ねっとねっとー。びょんびょん

 こちらを読みながら。

 

anond.hatelabo.jp

 

 自分に引きつけて考えれば、ああいう「大人」になりたくなかったのか、それともなりようがなかったのか、その両方ということかもしれませんが。ともあれ結果として、世間とうまく折り合いをつけられない部分をかかえたままとりあえず何とか生きていられるというのは、いろんな方面に感謝するところです。

 その感謝を向ける先のお一人に、この匿名の方がいることは間違いなく、ぼくがサイトを始めたのも、この方&相方様のサイトに公開されていたテキストを読んで衝撃を受け、掲示板に恐る恐る書き込んだのを暖かく迎え入れていただき、やがて自分もこういう場所を作って自分の思うままのテキストを公開したいと思い始めてのことでした。その当時から交流していただいてる方々や、自分のサイトを通じて関わりを得られた方々のおかげで、今もこうして好きなことを書けているわけで、本当にありがたいことです。

 

 ただ、これがもしもその方々との交流が、例えばコミケなどの場で直接お会いすることから始まったとしたら、その後の状況はまったく異なっていたでしょう。というか、ぼくはコミケなどにほとんど行かない。オフ会にも数える程度しか参加していない。趣味系のサークルに入会したこともないし、ともかく不活発で出不精なたちなのです。初対面の人(しかも複数の)と話すことも苦手すぎるため、いまネットご近所の方々といきなり対面していたなら、ぼくは何も話せず、そのままフェードアウトしていたに違いありません。かつて実際に別の場所でそういう経験がありますし。

 そういう壁を、つまりインターネットが取っ払ってくれたわけですね。もちろんネット上でもお互いの顔を見せながら交流できる時代ですけれど、そういう身体性というか生っぽさをできるだけ感じさせずにただ文字だけで自分の好きなことを伝えられる、誰かのそういう表現を受け止められる、交流できるというのは、ぼくのような人間にとって夢みたいなことでした。まぁ漫画・アニメなどの趣味世界には昔から文通などの手段もあるんですけれど……手紙は無理。サイトの日記は書けても文通や交換日記は無理。開き方の違いなんでしょうかね。ネットだと手書き不要で手間がかからないのも大きいはずですが、これで絵を描けたならまた広がる世界もあったのでしょう。

 

 そんな面倒くさがりの人間が、顔も知らない誰かのテキストを読んだことをきっかけにして自分のテキストを公開し始め、そのテキストがやがてまた別の見知らぬ誰かに読まれて何かを感じてもらえる。もしかしたらその誰かもまた、きっかけを得て発信し始めるかもしれない。そういう偶然の連鎖がインターネットの面白さ、ありがたさだと思っていますし、たまに自分の過去のテキストを読んだ方の反応に気づいたりすると、自分がかつて受け取ったものを送り届けていけてるのかな、と少々嬉しくなります。もっとも、それが一種の呪いである可能性もなくはありませんが、インターネットとそこで生まれた言葉によって「救われているだれか」の一人として、しみじみよかったなぁと思うのです。