ガルパンアンツィオ考察を公開しました

 こちらでお伝えしてませんでしたが、6月10日に「アニメ『ガールズ&パンツァー』における後継者育成と戦車道の諸相・その3 ~アンツィオ高校篇~」を公開しました。いやぁサンダース以上に時間がかかりました。よろしければご笑覧ください。以前のOVA感想を元にしつつ、さらにあれこれと発見を盛り込んでます。

ガルパンサンダース考察を公開しました

 オタ自分史が途中で止まったままですが。

 「アニメ『ガールズ&パンツァー』にみる後継者育成と戦車道の諸相・その2 ~サンダース大学付属高校篇~」を公開しました。年明けあたりに書き上がるはずだったんですが、ずいぶん時間がかかったうえに文章も増量。聖グロ篇ほどではないですけれど。よろしければご笑覧ください。

オタクとしての自分史その7

 アニメ版シスプリとの出会いをきっかけに、オタクとしての自分のあり方を組み立て直せたにもかかわらず、逆にそこで獲得した立ち位置を守るために迷走しだして疲れてしまった2008年半ばまでのぼく。このときの日記中断は、しかし年末までに終わりを告げました。そのきっかけとなったのは、2つの出来事です。

 

 1つは、有村悠さんに『涼宮ハルヒの憂鬱』考察について言及していただいたこと。承認欲求をめぐる議論の中でついでにハルヒ受容が事例的に扱われたんですが、そこでの「これほどの愛情と深さを兼ね備えたハルヒテキストを、ぼくはほかに知らない。」という一文が、ずいぶん嬉しかったものです。「真剣に作品に接する」ことにこだわる方からこのように評されるというのは、アニプリ考察についてMK2さんから「これほど凶悪な愛情をひとつの作品に捧げた例を俺はほかに知らない。」という言葉をいただいたときと同じく、貴重なことなのです。いやー、図らずもこのお二人から「ほかに知らない」とまで言われるというのはもうね、えへへ(自慢)。サンフェイスさんを筆頭とするネットご近所の「このひとにはかなわない」と感じる方々から褒めてもらえた時も、だいたいためらいなく舞い上がりますね。そんなわけでここで少々、ネット上でまた活動してみようかという欲求が頭をもたげ始めました。もっと褒めてー頑張るから褒めて―、という幼児性の発露。

 ところで作品への「愛」というのは、ぼくが感想や考察を書くさいにちゃんと込められているかどうか注意してますけど、最近のガルパン関連の文章に対してもぼくなりの作品愛を読者の方が感じてくださってるのを拝見すると、ほんと安心します。ああ、まだぼくは大丈夫かな、えらそうに歪んでなさげだな、と(今さっき自慢してたくせに)。自分の知性の限界ゆえに「深さ」はなかなか宿せないにせよ、「愛」はあるだけ表現しちゃえばいいものですので、これについてだけはオタクとしての姿勢の是非を、つまり幼い自己承認欲求が作品愛を越え出てしまっていないかを、毎度確認できるわけです。舞い上がるのは止められないので、ブレーキに片足乗っけておくという塩梅でしょうか。

 

 もう1つの出来事は、再びどっぷり浸れる作品が登場したことです。そう、『ベイビー・プリンセス』(以下べびプリ)です。

 この作品は、シスプリの企画母体である『電撃G'sマガジン』にて開始された誌上企画です。その目玉はなんといっても、シスプリと同じ原作者である公野櫻子がテキストを担当されるということ。そして登場するキャラクター達は、19人姉妹。どーん。12人の妹達を越えていく企画が同じ雑誌上で、しかもシスプリ原作者の一方によって担われていくというのですから、シスプリファンダムの最後尾にいたぼくにとって、その正統後継作品を最初から享受できるというのは、それだけで心躍る大事件のはずでした。

 ただ、このニュースを知った当初は、サイト管理に疲れていたこともあり、自分から何か反応しようという気になかなかなれずにいました。しかしそこに上述の被言及が重なって、反応コメントをした勢いでこの新作品にちょっと関わっていこうか、という流れとなったわけです。

 さてこのべびプリですが、なんと公野櫻子による姉妹の「長男との交換日記」がネット上で日々連載されるという、とてつもない偉業に着手されました。平日のみならずイベントによっては祝祭日も、だったと思いますが、ぼくも更新されるのを毎日チェックしながら驚嘆していたものです。もちろん、その内容もじつに豊かで暖かく、きょうだいの生活の姿に自然と惹きこまれていったのを覚えています。何しろシスプリファンとしてどの作品が一番好きだったかといえば当然アニメ版第1作だというぼくのことですから、「共同生活のはじまり」「深化しゆくきょうだい関係」「姉妹の相互支援と葛藤」といったアニプリの諸要素を直系で受け継ぐべびプリに、転ばないはずなどなかったのです。しかもそれは「共同生活の日常化」という、いわばプロミストアイランドの「その後」をも期待させてくれるものでした。

 そしてこの公式の交換日記は、ぼくの日記再開にとっても、ある意味ありがたい存在でした。姉妹各人の日記内容について感想や簡単な考察を記すことで、ぼくはほとんど毎日の自分の日記を満たすことができるからです。事実、多少の断続がありながらも、ぼくは交換日記へのコメントをしばらくの間書き続けていきました。お休みの日には例えばニチアサがありますので、だいたい毎日埋められる格好。日記更新の習慣が、こうして再開する運びとなりました。

 

 サイト管理者として再起動すると同時に、アニプリ考察者としての視線がこのべびプリにも向けられていきます。シスプリべびプリの比較というのは素直に気になるところですし、ネット上でもその視点であれこれ言われてもいました。また、公式の交換日記の内容についてぼく自身の日記でその都度解釈しつつ楽しんではいましたが、交換日記が姉妹各人ごとにある程度蓄積されていけば、当然それぞれの担当した日記を全体としてまとめてとらえ直し、そこから姉妹各人の性格や相互関係を読み取ることが、可能となるに決まっています。

 そこでぼくは、シスプリとの比較はべびプリのゲーム版・アニメ版が登場した頃合いでがっつり行うことにして、まずべびプリそのものに向き合うために雑誌を買い始め、さらに満を持した考察である交換日記1年目における姉妹の相互言及を公開しました。つまり連載1年後を迎えるまでは、日々の日記を通じて考察視点を準備していたわけです。

 この考察を見てみますと、対象テキストの数値的特徴を実証的に分析するというのは、シスプリキャラコレ分析ですでに用いていた手法です。また、その数値的特徴とテキストの具体的描写とを関連づけて各登場人物の個性や相互関係を浮かび上がらせるというのは、やはりアニプリ第3話考察で試みたやり方です。まさに文字通りの「昔取った杵柄」。地味にコツコツとデータを集めながら、またアニプリのあの頃を知る方々から反応をいただくたびに、ああ帰ってきた、ここに帰ってきたんだ、としみじみ実感していたのを覚えています。

 

 ところで今しがた、自分の日記(日々の短文)と考察(独立して切り出した長文コンテンツ)との役割分担について記しました。当時もそのへん書いてますが、ぼくは日記ではその時感じたこと・考えたことをとりあえず記録しておく場として用い、その後じっくり腰を据えて作品鑑賞しながら検討したことを考察としてまとめるようにしています。なので、日記で書いたことが考察では否定されていることもたびたび。

