ガルパンの大会出場校副隊長について・その2

 というわけで続き。プラウダと黒森峰です。聖グロとサンダースアンツィオ 戦車道ゲーム『ぱんつぁー・ふぉー!』

 

(2016/5/7追記:大幅に加筆修正したプラウダ考察を公開しました。)

 

3.プラウダ高校

 

 ガルパンの副隊長といえば、代表格はノンナ。それくらいの貫禄が彼女にはあります。DVDおまけ映像でプラウダの隊員の姿が豊かに描かれてましたが、副隊長と呼べるのはやはりこのノンナだけですかね。学園艦でダージリンをもてなしてるのもカチューシャのほかは彼女だけですし、試合中に別働隊を率いている副隊長格はいるのかいないのか分かりません。「ブリザードの」「地吹雪の」といった二つ名がついてるレベルの人は、さすがにいなさそう。

 カチューシャは前年度の決勝戦で黒森峰のフラッグ車(つまりみほの搭乗車)を撃破したそうですが、もともとの才能に実績が加わり、その自尊心が天井知らずといった感じ。実際にカチューシャの指揮能力や作戦立案能力は優れてますから、彼女を隊長に据えたワンマンチームになるのもやむを得ません。たぶん、自分が一番頭いいと思っていそう。一方で、カチューシャはそのちっこさにコンプレックスを抱いているようで、知性とは逆に幼い感情面とあいまって(ロシア的かどうかはさておき)暴君めいています。

 そこをフォローするのがノンナ。砲撃能力に秀で、冷静沈着でサポート能力も高そう。おまけに身長が高いので、カチューシャを肩車することで隊長のコンプレックスを一時的にせよ晴らせます。日常的にもカチューシャは、副隊長のノンナに感情を小暴発させることで安定を得られているようですし、また食事の面倒をみてもらったり子守唄を歌ってもらったりと、母性を感じてもいるようです。完全に子供ですね。しかもノンナの側もまた、趣味が「カチューシャ観察日記」であり……この、なんというか……ええ。お互いがお互いを必要としている格好でして……共依存? そこまではいかないですか。

 さて準決勝に登場した15輌のうち、3輌を序盤で撃破されるという展開ですが、これは隊長の想定内。フラッグ車を囮にし、2割の損耗を計算にいれたうえで、大洗女子を包囲殲滅しようという作戦です。みほも味方の損害を冷静に受け止めますし囮も用いますけど、カチューシャはもっと冷徹な思考を味方に向けてる気がします。天才であり昨年度優勝の立役者たる自分にひたすら従順、自分の思うとおりに操ることのできる駒。言うこと聞けなければ「シベリア送り」ですし。ただ、大洗女子を屈辱的な敗北にまみれさせるためとはいえ、降伏をつきつけて休戦してる間は隊員に焚き火を囲わせ食事をとらせるなどわりと自由にさせてますが、それらがみほたちの戦意を奪う策略でもある一方で、隊員の士気や体力を十分配慮していることも間違いありません。やはりロシアの支配者らしく、残酷さと寛大な温情が同居するというあたりが、隊員にとって畏怖・畏敬の対象となる生来の資質なのでしょうか。

 

 このカチューシャの指揮をサポートするノンナの働きですが、それは大きく分けて戦術面と感情面。戦術面については、試合中にカチューシャに確認をうながしてる場面などのように、隊長の指示の根拠を尋ねたり、隊長が見落としているかもしれない事実(「2輌ほど見当たりませんが」)や可能性を指摘したりして、部隊行動の方針を誤解のないようにする・万一の危険性を小さくする、などの働きです。これはまぁ真っ当な副隊長らしさ。

 もう一方の感情面ですが、これはさっき書いたカチューシャの感情のコントロールです。小さな隊長さんはすぐにカッカときますので、憤りをぶつけられる隊員も大変。そこでノンナが適当にガス抜きをしたり、カチューシャの身近にいて日常的なターゲットになったりすることで、他の者達をこっそり守っているわけです。これは組織を日頃から抑圧的にしないための重要な働きといえるでしょう。

 ただ、しかし……。ノンナはそういう理由に関係なく、たんにカチューシャを好きでからかってるフシがあります。口の周りに、とか何かつっつくたびに隊長が予想どおり噛み付いてくるわけですから、まぁ可愛くてやめられない。その内心が顔にでないからなおさらたちが悪いのですけど、たぶん夜中に自分の部屋でしか見せない表情で観察日記に綴ってるんでしょうね。

 

 また、カチューシャの癇癪から隊員を守っている体でいながらも、実態としてはつまり、ノンナは他の隊員を隊長に寄せつけないことに成功しているのでは……という疑念が拭えません。あるいはさらに一歩進んで、副隊長候補になりそうな隊員が出現したならば、ノンナは将来の憂いを断つべく何らかの手立てを講じているのではないか……と。カチューシャは声に出して「しゅくせーしてやる!」と叫びますが、ノンナは心のなかでのみそう呟くのです。というか、そう思ったときにはすでにそうしてる。

