『キボウノチカラ~オトナプリキュア’23~』を観て引っかかりを覚えたこと

 『キボウノチカラ~オトナプリキュア’23~』(NHK Eテレ)をだいぶ前に視聴したのですが、ずっと引っかかっていることがあるので、いつかあらためて考えるための材料としてメモしておきます。以下ネタバレ。

 

 NHK公式による最初のアナウンスには、「多様性が時代のキーワードとなり、自立的で選択的な生き方が模索される2023年―。」とあります。価値の多様性、持続可能な社会、女性の自立、そういったものを実現することの実際の難しさ、それでも一人ひとりにできることや皆で協力できることを探し求めて。そういう現代的なテーマを盛り込んで、「問題が解けない悩み」を消しゴムで消すことなくオトナとして向き合っていこうとするのぞみたちの姿を描くこと。作品全話を視聴して、たしかにその趣旨をしっかりと感じ取ることができました。

 その一方で、ずっと引っかかり続けてるのはなにかというと、つまり、元プリキュアが10名以上も登場しながらまだ誰も母親になってないの? ということです。咲・舞と元同級生の星野健太・優子がすでに結婚してて子供も育ててるので、メインキャラたちも結婚してておかしくはない年齢なのですが。

 もちろん、女性はみな結婚して母親になるべきだ、と言いたいわけではありません。しかし、育児者が一人もいないのって逆に偏っていませんか、という疑問です。時代のキーワードとして「多様性」を掲げながら、その「多様性」の中に結婚・育児は含まれていないかのような印象を最初に抱きました。あるいは、母親になることとキャリアウーマンになることが排他的であるかのような描き方だな、と。その二項対立はすでに『HUGっと!プリキュア』で、はなが突破していたのではなかったでしょうか。あるいは、多くのシリーズ作品の中でプリキュア少女の母親たちが、ごく当たり前のように両立させていたのではないでしょうか。

 

 とはいえ、その両立が現実の女性にとってそう簡単なものではない、ということもあるでしょう。女性への社会的圧力や制度的不備など、これはぼくたちの側の問題。

 あるいは、のぞみたちの中の誰かが子育て中だったなら、夜にああやって集まって一杯やることも難しかったかもしれない。また、パートナーが誰なのか直接描く必要がでてきたかもしれない。これは作劇上の問題。

 のぞみとココが結ばれる過程も本作品の大切な要素だから、仲間に既婚者がいると展開上うまくなかったのかもしれない。りんがパートナーと子育てなど分担しながら在宅デザイン業もがんばり、ぶつくさ言いつつ幸せそうで時々のぞみを焚きつける、みたいな姿を観たかった気持ちはあります。ところでこまちとナッツはどうなったんですかね。

 あと、例えばなぎさが子育て中だったなら、「うちの子が起きちゃうでしょー!!」とか叫んでパンチ一発でラストバトルを終わらせかねない。たいへんだ。観たかった気持ちは多分にあります。

 

 とまあ、ぼくのような視聴者でもぼんやり思いつく問題はあるし、テーマが散漫になってもいけない。スタッフは当然もっと入念に検討した結果として、メインキャラを既婚者・育児者という設定にしなかったのでしょう。

 ただ、街の未来を誰が担っていくのか、持続可能な社会が未来の誰のためのものでもあるのかを考えるとき、のぞみが学校で教えているクラス児童や、星野家の子供だけでなく、のぞみたちの中の誰かが自ら育てている子供が登場してほしかったと思います。その場合、我が子のためを思う親の視点と、街全体のためを考える視点とが対立してしまえば、さらに話が複雑になりかねないわけですが。それでもやはり、お母さんになることもまたひとつの「自立的で選択的な生き方」として模索しうるんだということ、そしてそこにまつわる諸問題にみんなで向き合っていく必要があるということを、直接描いてほしかったと思うのです。

 そう思うぼく自身の側に、何らかのバイアスが働いている可能性は大いにあります。しかし自分ではなかなか気づきにくいところなので、まずはこうして文章化することで客観視できないかという。また、先ほど『HUGっと!プリキュア』を挙げたように、『Yes!プリキュア5』『Yes!プリキュア5GoGo!』以降のシリーズ作品が様々な面でもっと先へと踏み出してきたことも、もしかすると今回視聴時の印象に影響しているのかもしれません。