 また、この頃よく目にするようになったブログについては、例えばはてな村の習俗がどうとかいうことよりも、ブログでいっぺんに書ける文字数・行数など様式上の制約に、ぼくの関心が向きました。日記をこのはてなブログに移行した今でも、こないだのガルパン聖グロ考察は従来と同じくブログ外の独立コンテンツとして自サイトに掲載してます。やはりぼくとしては、日記と長文考察とは役割を分けておきたいものですし、いろいろ制限のあるブログでは、書きたいだけ書けることが必要な考察を公開できません。そういうフォーマット的な問題で、ブログはじっくりした検討には向かないんじゃないのかな、と思ってます。個人的には、これがテキストサイトをブログが追いやった結果として生まれた、様式上の制約が思考と表現の縮減をもたらすというマイナス面です。

 

 さて話を戻しまして。こうしてぼくはべびプリのおかげで、再びサイト管理者・考察者として作品愛に基づく活動を再会できたわけですが、しかしその勢いはべびプリの企画終了まで持続できませんでした。一応、この頃ぼくがとくに好きだった作品を挙げておきましょう。

 

 ・2008年:『ベイビー・プリンセス』『Yes!プリキュア5 GoGo!』『マップス ネクストシート』(開始2007年)『とらドラ!』(小説、開始2006年)

・2009年:『フレッシュプリキュア』『鋼の錬金術師』(漫画、開始2001年)

・2010年:『ハートキャッチプリキュア

・2011年:『THE IDOLM@STER』(アニメ)『スイートプリキュア』『海賊戦隊ゴーカイジャー

 

 好みの傾向は相変わらずですけど、日記に感想を綴ることがこの時期の後半でまたもしんどくなってきました。例えば『ハートキャッチプリキュア』はシリーズ中でもとりわけ好きな作品で、DVD揃えたし決め台詞についての考察なども公開してるほどですが、にもかかわらず終盤の視聴感想を日記に書いておりません。それほどにサイト更新意欲が再び減退していたわけです。

 その理由としてやはり何より大きいのは、実生活での疲労やオタク体力の弱まりです。こう、色んなことが億劫になってくるという、この傾向は今もなお進行中です。

 しかし、こういう自分自身の状態に対して、べびプリという作品が両極端な作用を及ぼした、ということも当時を振り返った意見としてあえて述べておきたいと思います。一方の作用はすでに記してきたとおり、ぼくの気力を奮い起こさせたというもの。もう一方の作用が何かというと、それは、「共同生活の日常化」の表現への倦怠感をもたらしたというものです。

 もちろん、これはいち読者としてのぼくが勝手に感じたものであり、作品自体がどうこうという話では本来ありません。ただ、ぼくが公式日記の1年目と2年目を比較検討した結果をふまえれば、作品そのものの展開の中に若干の要因を認めることもできます。それによれば、2年目の公式日記に見られる変化は、長男も含めた共同生活の日常化と、長男に対する姉妹の態度の積極化を意味していました。しかし、姉妹が長男へより強く指向したことの反面として姉妹同士の言及が減少したり、また騒動を淡い恋愛意識のレベルで発生させることが多くなったことの裏返しとして年少者が取り残されたり、といった状況も生んでしまっていました。

 アニプリの何がよかったかって、どの妹も平等に描かれていた(航も全ての妹を贔屓なく大切にしていた)という点でした。雑誌連載でも人気投票こそあれど、各妹が等しい機会でメインに据えられていたはずです。このへんは、原作・ゲーム版・アニメ版のそれぞれで兄妹関係の描き方に違いを設けており、ファンの求めるところに応じて多様性を確保していました(リピュア考察1にて詳述)。これに対してべびプリでは、公式日記は姉妹各人の担当機会こそほぼ平等でしたが内容的に偏りが生じた一方で、雑誌連載も次第に年長者中心となりました。小説版がヒカルをメインヒロインに据えているのは、小説という媒体の性質上うなずけるところです。しかし、小説版がヒカルなので公式日記は氷柱、雑誌連載はその二人も含めた年長者&麗、となってしまうと、それ以外の姉妹が脇役になったかのように感じてしまうわけです。雑誌連載の漫画版は、そのあたりバランスとれた描き方をされてて大好きでしたが……。とくに年少者が不利益を被りやすい理由については、べびプリにおける時間の流れに一つの原因があるということを両作品比較にて述べましたけど、ぼくの好きな姉妹の一人が1歳児の青空なこともあり、彼女たち年少者が騒動の中心にほとんど置かれない光景というのは、「共同生活の日常化」をあまりに一面化していないだろうか、と思われたのでした。

 先にも触れたように、これはぼくがアニプリ的な共同生活を観たかった、という個人的な事情ゆえの感想です。公式日記を読みだして半年程度でこういう2クールアニメ版を捏造しちゃってますけど、そこでも姉妹全員をできるだけ平等に登場させようとしてるくらい。自分自身に関しては、両作品を結びつけて捉えすぎた結果、べびプリという作品そのものと向き合うという基本的姿勢が、最初から揺らいでしまっていたということなのかもしれません。結果として、ぼくはべびプリに最後までつきあうことができませんでした。公式日記はその完結まで読み続けましたし、雑誌も連載中は購読していましたし、小説版も最終巻刊行をずっと待ち望んでますが、当時のぼくは公式日記3年目考察のデータを揃えながらも文章を書き上げられず、とうとう公開しなかったのです(3年目データはここにありますが、付属の考察文章の大部分は2年目のものから未修正です)。

 

 こうして再びサイト更新から離れていったぼくが、しかしネットでの書き込みをやめたわけではありませんでした。つまり2008年頃にTwitterでの呟きを開始し、今でも続けている塩梅です。思いついた短文を手間いらずで公開できる、というその簡便さ・安直さが、ある程度考えまとめたうえで更新作業するという日記と比べて、疲れているときでもやめずにすむという長所と感じられました。また、IRC的な風情(実際まったく違うけど、タイムラインだけ見てれば閉鎖空間と錯覚できる)や、ふぁぼりという方法ですぐに肯定的反応が得られるというあたりも、日々の意欲を維持するのに効果的。サイト日記でもTwitterでの呟きのいくつかを選んで転載したりもしましたけど、それも億劫になった2010年後半以降は、すっかりついったらーになってしまったのでした。

 さてしかし、そんなぼくがなぜ昨年になって、わざわざこのはてなを使い出したのでしょうか。(続く)

オタクとしての自分史その6

 ぼくにとって2002年はアニメ版シスプリ考察の年、続く2003年は同じくリピュア考察の年でした。さらにこの時期、シスプリファンダムによる独自のシスプリ継承企画「シスター・プリンセス・メーカー」に横ちょから関わらせていただいたり、シスプリのパロディコンテンツをいくつか公開したりと、ぼくのオタク的活動の中心にはつねにシスプリが存在していました。その締めにあたるのが、2004年の夏冬コミケでの考察本(冬は改訂新版)刊行ということになります。その節はあまのさん・利休さんをはじめ、皆様お世話になりました(礼)。

 とはいえ、やはり他の様々な作品にもぼくは関心を示していました。2003年からの5年間、とくに好きだったものを挙げれば以下のとおりです。

 