 なんといってもプラウダ高校ですからね、それくらいの権力闘争に勝ち残らないと昨年度の優勝記念写真から消されてしまいかねません。しかし、そう考えてみると、これは自隊内でのノンナの有利な立場を強化する一方で、部隊全体の能力をつねにカチューシャとノンナの統制範囲内に留め、隊員の自主的思考を抑圧することにもなってしまいます。隊員に純朴な子が多いのは、それがプラウダ学園の校風というだけじゃなくて、あんま頭良くないタイプの子しか残らないということの表れだったりしませんか。

 そうなりますと、ノンナがカチューシャに意見具申できているうちはまだしもですが(それさえ感情的になるとカチューシャは無視してしまう)、準決勝戦のようにノンナが敵フラッグ車を追撃し、カチューシャがそちらの指揮にかまけてしまうとなると、どうしても隊長の想定外に対して一方通行の指揮系統では間に合わなくなっちゃうのでした。しかもカチューシャは相手の策略をあらかじめ全てお見通しのつもりですから(そしてそれが合理的であり、予想外の展開にも即応できるあたりが彼女の凄いとこですが)、ある意味でサンダースのアリサと同じ罠に陥っちゃうのかも。

 

 結果的にプラウダの部隊は分散させられ、フラッグ車を奇策によって一瞬早く撃破されてしまったわけですが、それは、カチューシャという極めて優秀な隊長と、それを独特のやり方と目論見でサポートする副隊長とに依存する組織の、こういった弱点が出ちゃったためかな、と思います。だから、弱点がむしろ強みになるような作戦を立てていたならば、大洗女子の戦力では当然のことながらやはり勝利は難しかったはずです。例えば、カチューシャ搭乗車がフラッグ車だったなら、ノンナは敵を絶対に近づけさせなかったのではないでしょうか。カチューシャ自身が(じつにソヴィエト陸軍らしく)攻撃的な性格なので、守られるべき王様の役目はお断りかもしれませんけど、こういう状況ならノンナは黒森峰の全力攻撃さえはねのけるような気がします。

 まぁ自隊の問題点なんて存在するわけないと考えてるのがカチューシャなので、そもそもそこを逆手にとった作戦など思いもつかないわけですが。

 

 ボードゲームでは、プラウダのキャラクターユニットは当然カチューシャとノンナ。ノンナは副隊長ユニット中で最強の能力を誇ります。どれくらい優れてるかというと、長所のおきどころは違うけどカメさん(生徒会)チームに1人で匹敵するというか……。しかも裏面ありな唯一の「副官ユニット」というあたりも頭ひとつ出ています。これが「ブリザード」、恐るべし。

 

 

4.黒森峰女学園

 

 黒森峰といえば、まほとエリカです。他にも記憶に残る台詞を発した隊員はいろいろいますが、副隊長格となるとやはりエリカだけでしょうか。全車に指示を出してるのはこの2人だけですし。

 そう、エリカが全車に砲撃などの指示を下しているというのが、この副隊長の独特なところです。サンダースでもアリサが2輌に指示してましたし、アンツィオではカルパッチョが作戦実行を伝えてましたけど、砲撃という即応的な行動を全体に指示というのはなかなかありません。

 ここには、エリカの独断的・前のめりな性格が描かれているというよりも、いやその面もあるんでしょうけど、むしろ黒森峰が(あるいはまほが)副隊長にゆだねている役割が他校と異なるということが、示されているのだと受け取りました。まほはエリカの判断や指示をしばしば取り消しますが、それはエリカが拙速だったりまほとエリカの意思疎通が悪かったりするんじゃなくて、まず副隊長のエリカに全体状況を判断させて、問題があれば隊長のまほが適宜修正する、という教育プロセスを実戦のなかで行っているんじゃないでしょうか。なんかすんごい余裕かましてるみたいですけど、まほの修正は素早いですし、現実に戦力的な余裕はあるわけです。それでも勝てると油断してるのではなく、次の隊長候補であるエリカを育成することを視野に入れてのアプローチでしょう。

 ケイが語っているように黒森峰は「突発的なことには対処できない」のが弱点だとすれば、まほは昨年度の敗北を分析したうえで、次のように改善点を抽出したと想像します。1つには、隊員全員の自主性を伸ばす。しかし、これはそういう基盤のないところで短期間に実現できないだけでなく、下手をすると母校の伝統である規律正しい隊列行動能力まで駄目にしてしまう危険性があります。そこでもう1つの、突発的状況に対する正確な判断と指揮能力をリーダークラスに養う、というポイントが重視されることとなるという。まほ自身にはその資質が備わっているとしても、エリカたちはどうしてもまほの指示に従うクセを抜け切れません。となれば、訓練だけでなく試合の中でも、副隊長であるエリカに実地に学ばせていくというのが、まほの方針となったわけです。

 

 もっとも、ここで問題となるのは、まほという極めて優秀で評価も高く家柄も立派な隊長がいるおかげで、エリカも他の隊員もまほの修正を正解として理解してしまうことです。それはそれでコマンド&コントロールがうまくいってるということでもあるのですが、エリカたちから意見を吸い上げるということはしづらい。みほが良くも悪くも仲間の意見や気分を取り上げていくのに対して、まほはやはり自隊内で絶対的な存在であり続けています。

