かつてやらかした者のひとりとして

 いま国内で、対応するどころか事態を把握するのも間に合わないという不安感や焦燥感が、広がってるような気がします。そのひとつの表れが、トイレットペーパーなどを慌てて買い求めるという行動。すでにマスメディアでも「デマ」によって惹起されたものだと報道されてますし、業者方面からも心配しないようにと伝えられています。しかしそれにもかかわらず、あるいはそういう情報に触れることでかえって不安をいだき、店に駆けつける人々もいるのかもしれません。

 さて、ここでぼくが久々に日記を書いているのは、(デマは何より問題だとしても)そういう行動をとってしまった人々を批判したいがためではなく。そういうことをしちゃった後で、自分の行動をどう振り返るといいかを考えたいよね、と記しておきたかったからです。

 というのも、ぼく自身が過去にその手の行動をとってしまった経験があるからです。

 

 だいぶ前に、国内でとある大災害が発生したときのこと。ぼくの住む地域では直接の被害は生じていなかったものの、毎日その最新情報が伝えられてきていました。戦争中やパニック時の人々の心理についてそれなりに本を読み学んできたつもりでしたので、こういうときは根拠不明な情報に惑わされず、心を落ち着かせて日常生活を維持し、公的機関を通じて可能な範囲で募金を、などと自制しようとしていました。ある段階まで、それはうまいことできていたのです。

 ところが、とある親しい人とようやく電話がつながった折に、その方よりも被災地に近い場所に住む別の知人のことが、えらく心配だと話をされてまして。最初は(信頼できる情報を根拠に)いやーそこまで心配しなくても、と返事していたぼくでしたが、だんだん相手の感情を自分の中にも移し入れていき、電話を切る頃には「分かりました、ぼくの方からいろいろ送っておきますよ。電池とか」と自ら申し出ていたのです。

 いや、すぐには届かないから、届く頃には迷惑な荷物になっているから。配送業者さんにも負担かけるので、やめたほうがいいから。

 そういう声は、自分の心の中に聴こえていました。しかしそれにもかかわらず、あるいはそういう声にかえって急かされるようにして、ぼくは店に駆けつけ、あれこれ購入し、ダンボール箱に詰めて発送したのです。

 

 まぁ馬鹿の所業です。ぼくは自分の信頼できなさを信頼している人間ですが、その理由の一端はこんな経験にもあります。

 こんなことしてから数日と経ずして、ぼくは自分の愚行にあらためて気づき、しばらくぐったりしてました。ある程度は知的で物事を客観視できているはずの自分が、被災地に住んでるわけでもなく自分にとって緊急性のない状況下で、こんなパニック的な行動を選んでしまい、止められない。さすがに参りました。

 そしてそれから、マスメディアやネットでこの手の行動が批判され嘲罵されるたびに、ぼくはいたたまれない気分に陥りました。それは、気恥ずかしさや後悔というだけでなく、うるさいお前らに何がわかるんだお前らだって同じことやらかすかもしれないんだ、という鬱屈した感情も、多分に含み込んでいました。

 いや、そりゃこんなの開き直りもいいところですよ。やらかしたのが自分なのは間違いないし、他人を攻撃しても何も解決しません。でも、まるで世間が自分を追い詰めているかのような、どこにも逃げ場がないかのような、そういう被害者意識が、たしかにそこにあったのです。そして、そんな感情や意識がどれほどみっともないことであるかを分かっていればこそ、ますますドロドロとしたものが腹に溜まっていくのを、実感せざるを得ませんでした。

 

 もしかすると、いまトイレットペーパーを買い求めに走り回る人々も、やがてそういう気持ちを抱くのかもしれません。

 だから、まだ軽率な行動に出ていない人を止めるための啓発も大切だと思う一方で、すでにやらかしてしまった方々に向かって、ぼくは同じやらかした者の一人として語ることも意味あるのでは、と思います。

 その経験を忘れずにおこうよ、次のときにこの経験を活かすことで自分と他人を救おうよ、と。

 やっちゃったことはもう事実だし、開き直って他人を責めたってドロドロは消えません。自分に都合よく忘れることもできるかもしれませんが、そうすると似たような事態に直面したとき再びやらかす可能性が高いでしょう。それは自分にとっても他人にとってもあまり幸せとは思いにくい。なので、今回やらかした原因などを自分なりに分析して、次の機会には(ああ、こういうとき自分はこうしがちだから)とブレーキをかけられるような手立てを、いまから準備しておくのが得策ではないでしょうか。それは他人に迷惑をかけないためでもあるし、焦りだしそうな知人友人を引き止めるすべを手に入れるためでもあるし、何よりそうすることで、ああ過去の自分の失敗はこうして肥やしにできたのだなぁ、と自分自身を癒やすためでもあります。

 

 もちろん、そうやって肝に銘じたつもりでも、人間は何度でもやらかすものかもしれません。ぼく自身がわりと最近も、趣味の世界でブレーキをかけずに軽率な憶測をやらかしています。そして、そのことを忘れずいつでも思い返せるようにと、日記に自戒の一文を挙げました。

kurubushianyo.hatenadiary.jp

 ただ反省を繰り返すばかりでは無意味ですし、自分の今後の成長にあまり期待できないところでもありますが、それでも何とか這いずってでもこれらの失敗経験を活かしたい、と思ってきています。今回の問題について、ついったー上でデマを飛ばさないよう注意したり、信頼できる情報・報道に言及したりしてるのも、過去の反省を踏まえてのことです。ただ、それが焦燥感の裏返しとしてやたらめったらな言及行為となりかけてたことに気づき、またもや反省してもいる塩梅。おちつけ自分。おちけつっつのぱー(パタリロ)。

 なので、もし今回やらかしてしまった方がおられましたら。ご同輩のしんどさはそれなりに共感できるところですので、お互いこの経験を思い出してはのたうちまわりながら、いつかのために(もしかすると明日からでも)活かせるようにしておこうではありませんか。そして、活用のための何かいい方法がありましたら、ぜひご教示いただければと願います。