・2003年:『GUNSLINGER GIRL』(漫画、開始2002年)『よつばと!』『ローゼンメイデン』(アニメ・漫画、漫画は開始2002年)『マリア様がみてる』(小説、開始1998年)『涼宮ハルヒの憂鬱』(小説)

・2004年:『ふたりはプリキュア』『Rance VI ―ゼス崩壊―』
・2005年:『おねがいマイメロディ』『ふたりはプリキュア Max Heart』『ふたつのスピカ』(漫画、開始2001年)『魔法先生ネギま!』(漫画、開始2003年)
・2006年:『ふたりはプリキュア Splash Star』『涼宮ハルヒの憂鬱』(アニメ)『戦国ランス
・2007年:『Yes!プリキュア5』『まなびストレート!』(アニメ)『びんちょうタン』(漫画、開始2003年)

 

 これ以外の作品もあれこれ楽しんではいたんですが、傾向としては次第に縮小というか元々狭かったというか。ただしサイト管理者としては、アニメ版シスプリに特化した立ち位置から、他作品についても考察するサイトへと踏み出した時期でもありました。そのきっかけとなったのが、『涼宮ハルヒの憂鬱』です。

 このライトノベル作品については、刊行当時ネット上で議論といざこざが発生しており、ぼくは最初は傍観者として関係各所を巡回していました。しかし、いざこざに対する夏場薫さんのご指摘に反省した結果、ちゃんと自分で読んだうえで作品の是非を判断しよう、と思い直したのです。そこで実際に読んでみて大いに気に入り、日記にて感想や考察を書き始めたのが2003年の夏でした(当時の考察は後にまとめてます)。

 これは、ぼく個人にとって、今まで避けてきていた作品をめぐるネット論争への参加を意味していました。いや、アニプリ考察だってそういう面も持ちあわせていたはずですけど、そこでは激しい議論とかいったものはあまり経験しなかったし、主にファンダムの中だけを意識していられたのですね。一方ハルヒでは、作品への好悪も解釈も様々に提起されている状況だし、出たばっかの作品に安定したファンダムも何もないわけです。そこへ自分から飛び込みにいったというのは、まぁアニプリ考察でよほど自信がついたということか、それとも最初は日記での感想書きでしたのでハードルが低く感じられたということなのか。少なくとも、SFか否かといったジャンル論やライトノベル批評などについて無知でありながらも、アニプリと同じように作品を愚直に見つめることで自分なりに受け止めた作品の姿を語ることはできる、と考えていたのでしょう。そして実際に、頑張ったなりの結果が得られたと感じました。

 同じようにして、『ローゼンメイデン』やニチアサなどのお気に入り作品についても、日記で感想を綴ったり、ぼくが引っかかった箇所について突っ込んだミニ考察を書いたり、ということを習慣化していくのが、だいたいこの時期。そういった作品を視聴してない時の日記内容は、ネット上での話題への言及とか小話とかご近所とのやりとりとかで満たされていました。それはそれで日々の習いとなってましたし楽しかったのですけど、やりがいというか手応えというか、そういうものはそれなりに力を入れた考察などのときに得られるもので、アニプリ考察以来ぼくが味をしめたことは間違いないところです。

 

 この流れの中でぼくは、同人誌寄稿のお誘いをいただいたり、いずみのさんから刺激を受けての『魔法先生ネギま!』考察をいくつか公開したりしました。それぞれ楽しく、また作品をより深く理解する機会としてありがたくもある作業でした。

 しかし、考察などのリストを見返すと、2006年から2008年までの間、他所様の同人誌への寄稿を除くと特定の作品についてじっくり考察したものが公開されなくなっていることが分かります。つまり、この時期のぼくは、自分のオタクとしてのあり方を発見したはずにもかかわらず、とことんこだわる対象作品を見いだせなかったのです。

 もっとも、実際にこだわりを示した作品はありました。『涼宮ハルヒの消失』は腰を据えて考察しようとずっと思っていましたし、日記で『まなびストレート!』についての議論に参加したこともありました。ただ、『消失』の考察をまとめあげて公開するのは2010年になってからですし、他の作品については独立コンテンツとして書ききっていないままです。

 

 記憶するところでは、当時のぼくは、けっこう迷っていたような気がします。

 まず、ひとりのオタクとして、どかんと入れ込む作品が見つからないことに迷いました。好きな作品はあれども、ここで自分の中の比較対象となってしまうのがアニメ版シスプリなわけでして、それと比べればなかなか全力を注ぐに至らないんですね。もちろん無理に注ぐ必要もなく、日記で綴っていたように自然体で作品を享受していればいいんですが、そこで別の問題が生じていました。

 それは、サイト管理者や考察者としての、つまりネット上での自分の立ち位置の維持のために、新たな作品を求めていたけど得られなかったということです。サイトが自分の好きな作品について自由に語る場でしかないはずなのに、一度得てしまったと思えた考察者としての評判を気にするようになり、定期的に何か書いて公開しなければならないのでは、と感じ始めてしまったわけです。周囲からの期待を勝手に想像して、それに応えるのが自分の役目、といった煮詰まり方。評価して下さった方々への感謝が裏返ってしまったと言うか、まぁ自意識過剰が不安と増長の間で加速したんですね。それと、ここでサイトの勢いを失うのは惜しい、というような欲が出たという。

 なのにこのタイミングで、ぼくの気力体力が明らかに衰えつつあるのを自覚してしまいました。日常生活でもそうですが、オタク生活のうえでも、例えば新しいものへの関心がますます弱まってきたり。作品に長時間向き合うことにいっそう疲労を感じてきたり。テレビはほとんどニチアサだけ、漫画はすでに馴染んでるものかすぐ馴染めるものだけ、ノベルゲーのプレイがじつに厳しくなった時期です。オタクの老化現象を自ら体験しつつあったという次第ですけど、この変化は考察を書くのに想像以上にでっかい壁となりました。アニプリの頃のように朝晩で2本完成させるどころか、1章をまとめることさえ持続集中できなくなってきていたのですから。

  これは、いわばオタクEDという感じの衝撃をぼくにじわじわと与えました。ごめん……今日は疲れているんだ……。しかしびんびんな日はもう二度と来ないのではないか。いや、これは自分のせいじゃないんだ、刺激が十分でないだけなんだ。本当に入れ込める作品にさえ出会えれば、すぐにまたあの頃と同じように……。

 しかし、そんな日は来るのでしょうか。というか、自分のオタクとしての若返りのために、またネット上での自分の立ち位置(と感じたもの)を守るために作品を求めるというのは、ぼくが作品と向き合う誠実さをまったく損なってしまうものではないでしょうか。それは、作品それ自体を享受するためでなく、別の目的の道具として利用することにほかならないのですから。ここにおいて、オタクとしての自己をようやく形作れたはずのぼくは、皮肉にもそのことによって守りの姿勢を生み、かえってオタクの本分を失いかねない状態に陥ってしまったのです。

 