 その制約の中にあって、エリカのじつに立派なところは、気後れや萎縮することなく副隊長として判断し指示を下しているところです。とりわけ決勝戦ではみほへの対抗意識があるにせよ、試合中にまほからある意味でダメ出しし続けられるわけですからね。並の神経では耐えられません。まほに副隊長として認められたという誇らしさ、学園を離れたみほへの対抗心、そして勝利の伝統を取り戻すために成長しなければという意欲が、エリカを毅然とした副隊長の姿へと導いてきました。

 感情的な子なので、まほの冷静沈着さや切り替えの早さ(さすが妹とよく似てる)などは未だ習得できてませんが、内向きにならないで打たれ強く戦い続けられるのがエリカの持ち味であり、まほからすれば昨年度のうちに妹にも見出したかったものだったんじゃないでしょうか。その一方で、エリカは目の前の戦況にとらわれすぎるという短所があるので、みほがそのへんを補ってくれれば、黒森峰の2年間は安定した試合運びができたはずでした。そのみほは今や自隊にいないので、まほはエリカに全体指揮の一部を委ねながら彼女の長所を活かして攻撃指揮を執らせ、エリカが気づきにくい後方などの注意を自分が行っています。

 

 さて、決勝戦の展開は、大洗女子が巧みに黒森峰の戦力を漸減しながら市街地に逃げ込んだところ、その可能性を予期したまほが事前にマウスと護衛を配置しており、そこに呼びこんで主力と挟撃を図るという見事な業前。

 姉妹の知恵比べがお互いに一発入れあってる状況ですが、これたぶん、まほはすんごく楽しいんでしょうね……。自分が想定していたプラウダのとはまるで異なる戦いぶり。奇策を弄しているようで、個々にみれば合理的な戦術行動の積み重ね。それを支えているのは、隊長だけでなく隊員全員の技量と意志。自分が昨年度の反省をもとに改善点として掴んだものを、ほかならぬ妹のみほが実現して、姉に向かってつきつけてくるわけです。昨年度のショックを癒せないまま転校までしてしまったのに、心配していたそのみほが、わずかな間にこんなにたくましくなって。おまけにマウスを撃破ですよ。いったいどうやったんだ。姉として寂しくもあり嬉しくもある気分を隠して、まほはこの予想外の戦況を冷静に受け止め、次の手を講じます。

 しかし、ここで黒森峰と大洗女子の差がでるという。エリカをはじめとする黒森峰の隊員は、それぞれ迷わず敵車輌を分担して追跡しているのはおそらく訓練の成果ではあるんですけど、結果的に大洗女子の「ふらふら作戦」にまんまと乗っかってしまいます。それは、まほとみほの作戦能力・指揮能力の差というより、副隊長や車長、さらに隊員たちが、隊長の指示がどのような意図をもつもので、その目的を達成するのに自分たちが何をすればいいのかを、部隊レベルの視点で判断することができるという能力の差ではないかと思います。

 だって、みほが「相手の戦力をできるかぎり分散してください」と指示したら、すぐさま典子は89式でできる最も有効なことである敵の挑発を、梓はM3で可能と考えた敵重駆逐戦車の撃破を隊員に指示するんですよ。そして隊員も隊長や車長とイメージを共有できているから、その指示をすぐ理解して自分の役割を果たすことができる。その基盤があるから、みほの具体的な指示がいっそう効果的なものになっていきます。

 もちろん、黒森峰の隊員も、相当の練度にあるとは思います。しかし、ケイも言ってた弱点がここで出てしまう。それは黒森峰だけでなく、聖グロもプラウダも呈してしまった強豪校共通の弱点であり、大洗女子の強みがどこにあるのかほんとよく分かります。個々の車輌のスペックは低くても、コマンド・コントロール・コミュニケーション・インテリジェンス(だったっけ)による部隊運用の総合力で勝利するというのは、ぼくが理解しているドイツ装甲軍団の特徴ではなかったか、とか。

 

 分散・分断のあげく、エリカはまほとみほの一騎打ちに介入できずに終わるわけですが、これはまほが己の西住流を貫徹するだけでなく妹と決着をつけたいという個人的欲求を優先した結果でもあるので、この場面について副隊長の責任を云々するのは不公平な気がします。聖グロ戦以上の回り込み砲撃を実現した麻子たちも恐ろしい技量と意志でしたが、ティーゲルの砲塔旋回速度で対応しきったまほ車の隊員も相当なものなのではないでしょうか。そこまでに撃破されてしまった黒森峰の隊員たちも、大洗女子の奇策を真似しようとして流されるのではなく、それらに打ち勝てるように正攻法をいっそう磨いてくるような気がします。まほが残していく西住流を頑なに遵守していこうとすることにもなりかねませんが、ただ命令のままに動くのではなく、守っていくべきものを隊員各自が掴んで実行しようとしていくならば、それはそれで一つの戦車道ではないかと思いますし。

 それに、なんといっても黒森峰には、心強い副隊長が、未来の隊長候補がいるのです。

「次は、負けないわよ」

 そう、このエリカは本当に打たれ強いのですから。

 

 ボードゲームでは、まほとエリカがユニット化されており、まほはみほと並ぶ最強の隊長ユニット。エリカはナオミに匹敵する副官ユニットです。ただし、2人とも撃破能力に特化してますので、カードプレイで部隊行動の幅を広げないといけない感じ(大洗女子以外はどこもそうですけど)。

