、ブロッサムの態度をよしとするぼくの本意にまったく反します。データ表現の不備によって世間の誤解を招いたという意味で、これは(a)と(b)の明らかな失敗例でした。

 そこで慌てて自分の主張をはっきり示すため、前後に考察スタイルの文章をどっさり加筆したものが現在のものです。加筆箇所ではデータ分析を行っていますが、その視点はプリキュアと敵幹部の価値観の対比にあり、これに基いて両者の意見対立をいくつかの類型にまとめています。この類型化と対比の結果、犠牲者に対する敵幹部の批判・非難は視聴が思うほどの正当性がないことが明らかとなり((c)と(d))、これによってぼくは自ら招いた作品への誤解を自ら解いたわけです。

 

 

5.「『ベイビー・プリンセス』公式日記における姉妹の相互言及」

 

 先の4.と同じく特定の言い回しなどを取り上げたもののうち、それを数値化して分析した考察といえばこれが随一。べびプリ公式日記の中で19人の姉妹それぞれが、自分の担当回に他の姉妹の名を綴っている回数を調べたものです。

 これは冒頭に書いてあるとおり、大好きな長男にあてた日記なのにそこでわざわざ他の姉妹の名を出すというのは、よほどその姉妹に対して関係が深いことの表れではないか、という仮説に基いています。(なんでそんなこと思いついたのかについては、また後日。)

  さて、実際に1年分の日記をもとに回数を数えリスト化したところ、他の姉妹の名前を出す回数が多い者・少ない者や、他の姉妹に名前を出される回数の多い者・少ない者がいることが分かりました((a)としての生データ化)。ただし各人の日記担当回数にはわりと差がありますので、その数値をもとにして、「回数の多い・少ない」という「言及数・被言及数」を「頻度の高い・低い」という「言及度」に変換してみました。

 すると、たんに回数をみただけでは分からない姉妹それぞれの傾向が浮かび上がってきたのです(自分にとっての(b))。これによって姉妹をタイプ分類しつつ、この枠組みを用いて各人の日記内容を読み返すことで、類型と個性とを組み合わせた各人のより深い理解ができるようになりました(つまり(c))。

 さらにぼくはこのアプローチを翌年の日記でも用いることで、長男が家族の一員に加わった1年目の姉妹の態度と、だいぶ馴染んできた2年目の姉妹の態度とを比較し、そこに様々な変化を確認することができました。(d)にあたる収穫です。

 

 

 以上いくつかのサンプルをもとにして、「数える」というじつに簡単な作業によってどういうことができるのかを確認してきました。数えて意味があるのかどうか分からないこともあるでしょうが、当初の予想や仮説が外れたとしても、それは「データ的に根拠がない」という事実を明らかにできたということなので、決して無意味ではないのです。同じような言説がふわふわ現れて耳目を集めたときに、そのデータを示してきっちり否定できます。

 もちろん「データを公開するだけではパクられて終わりだ」とか「せっかく手間暇かけて調べたのにもったいない」と思われるのであれば、自分なりの分析を付してもよし。ぼくもだいたい自前の考察を行ってるわけですし。

 ですが、もしも皆様の好きな作品のファンダムがパクリや安易な揶揄・非難を生まないと信頼できるものであるならば、あるいは特定の他者にデータをうまく活用してもらえるという確証があるならば。その作品について数え調べた生データをそのまま公開することも、十分に価値あるものだと思います。そのデータは自分の手をいったん離れたのち、やがて他の人々の手を通じて作品をより豊かに味わうための道具に鍛えられて、再び戻ってきてくれるのですから。そしてまた、逆に他の人が調べてくれたデータを用いるときには、当然の敬意を払いルールを守ってしかるべきです。

 そうやって作品理解や作品愛を互いに拡大深化させていく最初のきっかけは、(こんなの数えて意味あるのかな……?)と思いながらも調べてしまったあなたのデータにあるのかもしれませんよ。