 そんな最中、『涼宮ハルヒの憂鬱』がアニメ化され、大きなブームを生み出しました。それはたしかに、エヴァなどに比べれば思春期にさほど一撃を与えない作品であり、こだわりの薄いファンダムの産み手だったかもしれません。カジュアルで屈託ないアニメファン層というものを可視化させる契機だったのかもしれません。ですが、ぼくにとってハレハレを「踊ってみた」とかは心底どうでもよくて視界に入っておらず(もちろん踊るのが楽しい人はそれを自由に楽しんでいいに決まってる)、ただ問題なのは、ぼくが作品にどう向き合うかのみだったのです。

 当時の日記では『憂鬱』をぼちぼち視聴して感想を書いてますしDVDも揃えましたが、しかしじっくりした考察はすでに3年前にすませちゃってますし、そこから新たにはみ出る大きな何かを発見できてもいません。そんな状態でアニメ作品に向きあおうとしたとき、ぼくはどうしても過去の自作の考察を思い浮かべ、参照してしまいます。するとどうでしょう、「あの頃のぼくはよく書いた」「馬鹿ですね自分」という(自虐も含んだ)過去の栄光への回顧みたいなものがじくじく滲みだして、いまの自分を作品にぶつけることがますます難しくなるではありませんか。「はてなブックマークでそれなりの数を集めた」コンテンツだったという事実も、この時のぼくには負の効果をもたらしていました。これだけ注目されたんだ頑張ったえらかった、と自らを慰められたからです。

 このあたりで、いわゆる承認欲求のきしみやサイト管理疲れが無視できないものとなるわけでして、実生活との兼ね合いもあって日記は溜めがちになり、内容も軽くなり、マンネリと枯渇が生まれました。サイト5年説とかあったような気もしますが、そのサイクルにまんまハマってるとも言えます。実生活でも飽きっぽい自分がほとんど唯一続けてこられたのがサイト管理だったということもあって、毎日なるだけ頑張ろうとしていた記憶もありますが、2007年後半からついに日記をしばらく中断することになったのでした。サイトなんて息抜きなんだから、疲れたら素直に休んでしばらくしたらまた再開すればいいんですけど、息抜きで息詰まるとやはりしんどいものです。

 

 以上、あくまでぼく自身の迷走について記してきましたが、ここであえて外部の要因も言い訳にしてみますと。

 例えば『憂鬱』考察『消失』考察を比べると、前者が当時のネット上での議論をもとにして書かれているのに対して、後者はメールでの意見交換をして下さった方を除いて、他所様の解釈・感想に対する明確な言及がありません。これは、ぼく自身があまり探していない結果でもあるはずですが、それと同時に、『消失』について独自の解釈を個人サイトで公開している目立った方がいなかった、という印象があります。今でも検索してみると、まず出てくるのは個人のつっこんだ解釈ではなく、どこも似たような「2chまとめサイト」だったり、作品そのものにどっぷり浸かるのではなくエヴァと比較しながら時代を示す作品として位置づけるものだったり、どこかのアニメ批評家の真似事だったり、が多いのです。

 あくまで個人的な感触ですが、だいたいこの頃あたりから、つまりまとめサイトが繁殖し、ブログが流行し、PVを集めるための「ライフハック」的記事が多発する時期から、アニメなどに関しても「私が作品自体をどう理解したか・どう味わったか」についてではなく「なぜ◯◯は人気が出たのか?」「なぜ✕✕は売れなかったのか?」といった位置づけ文章が目立っていった気がします。そして内容がだいたい薄かったり根拠なかったりという。さらに、その手の記事が個人ニュースサイトでも取り上げられる比率が、どんどん高くなっていったように思います。『カトゆー家断絶』は更新終了時まで掲載バランスを保っていたはずですが、現在では各所ニュースサイトでまとめサイト系へのリンクばかりが並ぶ有り様。これに対して『駄文にゅうす』は、ほんと昔と変わらぬ視野の広さと視点の確かさです。

 オタクのカジュアル化というものが進行しているのかどうかぼくには分かりませんけど、少なくとも自分が作品と向き合って考察するさいに他の方々がどのようにされているのかを確かめたとき、「PV至上主義」「薄さ」「メタさ」「自分の棚上げ」の浸透というものをたしかに実感してきました。2007年時点の日記でもそういうこと書いてますし。

 それはたんに、ファンダムが拡大したから濃ゆい人達が目立たなくなったのだとか、検索上位を占領されただけで実際は以前のまま存在しているのだとか、そういうことなのかもしれません。あるいは、ぼくが絡みやすいタイプの人達が表に出なくなっただけで、アニメ批評などはちゃんと真面目に盛り上がっているのだ、ということなのかもしれません。はたまた、テキストサイト時代は自分をネタにすることでPVを集めたけど、ブログ時代は他人や状況をネタにすることでPVを集める、というウケ狙い・アクセス稼ぎの手法の違いにすぎないのかもしれません。

 しかし、作品を自分できちんと受け止めずにまとめサイトの恣意的な「世評」に乗っかることに、ぼくはどうにも耐えられません。まとめの中に興味深い指摘を発見することもままありますが、まとめた者自身の作品感想がはっきり示されていないような代物は結局「チラシの裏」未満の「チラシの表」にすぎません。なんだかんだでやはりぼくは、自分がみたままの(せめてそうだと感じられるところの)作品の姿をまず大切にしたいし、ある個人が作品をどう見たのかを知りたいのでしょう。

 そしてそれにもかかわらず、上で述べてきたように、自分がその原点を見失いそうになったことはじつに残念なことでした。(続く)

オタクとしての自分史その5

 さて、いよいよ2001年放映のアニメ版シスプリ(以下アニプリ)についてです。じつは、この作品にぼくがここまで入れ込むというのは、相当に紆余曲折あってのことでした。結果的に見れば、まぁそうなるよね、という感じもしますけど。

 例えばアニプリ放映当時のぼくは、どれみなど少女キャラが多数登場する作品を好んで観ていました。それ以前の90年代後半もほぼ同様です。しかし、それらの作品はいわゆる美少女アニメではなく、女児向けに丁寧に作られたものばかりです。登場人物たちの個々の成長や相互交流、そういったものをきちんと描いてくれている作品を、ぼくは選んで観ているつもりでした。それに対して、いわゆるハーレムものと呼ばれるような作品は、ぼくにとってまず避けたくなる存在だったのです。

 ここで例に出すのも失礼ですけど、『天地無用!』(1995年)をぼくはまったく視聴していません。ちゃんと観ていれば気に入ったかもしれないんですが、第一印象が悪すぎた。つまり、「可愛い女の子が主人公を取り囲む」という番宣の印象が、それだけで媚びというか露骨な売り方を感じさせ、拒絶する理由になってしまったのです。

 もっとも、特定の登場人物に転げてしまえば簡単に視聴し始めるのもぼくであり、例えばスレイヤーズのアメリアなんかがそうですね。それでもアニメ版スレイヤーズの場合はわりあい王道的な物語が展開したこともあり、「ともかく美少女キャラを売り込もう」というふうには受け止めなかったわけです。

 要するに、可愛い少女が登場するアニメ作品を観たいけど、お話がいい加減なのは耐えられない。意地悪く言えば、「お話がしっかりしている」という言い訳のもとで、安心して美少女キャラを眺めていたい。そんな態度ということになるでしょうか。