 ちなみにアンツィオは、隊長アンチョビにくわえてカルパッチョとペパロニが副官ユニットとなってます。アンチョビはまほ以外の強豪校隊長と遜色ないですし(ここで読者は「ドゥーチェ! ドゥーチェ!」と連呼すること)、副隊長の2人はというと、これがなんと。と一見驚きの数値評価がなされてます(値の説明を読めばなるほどと納得)ので、興味を抱かれた方はぜひお求めください

 

 大洗女子については、また書けそうなときにということで。

 

ガルパンの大会出場校副隊長について・その1

 こないだガルパンOVAアンツィオ戦について感想を書きましたが、大会出場校それぞれの副隊長(あるいはサブリーダー)の役割がどうであるかいう話題を聞きましたので、ぼくなりの本編理解からみた彼女たちの姿をまとめてみようと思います。なお、国際通信社から発売された戦車道ボードゲーム『ぱんつぁー・ふぉー!』を購入してますので、こちらでユニット化されたキャラクターの評価も参照してみます。

  ……書いてたらえらい長くなってきたので、聖グロとサンダースだけ先に公開します。

 

 (2014/12/25追記:大幅に加筆修正した聖グロ考察を公開しました。)

 (2015/1/31追記:大幅に加筆修正したサンダース考察を公開しました。)

 

1.聖グロリアーナ女学院

 

 作品内では、誰が聖グロの副隊長なのかはっきりとは描かれてません。ネームドはオレンジペコとアッサムの2人ですが、どちらもダージリン隊長と同じ車輌に搭乗してるので、少なくとも部隊運用を分担する立場にはありません。これは、本編での練習試合が5輌ずつという少数の編成で行われたため、副隊長の指揮すべき別働隊が存在しなかったという事情によるのでしょう。

 では彼女たちとは別に副隊長がいるのかというと、その可能性も捨て切れませんけど(試合前に整列していた車長のうちの誰か)、それだったら試合後の挨拶のときにダージリンと同行しててもよさそうです(他の隊員をとりまとめてたのかもしれませんが)。学年からみてアッサム(3年生)が副隊長、オレンジペコ(1年生)は将来を担う隊長候補、という感じでしょうか。練習試合では車輌数が少ないため、この主力メンバーをダージリンの車輌に集中させた、と考えます。とくにオレンジペコは(高校レベルでは)1年目ですので、この練習試合で隊長の膝元で経験させるという意味合いもあったかもしれません。

 その結果、聖グロは、ダージリン車と隊列を組んでいる間は統率宜しきを得てましたが、大洗市街戦に移ると包囲・索敵のためバラバラにならざるをえず、再集結するまでは各個撃破の危機に瀕しました。再集結後も、みほの活躍の前にあわや全滅かと思われましたが、そこで威力を発揮したのが装填手オレンジペコや砲手アッサムたち最精鋭の技量です。みほは麻子に指示しているとおり、フェイントかけて4号をチャーチル側面に強襲させようとしますが、それを瞬時に見切ったダージリンも凄いうえ、その咄嗟の指示をちゃんと実行に移せる搭乗員の練度の高さたるや。あのタイミングですから、おそらくダージリンの指示はほんの一言二言のはずです。それにためらわず従って砲塔を旋回させ、4号が突っ込んでくるまでのわずかな時間に装填も照準も間に合わせるのですから、さすがと申せましょう。もっとも、初心者なのにそれと同水準の技量を発揮している麻子が凄まじいわけですけど……。

 大会では準決勝で黒森峰に敗れましたが、15輌をどう率いていたのかは不明です。アッサムか誰かが一翼を指揮していたかもしれませんし、あえてオレンジペコに経験を積ませたのかもしれません。いずれにせよ、ダージリンは敗退後もオレンジペコを観戦に同行させてますので、期待は大きいのかな、と思います。

 

 戦車道ボードゲームでは、ダージリンが隊長、オレンジペコのみが「副官ユニット」として副隊長扱いです。アッサムがいないのは、各校キャラ2ユニットまでというコンポーネント上の制約に引っかかったのかもしれませんね(アンツィオは3枚だけど)。能力は他校の副隊長と比べるとやや見劣りしますが、唯一の1年生ですからそれも当然。むしろ今の段階でここまで有能ならば、成長がますます楽しみです。

 

 

2.サンダース大学付属高校

 

 作品内では、ナオミとアリサが副隊長。隊長のケイが作戦指揮を担いますが、持ち前のおおらかな明るさで隊員を引っ張るとともに最前線に立つことも辞さないので、ナオミが落ちついた男前な性格で雰囲気を引き締めながらいざというときバックアップする頼りがいのある先輩、アリサが参謀役として情報面や作戦立案面でサポートする、という感じでしょうか。

 大会1回戦の準備では、ケイが「3輌で1小隊」・フラッグ車の護衛は「Nothing !」と言ってます。実際には、フラッグ車のアリサは単独行動のうえでこっそり通信傍受、他の3個小隊のうち2個をケイとナオミがそれぞれ直率(M3・4号を攻撃)、1個をネームなしの小隊長が率いてたようです。