 それではアニプリはどうであったかと言えば、当時の評価はさんざんなものだったはずです。いわく作画が酷い、お話が破綻している、山田氏ね、等々。続編の『シスター・プリンセス Re Pure』(2002年)Bパートがかなり原作準拠で(じつは結構そうでもない、というのは考察しましたが)高評価を得ていたことからしても、ファンが待ち望んでいたアニメ化ではなかった、というのがおおよその捉え方だったと思います。

 そして、上に記したぼくの視聴傾向からすると、いわゆるハーレムアニメの一つに数えてもおかしくない設定であることは間違いありませんから、普通であればそれだけで拒絶されて当然です。しかし、そうはならなかったのです。

 

 ぼくがシスプリに出会ったのは、友人の美森氏の家で『電撃G'sマガジン』付録か何かと思われるシスプリのキャラカードを「これを見ろ」と渡された時でした。炬燵に入っていた記憶があるので、2000年初頭あたりでしょうか。ファンになったのは最終盤でしたけど、出会いそのものはわりあい早めだったわけです。しかしその時のぼくは、「ああ、またこういう大勢の美少女キャラで攻めてくるような代物が。しかも妹12人とか、意味不明だしあざといな」と冷ややかに感じながら、とりあえず手の中のカードを1枚ずつめくっていきました。

 すると、そこに。可憐がいたのです。

 その絵はたしか基本立ち絵でしたので、オフィシャルキャラクターズブックをお持ちの方はp.30をお開き下さい。そう、その絵です。この可憐という少女に、ぼくはひと目で転んだのです。運命の出会いとか美化するまでもなく、ぼくはこういう姿形や服装にほんと弱いんですよ。つい最近もデレマスの島村さんにやられました。ただし、この時はまだ1枚の立ち絵だけでしたし、誌上企画での内容を知らなかったので物語性に惹かれることもなく、また「こんなあざとい企画にうかうか乗っかるわけにはいかぬ」という抵抗もあって、美森氏の「で、誰」という問いに「この可憐て子」と答えたものの、しばらくそれっきりになりました。ちなみにこのとき可憐の次に心揺さぶられた妹は雛子。案の定というか。

 

 それから約1年後、アニプリ放映開始となりましたが、ぼくの地域では観られませんでした。そのとき、づしのお二人がわざわざ録画テープを送ってきて下さったのです。ただし、このときのメインは同じく放映地域外だったコメットさん☆(これもDVDを買ったほど大好きな作品)の録画であり、アニプリ第1話はそのついで(というか奇襲兵器)として同封されていたのですね。ぼくはまずコメットさん☆をありがたく観させていただいたうえで、覚悟を決してアニプリを視聴しました。

 なんだこれは。

 初見では、前半かなり辛かったのを覚えています。コメディ……なのか、それとも……。あざとい萌えアニメ……なのか、それとも……。あと山田うざい。こんな感じで、その異様な導入にどうしていいか分からなかったわけです。

 ところがそのとき、可憐が空から降りてきました。

「お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん

 終わった。

 いえ、お話としてはなお辛いんですよ。あざとさやしょうもなさの印象を拭い去ることはできていないんですよ。でも、そういうの次第にどうでもよくなってきたのです。ああ可憐が動いてゆ。可憐が笑ってゆ。えへへ。第1話の可憐は、その後登場する花穂・咲耶・雛子に比べると抑制的で、あまり活き活きとした人格を感じさせません。だけど、それもとりあえず後回し。航の顔をハンカチでふいてあげている場面などで、可憐のアップ笑顔を見つめてぐんにゃりしている自分がいました。

 もっとも、これだけでアニプリに墜ちる理由が生まれたわけでもありません。何度か繰り返し試聴するなかで、可憐以外の描写にもさらに目が向けられていきました。航はいかにも受験キャラだけど、花穂に励まされて素直に感謝しているし、雛子の面倒を彼なりにしようとしてもいる。可憐や咲耶にデレデレするのもまぁ年頃の男子らしい。そして花穂や雛子は相応の子供らしい。これはもしや、それなりに真面目にこしらえてる面もあるのだろうか、と。

 いやいや、ぼくが当時そこまできっちり考えていたはずはありませんけど。むしろ、「こんなあざといはずの作品にはまってしまいそうな自分」を予感して、そうじゃないんだキャラに惹かれたんじゃなくてお話がよかったからなんだ、とか言い訳を早速探そうとしていたのかもしれません。それにしても、ここからぼくが自ら放映を追っかけようと努力することも、アニメや原作(本誌連載)やゲームの情報を集めようとすることもなかったのです。相変わらず動かないオタクでしたので、このまま行けばひょっとするとアニプリへのこだわりは消えていたかもしれなかったくらい。

 ところが、美森氏が親切かつお節介にも、第2話以降の録画テープを時折送ってきたのです。実際には2クール目の途中から録画に失敗していた模様で、ぼくが観られたのはたしか第3話から飛び飛びで第15、6話あたりまでと第24、25話だけ。しかし、そこまで観てしまえば、航と妹達がしだいに関わりを深めていく様子と彼ら個々人の変化、そして終盤2話分における燦緒による共同生活崩壊の危機を、知ることができます。最終回の大団円への関心もさることながら、ぼくはここで、この作品が自分にとって好ましい物語であることを、認めたのです。

 

 翌2002年、ぼくはDVD第2巻(第3-5話収録)を購入しました。アニメ作品のソフトを購入することも、当時のぼくにはきわめて稀なことでした。なぜ第1巻から揃えなかったかというと、第2巻のほうが3話分入ってるし、物語が展開するのもここからだし、もしじっくり視聴し直して気に入らなかったなら継続購入を止めるときでもお得感があると考えたからです。まだはまってるとは言いがたいですね。しかしその一方、前年末までにはすでに脳内家族に可憐と雛子が加わっています。とっくにはまってるとも言えますね。

 要は脳味噌とともにお金の使い方がだんだん緩んできたというわけで、この頃はシスプリのアニメ・ゲームムックや原作キャラクター・コレクションなどを買い揃え始めています。5月8日からは、その直前の連休に購入したキャラコレなどを一気読みしてますね。

そして5月12日には、キャラコレのハートマークの数を妹ごとに調べてます。5月17日には妹が兄を読んだ回数を。5月20日には行数を。我ながら何やってんのか心配になりますが(手遅れ)、おそらくだんだん分かり始めたシスプリの世界を、ぼくなりにどうやって楽しむか・より深く理解するかを模索していたのだと思います。

 ……いいえ、それは事実の反面にすぎません。この頃ぼくは、可憐に、自分の妹になってもらおうとしていたのです。5月7日の段階で、ぼくは「どうやったら可憐さんを妹にできるのだろう」などと記しています。この人……可哀想に……(鏡を観ながら)。このへん、じつに頭の悪い背景があったんですけど、もう説明するのも億劫です。つまるところ、ぼくは可憐の兄として認めてもらうために、アニプリ第3話考察を書き出していたのでした。可憐が好き。アニプリが好き。世間では低評価だけどそんなに悪くない作品なんだよ。ということをまとまった言葉にすることで、そこまで深く理解しているぼくだから可憐の兄として認めてもらえるよね、という気持ち悪い理屈でしょうか。我ながら血迷っている。ちなみに、DVD揃えて全話視聴できたのは7月下旬なので、この段階では物語の結末を知らないままで突っ込んでたわけですね。

 

 そのアニプリ第3話考察ですが、公開当初のものがこちら。この内容について身近な方々からご意見をいただき、それを元にしつつ修正したのが現在のこちらです。

 比べてみると、根拠ある作品内描写(ここでは当番表と<お兄ちゃんと一緒>表)を具体的に分析することで人物関係における何らかの意味を見出す、という方法論は共通。これまでやってきたキャラコレの数える作業とか、そういう頭悪くてもできることをコツコツ積み重ねて、そこから見えてくるものを提示しよう、というわけです。これは、批評系の鋭さを持ち合わせないぼくにとって、また作品を既存の枠組みや固定イメージに無理やりはめこんで評論してしまうことが嫌いなぼくにとって、ようやく獲得できた地味で着実で作品をぼくなりに尊重した理解の深め方でした。

 ただし、公開当初の内容では、たしかに2つの表をもとに妹達の関係についていくらか検討しているものの、それは結局は、いい加減なつくりの作品と評価されがちなこのアニプリが、2つの表に示されるように相応の論理をもって組み立てられているのだということを主張したいがための分析にとどまっていました。結論不明という意見をいただいたのも当然です。

 そこから大幅に修正した現行の内容では、第3話のなかで<お兄ちゃんと一緒>表を妹達が作成しながらも最後に破棄しているという事実をふまえて、兄妹関係や妹同士の関係の変化とその論理を読み取ろうとしています。表という作品内ガジェットと、物語の展開そのものとを、より丁寧に結びつけようとしているわけです。ここでようやく、共同生活とか妹達の葛藤と相互扶助とか航の兄への成長とか、そういった今後の考察の基本的視点がはっきり認識されていきました。つまり、アニメ作品を人物達の相互関係と成長において理解していくというぼくの視聴姿勢が、ここで考察スタイルのなかにしっかり根を下ろせたことになります。そしてこのスタイルによって、ぼくは、考察しながらその対象作品や登場人物達の新たな魅力に気づき、いっそう好きになることができるようにもなれたのです。

 ありがたいことに、アニプリ考察は公開当時あちこちで紹介していただき、様々なご意見も寄せられました。なかには厳しい批判もあったわけですが、それらを含めてぼくの書いた作品考察に反応をいただけたことは、とても嬉しいことでした。そのうえ、ぼくの考察を媒介としてアニプリに関心をもってもらえたり、評価をあらためていただけたりしたことは、想像もしなかった驚きであり幸福でした。それは、作品からぼくがもらった楽しみに対する、ぼくなりの作品への恩返しが僅かなりともできたように感じられたからです。もちろん考察者としてのぼく自身が褒められたという承認欲求を満たされる気分もありましたし、そこで舞い上がって失敗もしましたが、「この考察を読んで、もう一度観てみたくなった」「いっぺん観てみるか」という言葉を目にすることが、本当に嬉しかったのです。

 

 思えば、ネットご近所の方々にIRCで考察を公開前にチェックしていただけたことも、相当助かりました。問題箇所を指摘してもらえたこともそうですが、好意的に読んでくださるそのこと自体が、公開に向けてずいぶん勇気づけられたものです。あのIRCの閉鎖性はいま使ってるTwitterでは得難いもので、ネットへの露出はやはり段階的に行うのがいいと実感しつつ、感謝してます。

 また一方で、あれだけ各所で考察を紹介していただけたのは、シスプリのファンダムが活発だったことに加えて、個人ニュースサイト全盛期だったことも影響しているのでしょう。『カトゆー家断絶』をはじめとするその発信力たるや。公開のたびにあちこちで取り上げてもらえたことで、ぼくのサイトではとうてい届かないはずの方々にまで広く伝わったのはじつに大きかったと思います。

 ネットの状況といえば、だいたいこの頃から、ぼくがそれまで巡回していた多くのえろげ感想サイトが次第に更新を停止し閉鎖していきました。それはテキストサイトが廃っていくのと重なるようにして、なのかもしれません。そうなった理由は、たんにあの頃活躍していた方々が社会生活に入っていったから、なのかもしれません。ともかくもこの流れは、ぼくにとっては、えろげ界隈からアニメ・漫画方面へと(あくまでネット上での)重点をずらすことを促しました。とくにぼくが葉鍵以外のノベルゲー(いわゆる抜きげー以外のそれら)を滅多に購入せず、葉鍵にしても『To Heart』『CLANNAD』までしかプレイしていないようなえろげーまーですので、今木さんたちのブログなどを例外とすれば、最近のノベルゲーやそのライターについての批評などには一切関心を寄せずにきています。もちろんえろげ自体はずっと遊んでるんですよ。実用面重視で。

 

 こうしてぼくはアニメ版シスプリと当時のネット界を通じて、自分の作品への向き合い方やネット上でのあり方を再構築していきました。考察時に作品と向き合う基本姿勢や方法論については、後の日記でごく簡単に、考察の書き方でもっとややこしくまとめてます。自意識がこじれ何事も中途半端な一人のオタクが、やっとのことで自分に合った表現方法を得たのであり、アニプリがぼくをいっちょまえのオタクへと一歩近づけてくれたのでした。裏返して言えば、足抜けするタイミングを失っただけかもしれませんが……足抜けできるとしたらですが。また、何が一人前の条件かよく分かりませんけど、好きな作品について百万字近く綴ったというのはそれなりの専心ではないかと思ってます。

 さて、しかし時代はすでに2002年。しばしば最近年の転換点として挙げられる『涼宮ハルヒの憂鬱』アニメ化の2006年までもう一息です。この前後の状況について、ぼくの視点から書いていくことにします。(続く)

オタクとしての自分史その4

 エヴァ以降の90年代後半について語る前に、再び当時のぼくが好きだった作品を列挙してみましょう。今度はアニメだけでなく漫画も含めています。そして、この時期から重要な位置を占めてくるようになるもう一つの分野も。そう、えろげです。

 

・1996年:『鬼畜王ランス

・1997年:『ケロケロちゃいむ』『勇者王ガオガイガー』『夢のクレヨン王国』『からくりサーカス』『To Heart

・1998年:『カードキャプターさくら』『魔法のステージファンシーララ』『ONE 〜輝く季節へ〜』

・1999年:『おジャ魔女どれみ』『To Heart』『メダロット』『あずまんが大王』『クロノアイズ』『ONE PIECE』(連載開始は1997年)

・2000年:『おジャ魔女どれみ♯』『AIR』『Kanon』(発売は1999年)

 

 だいたいこんな感じでしょうか。学生時代ほどの余裕はとっくにありませんから、毎週視聴するアニメ作品は増えようもなく、しかも新たな趣味としてのえろげプレイにいっそう時間を奪われていったのがこの時期です。

 ぼくがえろげに出会ったのは、友人宅にあった『コンプティーク』の「ちょっとHな福袋」でした。たしか『ドラゴンナイト』や『闘神都市』の特集だったはずで、それまでの二次元美少女趣味がパソコンの世界へと羽ばたいた瞬間です。しかし何といってもハード・ソフトともに高価でしたので、実際に自分で購入しプレイするのはしばらく後のこと。それでも1992年には『同級生』『マーシャルエイジ』『妖獣倶楽部』(発売は1990年)、1993年には『痕』『妖獣戦記 -A.D.2048-』シリーズ『Rance IV -教団の遺産-』などをプレイし、月刊『パソコンパラダイス』も読み始めてました。