 アリサの通信傍受についてですが、ケイが「今日のアリサの勘」と言ってますね。「今日の」ということは、以前も時々やってたんでしょうか、それとも同じくケイが「どうして分かっちゃうわけ?」と尋ねているように、今回が初めてだったんでしょうか。優花里の諜報活動に対する意趣返しとすれば、今回初めて試みたと考えたほうがよさそうですけど、傍受のための機器を車輌に搭載する時間的余裕はあっても、そのための訓練がけっこう大変なのではないかしら。あるいは、強豪校に勝つためのいち手段としてこっそり訓練してたところ、実戦で用いる正当化の理由を得たということかもしれません。

 さて、副隊長としてのアリサの問題点は、敵フラッグ車を撃破するためチャーリー(C)とドッグ(D)へ直接指示を下した場面に初めて表れます。ここまで見事な「女の勘」によって自隊を有利に導いてきたわけですが、それはあくまでも隊長のケイに戦術行動を上奏し、ケイがそれを受け入れて隊員に指示する、という手続きを踏んでいました(ドッグを撃破された後もやはり同じです)。しかし、この場面だけは、アリサが2輌に直接指示してます。これは、2輌がケイたちと別行動をとっており、また即座の対応が必要だったためアリサが副隊長の権限で指示を出した、とも考えられますが、それにしてもやや軽率というか、思いあがりの感が否めません。

 いや、もしかするとそれはアリサの焦りだったのかもしれません。アリサはナオミに次ぐNo.3の位置づけ、同じ副隊長とはいえそこには差があります。しかもナオミは後輩から慕われそうな格好良さですからね、アリサとしては気にしていないつもりでも、やはりケイの引退後を考えると、ナオミ(彼女も3年生でなければですが)との競争に備えざるを得ません。ナオミはそのリーダー的性格とともに、正確な砲撃能力という技量も持ち合わせています。しかし、本大会でナオミは小隊クラス以上の指揮をとっていませんでしたが、もしかすると大規模な部隊運用に関してはアリサのほうが一歩先んじているのかもしれません。すると、ナオミの性格や力量を正面から認めればこそ、アリサとしては彼女の長所で対抗するよりも、自分の強みで勝負をかけたくなるというのは当然かと思うわけです。しかも相手はぽっと出の弱小校ですから、ここで情報戦をこっそり試みながら実績を積み、次代隊長へのレースのためにポイントを獲得しながら今後予想される強豪校戦との踏み台にしよう、という計画。もちろん、ケイや自分たちの勝利を目指すのがアリサにとっても大切な目標ですが、優花里のスパイ行為を笑って許すケイの度量の広さには敬服しながらも、それでは黒森峰などに勝つには甘いのではないか、と疑問をいだいていたのかもしれません。また、もしもナオミが次の隊長になるのなら、それを参謀としてサポートするのもアリサの役目ですし、ナオミが3年生であるならアリサの隊長就任は確実ですから、今大会で実績を残してケイたちを安心させたいという気持ちはよく分かります。

 いやね、ケイの後継者って大変ですよ。あの気風の良さで隊員をまとめあげてたわけですが、アリサはどちらかというと難しく考えちゃうとこがありますから、同じ雰囲気を維持することは苦労するんじゃないでしょうか。しかも最近は、意中のタカシが振り向いてくれないと悩んでるわけですし。リーダーとしてのカリスマと、女性としての魅力の両方に自信を失いそうになっているのだとすれば、1回戦でアリサが示したやり過ぎな言動も、それをはねのけようとする彼女の意志の表れであり不安の裏返しとして、やや同情したくなるわけなのでした。

 

 そして、みほの「全車集結」という欺瞞情報を受けてアリサが高地への移動をケイに上奏する場面で、ケイはやや怪しさを感じて問いただしてます。ドッグが撃破されてますから、まぁ慎重にもなりますわ。しかし、アリサの自信たっぷりな(しかし判断の具体的根拠を示さない)返答を聞いて、ケイは目を丸くし、よっしゃとばかりに受け入れて全車にそのとおり指示しちゃうんですね。

 これはケイのリーダーとしての特性が良くも悪くも発揮された瞬間でして、根拠不明なアイディアをノリでおおらかに受け入れちゃうのは明らかにまずいです。しかし同時に、アリサがそこまで自信をもって主張していることが、なんか嬉しそうなんですね。アリサがケイ自身やナオミとは異なる長所を持ってることはよく分かっているし、力量を認めて副隊長を任せてて、今後にももちろん期待している。しかし、学園艦で皆を前にして出場車輌を発表するときのあの口調を聞くと、緊張もするだろうし副隊長としての威厳を持とうとしてるのも分かるけど、もう少し肩の力を抜いて開けっぴろげになってくれてもいいのにな、とケイは感じてたかもしれません。それは、戦車道にフェアプレーを求めるケイと、戦いに手段を選ぼうとしないアリサとの美学の違いというだけでなく、ケイから見たアリサの物足りなさだったのではないかと。

 そんな折、アリサが大会のさなかに自信たっぷりな発言ですよ。そこまでの展開でもアリサの情報が有効だったというだけでなく、ケイとしてはこの後輩の態度が心地よく感じられ、やっと(不安の裏返しとしての虚勢ではない)自信をもってくれたか、と喜び、頼もしく思ったんじゃないでしょうか。だからアリサの策を容れて全車進撃を命じたわけですが、しかしケイが隊長としてみほにやや劣るのは、仲間の過失である可能性をあらかじめ考慮にいれておいたり、まずい状況に直面したとき感情を抑えてその場でさっと次善策を編み出したりする能力が弱いところです(みほがそのへん強すぎるだけですが)。あと、試合後にアリサに「反省会」を命じてるように、怒ると怖い。