 えろげーまーとしてのぼくは、「えろい」「ゲームとして面白い」「ひんぬー」の3基準で作品を選び続けてきています。そして、一度はまったゲームは何度も繰り返しプレイするたちです。結果として、アリスソフト作品に費やした時間はいかばかりかと……。子供時代にファミコンを近寄らせなかった反動でこんなことになったのでしょうか。いや、あの頃そんなもの入手してたら同じように没頭していたことでしょう。

 もちろん、そういう「アタリ」ばかりでなく、数多くの「ハズレ」作品で火傷を負いながら、ぼくは自分のえろげー眼を養っていったわけです。もっとも、どれだけ評価が高くとも買わなかった名作も『遺作』『YU-NO』など少なくなく、その一方でさほど人気がなくても自分好みの作品を見つけては悦に入っていたものです。どれだけのお金を注ぎ込んだのかは計算しないことにしていますが、この時期以前に固定収入を得たことで趣味への出費がどんぶり勘定になっちゃっていたこともよくなかったですね。

 そんなわけで、おおよそこの時期は、えろげーという新大陸を開拓するのに忙しく、アニメ・漫画のほうはせいぜい従来どおりという状況でした。

 

 さて、このえろげーを遊ぶためにパソコンを購入したということは、同時にネット環境も手に入れたということを意味しています。このとき以降、ぼくは無限に広いワールドワイドウェブの中で、えろげー関連サイトというきわめて狭い地域を日常的に探索することになりました。そして、そこで発見したのは、しょうもないことを全力で表現する人々の勇姿だったのです。

 いわゆるテキストサイト時代の風景については他所にお任せするとして、ぼくがよく訪問していたえろげファンサイトについて記します。それらは大雑把に言って2つのグループとして把握していました。1つは、いわゆる抜きげーのファンサイト群。もう1つは、いわゆる泣きげーのファンサイト群です。

 前者の代表格は、『エロゲカウントダウン』『国際軽率機構』。ぼくが知らない・知ってても手を出さないものも含めた数多くのえろげ作品について、サイト管理者自身の趣味嗜好によって一点突破全面展開するその感想などの文章を、ぼくは日々楽しみ、憧れてました。憧れというのは、自分でも好きな作品についてこんなふうに自由に表現してみたい、というものです。

 後者の代表格は、『CLOSED LOOP』『アシュタサポテ』『魔法の笛と銀のすず』。こちらでもやはりサイト管理者の色が自由に迸っていましたが、前者に対して批評系・考察系の文章が多く、感想と入り混じって公開されていました。こちらに抱いたぼくの憧れは、こういう感性や知性でもって作品を享受できたなら、というものです。

 そしてこの2つのグループをつなぐ位置に『死刑台のエロゲーマー』があるという塩梅ですが、ただし銀すずは批評系というより感想メインのサイトでしたので、抜きげー中心じゃないけど姿勢は前者グループに近かったかもしれません。

 まぁ結局はどちらもしょうもないことなんですよ。たかがえろげにそこまで真剣に向き合うことは本来無意味です。でも、彼らがそれぞれのやり方で示してくれた真剣な遊び方・楽しみ方、その作品が好きだからここまでやっちゃうよという情念の発散ぐあいに、ぼくは「粋」を見出して惹かれていたのです。それは、不徹底なオタクという自覚のあるぼくにとって、ワナビー的な欲望の表れだったのかもしれません。だからといって自分でサイトを開こうとか、そこまでいかずとも掲示板に書き込んでみようとかは、一切できずにいましたけれども。そこはやはり受動的な人見知りの限界です。

 

 そんなネットサーフィンならぬネット巡回を日々の習いとするうちに、ぼくはとあるサイトに辿り着いていました。

 そう、『づしの森』です。

 おそらくしのぶさんや今木さんの言及リンク経由だったか、また『ONE』などの感想を探し求めての発見だったかと思うのですが、このサイトでのMK2さんと箭沢さんの文章を読むうちに、「なんだこれは」とその異様な力強さに引きずり込まれていったのを覚えています。とりわけMK2さんの文章は、好きな作品に対する情念のたけを、それまでのぼくが知らなかった圧倒的な質量でぶん回してくるものでした。そこには批評系テキストの分析的な視線もあるんだけどそれが目的じゃなくて、ひたすら自分自身が作品に向き合って何を感じ取ってしまったかを縷縷テキスト化しているものでした。感想、といえば感想なんだけど、他の感想系サイトのそれとは明らかに臭いが違う。唯一しのぶさんのとは似ている面がありましたが、それでもやはりラオウとトキみたいに違う。

 書かれていることの大半は、ぼくにはよく分かりませんでした。しかし日参するうちに、ますます引き込まれていきました。そしてそのうち、なんか分かってしまったのですね。テキストの意味やこのサイトのお二人のことが、ではなくて、このサイトは妙に居心地がいい、ということが。もとよりお二人がさかんに掲示板への書き込みを歓迎していたということもあります。そこで実際に変態アットホーム空間が構築されていたということもあります。ですが、今まではそれでも書き込みを躊躇していたであろうこのぼくが、ついに個人サイトの掲示板に書き込んでしまった初めての場所が、このづしだったのです。

 そこで得た数々のご縁はいまでもありがたく、多くの方々とネット上で交流を続けさせてもらってますし、また合同同人誌にも参加させていただくなど、ぼくのオタク的活動の幅がぐんと広がるきっかけとなりました。そしてえろげー作品感想などを自分なりに書いてみたりと、ぼく自身が好きなものについて自由に語ることを、このとき以来あまり怖がらなくなっていきました。このあたり、づしの掲示板で温かく受け入れてもらえたことが、本当に大きかったんだなーと感じます。もうね、すんごく嬉しかったんですよ。ええ。要するに寂しがり屋の人見知りだったというわけですが、30代男性ではまったく可愛くない。

 

 とはいえこの時期のぼくが文章にしたものの中には、本当にこだわっている作品についての感想は含まれていません。書いて楽しい、書きやすいものから取り掛かっていた、ということはあります。しかしその一方で、『ONE』や『AIR』をはじめ、単純に「好き」というだけでなく引っ掛かりを覚えてしまった作品について、ぼくは正面から文章を書くことを明らかに避けていました。

 そこには、近づきを得たサイト管理人の方々のような誠実さや鋭さで作品に向き合えないという、ぼく自身の能力への自信のなさや、がっかりさせる(厳しく評価される)ことへの不安がありました。また、当時のぼくのテキストが獲得しつつあった「軽さ」という味と、これらの作品へのぼくの湿った情念とが相容れず、うまく言葉にできなかったということもありました。そしてもしかすると、今までのぼくのオタクとしての中途半端さに目を向けるならば、ぼくが意識のうえではそこからの脱却を望みながらも、しかしそこに留まることで得られる曖昧さへの安心感を、捨てられずにいたのかもしれません。書いたものをそれなりに楽しんでもらえながらも、何か閉塞感に行き当たったのが、この時期の終わりの頃なのです。