 なので、ここにいないはずの89式に出くわしたとき、アリサは同乗隊員から「連絡しますか」と聞かれてるのに「する必要ないわ!」と返しちゃってるんですね。ケイの期待に応えたいし、自分の判断ミスや敵の罠の可能性を認めたくない。ここで89式を撃破してしまえば、ちょっとしかイレギュラーで片付けられるはずでした。ですが、現実に罠にかかりかけてることを自覚して、とうとうアリサはケイに状況報告し、そうなった理由を問われて正直に通信傍受の件を白状し、叱られています。まぁしょうがないよね。その後はアリサ完全にパニック&ヒステリーで、可愛いというかなんというか。彼女の抱く不安や、ままならなさに対する欲求不満が、きれいに表返ってる塩梅で、そりゃタカシのことも叫んじゃいますよね。

 そこでケイがフェアプレーの精神で自隊の数を減らしたうえで、頼りにするのがナオミですからもう。試合には負けたものの、実際ナオミはその砲撃の技量をいかんなく発揮してますから、アリサは文字通り策士策に溺れる格好でした。一方で、ナオミは部隊運用レベルでのサポートは(画面上では)何もしてませんが、そちらの問題はアリサのつんのめりによって覆い隠された次第です。「いざというとき頼りになる」または「最後の王手をかける」ナオミと、「いざという場面に陥らないようにする」または「相手の詰め手順を見つける」アリサという分担が、今後できればいいのですけれど。

 

 戦車道ボードゲームでは、ケイとナオミがユニット化されててアリサはいません。ただし、通信傍受はシナリオカードとして実行可能となっており(それに対するみほの罠もですが)、アリサの能力は個人の技量としてではなくこの試合特有のイベントに吸収された格好です。このゲームで規定される「副官能力」はいざというときの行動の幅を広げるものなので、たしかに本編のアリサはちょっと及ばない感じ。ナオミはノンナに次いで優秀な副隊長ユニットなので、明らかな差が……。がんばれアリサ。

 

 とりあえずここまで、プラウダと黒森峰は次に回します。な、がーい。

 ところで、アリサの反則ギリギリな行為をダージリンが「地獄のホットライン」と見破っていたわけですが。あれは、試合場上空の通信傍受機を備えた気球を見たダージリンが、サンダースのいつにない練度の高さと結びつけてそれと看破したという可能性が高い一方で、もしかすると聖グロもサンダース艦にダブルオーナンバーの諜報員を送り込んでその計略を突きとめてた、なんてことも想像したりします。だって「戦争と恋愛には手段を選ばない」んですから、優花里ができたことを彼女たちがもっと洗練した方法でやらないわけがないかな、と。

 オレンジペコは通信傍受の可能性にまったく気づいてませんでしたし、アリサは今後もう少しフェアプレーに近いところで戦ってくれると期待してるので、来年度にサンダースと対戦するときは両者の知恵比べがどうなるか見ものですね。

『ニルヴァーナ』シリーズから『超人ロック』を振り返って

 最近のものかどうかにこだわらず好きな作品について書いとこ。ということで『超人ロック』の『ニルヴァーナ』、2009年連載の4巻本を念頭におきながらこのシリーズ全体についてつらつらと。

 

 『超人ロック』との出会いは週刊少年キング連載『炎の虎』でしたので、もう35年前になるんですか。あの頃はSFというジャンルがよく分かっておらず、いや今でも分かんないんですけど、テレビのヒーローものの延長上でこの作品も当初楽しんでいたような記憶があります。ただ、それが次第に難しくなっていくという。

 その頃のぼくは『ザンボット3』なども視聴してましたので、主人公サイドの主要人物たちが戦死していく展開には(慣れないまでも)経験があったわけですが、それにしてもこの『超人ロック』のその後の展開には、子供心にしんどいものがありました。いや展開そのものはもう文句なく面白いし、キング(KING)休刊までずっと読み続けてた大好きなシリーズ作品でしたけど、そこで描かれる人間の命の軽さや文明世界の負の部分というかどうにもならなさというか、そういうものを受け止めかねてたんですね。当時のぼくが好んでたギャグマンガの面白さとは別方向のそれなわけで、シリアスで、大人っぽくて、背伸びさせてくれる作品の一つでした。また、当時キングで掲載された他作家の読み切りSF作品や、チャンピオンで読んだ『百億の昼と千億の夜』などに触れるうちに、SFとは人間を宇宙に向きあわせて自らの卑小さや業を描くものなのかな、そこではハッピーエンドじゃないほうが良いとされるものなのかな、と考えていったのです。

 

 とりわけガツンときたのは、例えば、『マインド・バスター』でのライガー教授の狂気の所業。ロックは最善をつくすけど、あの大虐殺そのものを止めることはできませんでした。例えば、『虚空の戦場』でのラグとレマの最期。ぼくが当時好きだった二人が殺されてしまうなんて、しかも重要なキャラに相応しい相討ちなどの結果ではなく、あんなにあっけなく一方的に。勧善懲悪の物語や正義の最強ヒーローを求めていたぼくは、それらの場面に少なからぬ衝撃を受けました。