 そういう内弁慶な優等生根性がはじけ飛ぶ時を目前にしていることに、ぼくはまだ気づいていませんでした。ついに幕を開けた21世紀、その最初の2年間にぼくが好きになった作品を並べてみましょう。

 

・2001年:『Cosmic Baton Girl コメットさん☆』『シスター・プリンセス』『も〜っと!おジャ魔女どれみ
・2002年:『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』『シスター・プリンセス RePure

 

  そう、シスプリとの遭遇です。とにかくぼくのオタク生活は、彼女達と出会った時から、ガラリと音を立てて変わってしまったのです。そして、それは、これからも。(続く)

オタクとしての自分史その3

 さていよいよエヴァの衝撃。と言いたいところですが、ここで90年代前半にぼくがほぼ定期視聴したアニメ作品リストを確認してみましょう。当時とりわけ好きだった作品には◯をつけてます。

 

・1990年:『からくり剣豪伝ムサシロード』『キャッ党忍伝てやんでえ』『◯NG騎士ラムネ&40』『◯魔神英雄伝ワタル2』『魔法のエンジェルスイートミント』(ナディアは不定期視聴)
・1991年:『きんぎょ注意報!』『ゲッターロボ號』『◯ゲンジ通信あげだま』『◯絶対無敵ライジンオー』『タイニー・トゥーンズ』『トラップ一家物語』『魔法のプリンセス ミンキーモモ
・1992年:『宇宙の騎士テッカマンブレード』『風の中の少女 金髪のジェニー』『◯伝説の勇者ダ・ガーン』『◯花の魔法使いマリーベル』『◯美少女戦士セーラームーン』『◯ママは小学4年生
・1993年:『恐竜惑星』『◯美少女戦士セーラームーンR』(アイアンリーガー、ムカパラ、マイトガインは不定期視聴)
・1994年:『◯赤ずきんチャチャ』『美少女戦士セーラームーンS』(グルグル、ジェイデッカーは不定期視聴)
・1995年:『新世紀エヴァンゲリオン』『◯飛べ!イサミ

 

 おや、エヴァに◯がついていない……。どういうことでしょうか。

 

 この頃、とくに好きで単行本を揃えていた漫画作品をいくつか挙げてみると、藤田和日郎うしおととら』、長谷川裕一マップス』、椎名高志GS美神 極楽大作戦!!』、聖悠紀超人ロック』(スコラ社の再編集版)など。上で◯つけた作品と共通する点としては、好きなタイプの女の子が登場してるとかを除くと、いわゆる少年漫画的な熱さ(うしおやワタル2やライジンオー)、コミカルさと王道の結合(美神やセラムンやイサミ)、でかいSF的スケールと人間の営みの結合(ロックやマップス)といった塩梅です。そういうのを好んで試聴していた、そして今なおしているのがぼくというオタクなのです。というか、ごちゃごちゃ内省的になったりイヤな「リアル」風味で飾りたてたりする作品群に食傷してたのです。

 すると、そういう人間にとってエヴァは馴染み難い作品だったのか? でも、観始めてからは最終回までほとんど漏れなく視聴してたことは間違いありません。レイの初めての笑顔に撃ちぬかれたとか、いろいろ事情はありますけど、作品全体としてやはり気になる存在だったことは確かです。これ結局どうなるんだろう、と。

 ところで、先ほどの共通点のうち、最後のSF云々のものについては、該当するアニメ作品が例示されていませんね。はい、ここがエヴァに対するぼくのためらいということになります。エヴァも作品世界やテーマのスケールは大きかったのかもしれませんが、TV版最終回まで視聴したかぎりでいうと、風呂敷をたためていませんでした。まぁそれは映画版で、ということだとしても、あの作品にはぼくが好んで観たがるような人間の営みが描かれていません。あるいは、マップス世界のゲンやロック世界のヤマキ長官たちが存在していません。責任を担おうとする「大人」が、そしてその「大人」に抗いながらも学んで自分なりの担い方を模索する「若者」が、いなかったり最後まで頑張れなかったり。最終回できっとなんかやるだろうとぎりぎりまで期待していたシンジがああだとか。そここそがエヴァの同時代的価値なのだと言われればそれまでですが、ぼくはそういうの苦手なの。ロンギヌスの槍よりもスターティアにしびれるの。これは作品の優劣というよりぼくの好みの問題です。

  なお、『マップス』に出会ったのがおそらく1992年頃。ちなみに長谷川裕一作品に初めて出会ったのが1991年に雑誌『COMICクラフト』掲載の『童羅』というのはここだけの秘密。それはさておき、TV版最終回では「あー、これはこれで」と妙に腑に落ちた気分になりましたし、映画版エヴァ(テレビで観た)のラストではそれなりに風呂敷閉じた感をいただきました。

 

 さて、エヴァの物語がぼくの趣味嗜好と合わなかった一方で、エヴァをめぐる当時の活発な論争にぼくが興味を抱かなかった理由が別にあります。とても単純な話で、つまりネット環境がなかったという。あの頃はパソコン通信でしたっけ、テレホーダイの時間帯に掲示板のやりとりをダウンロードしておき、回線外してからゆっくり内容閲覧するとかなんかそういう。友人がやってたのを数回見せてもらったことがありますが、そういう新しいメディアなどに食いつくのが遅いうえ動くの面倒なぼくですから、言うまでもなく自分でネットにつなごうなんて思いもしませんでした。そして、そのダウンロードされた内容を横目で見た程度では、あの論争なるものを追っかけようとか、まして参加しようとかいう発想は浮かばなかったのです。

 もちろん、エヴァ視聴中にぼくなりの疑問を抱いたり、いわゆる謎について考えてみたりしたことは多々ありました。かつての『ムー』の読者ですし、死海文書だの生命の樹だの出てきて引っかからないわけがないのです。オカルト・軍事・美少女といった要素には簡単に食いついたうえで、しかし同時にどこかどうでもいいという冷めた感覚があったことは事実。

 なぜかといえば、そういった謎めいた要素そのものの解釈よりも、シンジたちがどうするのか・どうなるのかのほうがよほど気になったからです。作品世界を構成する要素は、登場人物の運命に関わる点においてしか意味をもたない。というのが、作品を楽しむさいのぼくの基本的姿勢です。彼らが行動する理由やきっかけ、その結果をもたらす要因、主題に向き合うさいの背景。それ以外の要素がいくらそれ自体として興味深かろうと、つまるところどうでもいい。ぼくにとっては、物語を楽しんだうえで味わってもいいおまけにすぎません。

 そういうぼくが読みかじったネット上の論争は、その「どうでもいい」部分にこだわっているように感じられました。そうでないものもたぶん少なくなかったんでしょうけど、わざわざ探す気になれませんでしたし。あるいは、ぼくがもっと若ければ、かつてイデオンに受けた衝撃のように、シンジたちから痛切な何かを受け取っていたかもしれません。しかし、実際はそうではなかった。ネットにかぎらず、雑誌記事や解釈本についても一切触れないまま、関連商品もまったく購入しないままに、ぼくはエヴァを他のアニメ作品同様に「野心的だったけど残念」という感想で片付けていきました。エヴァブームは、ぼくを巻き込まずに過ぎ去っていった台風だったのです。(続く)