 もちろん『光の剣』では、ランとニアの結ばれに安堵しましたし、ラフノールの空を舞う飛竜の姿に心躍らせたものです(今でも大好きなシリーズの一つです)。でも、ちょうど銀河連邦崩壊期を描いていたこともあって、この時期のロックには時代の波に抗う悲壮さがつねに重ね合わされていたように感じます。そして読者であるぼくも彼のその後ろ姿を見ては、暗い気持ちに陥るのでした。

 

 その後、時代の前後が様々な場所で描かれていくにつれ、またぼく自身も年を食っていくにつれ、作品の大河ドラマ・歴史物語としての側面に気づき、個々のゲストキャラに感情移入しながらも時代の流れを読み取って楽しんでいくことができるようになっていきました。しかし、それは同時に、ロックの孤独を発見することでもありました。親しい人々が戦いの中で死んでいくだけでなく、平和な世界であろうとも彼らの寿命の終わりによって絶えず取り残されていくという、永遠の旅人としての孤独を。

 こちらのテーマについては、例えば『シャトレーズ』のミルバ(大好きな女性キャラの一人です)のように、ロックが定命の人間とそれでも深い交わりを結んでいく姿が様々に描かれてきてますし、最新の完結シリーズ『風の抱擁』ではこの問題への素晴らしい答えを示しています。これはこれでいっぱい語りたいことがあるんですけど、ぼくにとってやはり気になり続けていたのは、人類の愚行(と言ってみますが)にその都度向き合っていこうとするロックの、こちらから感じる悲壮さや徒労感でした。親しい人々やパートナーたる女性が彼を支えてくれることにありがたく思いながらも、結局このどうにもならなさ自体は解消しないのではないか、と。

 

 そんな長年のシリーズの果てに、『ニルヴァーナ』ですよ。

 もう、ね。あの最終巻でのロックの姿を目の当たりにしたとき、ああ、今までずっと読み続けてきてよかった、と心底思いました。『グインサーガ』第67巻『風の挽歌』でグインがゴダロたちにようやく出会えたときと同じような、ああ、だからここまでついてきたんだ、という納得。報われたという勝手な充足感。

 ライガー教授とジオイド弾のトラウマを、ロック自身が乗り越えていく。読んでるぼくも、彼の後ろ姿を見て、あのときの衝撃を受け止め直しながらもそこで抱いた悲壮感や徒労感を拭い去ることができる。ロックひとりが孤独に立ち向かうんじゃなくて、彼に触発された人々もまったく見ず知らずの人々もそれぞれの責務を果たし信念を貫き人類を信じようとして、破局を回避していく。一度は大虐殺に手を染めた者たちが、悔恨とともに行動を改め、自らの所業の責任をとろうとする。ロックよかったな、と肩を叩きたい気分(何様)。そこで殺された人々はやはり膨大にいるわけで、けっして手放しのハッピーエンドではないんだけど、悲劇と人間賛歌がここに分かちがたくあるのです。これがSFというものなんでしょうかね。

 正直、この『ニルヴァーナ』と『風の抱擁』が完結したいま、『超人ロック』の最重要テーマ2つに答えが示されたととらえると、なんだか聖悠紀さんがいつこの作品が終わっても大丈夫なように備えてるのかな、などと失礼な不安を抱いたりしてしまいます。それくらいこの2シリーズは、長年楽しませていただいてきたファンの一人に対して、途方もないご褒美として届けられたんですよ。これだ、これをずっと待っていたんだ、と。

 でもそれは、他のシリーズが物足りないということじゃないし、ぼくがこういう物語を実際にイメージして待ち望んでいたということでもありません。他のシリーズはそれぞれの持ち味で作品世界を広げ深め、またその中でこれらのテーマも繰り返し語られてきたわけで、いずれも『超人ロック』の大切な一部分です。そして、読者が手にしたとたん「そうか、自分はこれを待っていたんだ」と事後的に発見するなんていう反応は、作者が読者の気持ちをよく理解しながら、作品の軸を枉げずにいることによって産み出されるのだと思います。

 いつまで続くか分かりませんがいつまでも続いてほしいこの作品、ぼくがこの宇宙から消えてもロックの旅は続くのでしょうし、人類の愚かさも可能性も彼のそばにあり続けるのでしょう。

この日記の説明

 この日記はそもそも、ぼく(くるぶしあんよ)のサイト『ページの終わりまで』内のここで綴ってたものですが、

 

あんよ「更新できなくなっちゃったので何とかして」

里 村「やだ」

あんよ「あうー」

 

という議論をふまえ、そいえば以前はてなブックマークだけこしらえてたな、と思いだしてこのさいブログも開いたという次第です。もうちょっと日記が溜まってきたらホームページからもリンクしようと思いますが、久々にほどよい雑文を書ける環境を得たので、しばらくは好きな作品の話など適当に綴っていく予定です。

 

 ついでに自サイトのコンテンツを紹介しておきますと、はてな界隈でだいぶ前に読んでいただけたのは、

 ・アニメ版『シスター・プリンセス』全話考察(あんよの物置の上の方)

 ・『涼宮ハルヒの憂鬱』における少女の創造力 ~虚無性を超える乙女心~

 ・『涼宮ハルヒの消失』における少女の新生・接触篇ならびに発動篇

 といったあたりでしょうか。各作品にご関心がおありの方は、よろしければどうぞご笑覧ください。

映画版はときゃち感想

  まとまった感想は一度も書いてなかったので、このさい『ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー…ですか!?』感想を。以下ネタバレです。

 

 ぼくはプリキュアシリーズを初代からずっと視聴し続けている大きなお友達の1人ですが、中でも好きなのが『ハートキャッチプリキュア!』。TVシリーズのDVDを揃えている唯一の作品であり、本編放映時にはプリキュアと敵幹部それぞれの主張の是非をめぐって考察を2本書いたくらい入れ込んでました。(「『ハートキャッチプリキュア』 堪忍袋の緒が切れるまで」「『ハートキャッチプリキュア』 ここらが正論の限界よ」)その映画版である『花の都で…』も、お気に入りの作品となっています。

 上映当時は、その作品そのものの評価と並んで、対象年齢の幼児さんたちに理解できるのか、とか、ミラクルライトを振るタイミングがわかりにくい、とかいった批判も指摘されてました。ぼくもそれらは頷けるところですし、幼児さんたちには大きくなったときにもう一度観てもらえれば、と思っています。たぶん、あの頃に気づかなかったことに気づくはず。そしてまた、ぼくなどは子供の気持ちでこの作品を楽しむことができないわけですから、子供が子供として楽しんだことはそれ自体が尊いものだと感じます。ぼくがここで書く内容は、作品にこんな深みがあっただの子供には難しいだのという上から目線じゃなくて、たんに1人のプリキュアファンがこう理解して楽しんでます、というだけのお話です。

 

1.オリヴィエについて。

 

 この作品は、映画オリジナルキャラの少年オリヴィエ(ルー・ガルー)の視点からつぼみたちを捉え直すことで彼女たちの魅力を新たな姿で描くものですが、物語の柱はオリヴィエ自身の問題がプリキュアたちとの関わりを通じてどのように解きほぐされていくかにあります。

 後にオリヴィエという名を獲得するこの少年は天涯孤独の生まれで、たまたまサラマンダー男爵と出会ったせいでこの恐るべき魔物を解き放つことになり、また同時に彼と出会ったおかげで拠り所を得ることになりました。狼男(ルー・ガルー)としての能力を男爵から与えられた少年は、たえずこの分裂した二面性のなかに生きてきました。男爵は少年に生きるすべとよすがを与えてくれますが、しかしそれは男爵が少年を自分の目的(プリキュアへの復讐)のための道具として利用することでもありました。

 とはいえ、男爵に連れられて旅に出た当初は、純粋に嬉しかったんだわけですよ。少年にとって初めての自分をかまってくれる他者であり「父さん」なんですから。能力を与えられ厳しい修行を課されても、それはそれで男爵の役に立てるように頑張ろうという自らの意志に支えられていた面があるでしょう。しかし、物心ついて男爵の執心にも理解が及ぶようになり、少年自身が男爵に対する自分の欲求を自覚してくるにつれて、もはや以前のような有用な道具としての役割に満足できなくなっていきましたし、悪事をなすことにも抵抗を感じるようになりました。だからといって、男爵から受けた恩を忘れるわけではない。ないんだけれど、男爵の意志に素直に応えることはもうできない。でも男爵と正面きって争うのは嫌だ。狼男はその爪と腕力で敵を引き裂くのですが、当の少年自身は自らを引き裂いてしまっていたわけです。

 そこでやむなく、男爵の目的にとって必要不可欠な宝石を盗んで逃げ出します。他に手のうちようもないので、男爵が次のきわめて良からぬ悪事を決行できないように、と考えたわけですね。しかし、この行動は、男爵を牽制する消極的反抗であると同時に、自分が離れていったときに男爵がどんな態度に出るかを無自覚に試しているという面も持ち合わせています。あくまでも宝石を優先するのか、それともほんの少しでいいから少年の求めるところと向き合おうとするのか。まぁ少年もそれほど期待してなかったでしょうけれど、実際に男爵はルー・ガルーを冷酷に罰します。

 その逃避行のさなか、少年はたまたまつぼみと出会ったせいで足止めされ、また同時に彼女と出会ったおかげで男爵の攻撃から救い出されます。つぼみはお節介なことに仲間たちとつるんで少年をかくまい、あれこれとお世話を焼こうとしてうざがらせます。少年からすれば、何でこんなに自分のことをかまうのかが分からない。つぼみとの貸し借りはすでに片付ているし、彼女にとって自分は有用な存在ではない。もしかすると、つぼみは自分を弟的存在として有用に(姉ぶるのに都合よく)感じているのかもしれない。そうであれば、結局つぼみと男爵に違いはなくなっちゃいます。ただ、つぼみが男爵と決定的に異なるのは、彼女が自分に名前をつけてくれたこと。いえ、たしかに男爵も「ルー・ガルー」というあだ名を与えはしました。でもそれは道具としての名前にすぎない。つぼみは、少年の能力や有用性とは無関係な花の名前で呼ぼうとし、しかもそのとき少年が気に入ってくれるかをうかがってくれました。少年の意志を尋ねてくれました。つぼみは少年の意志を無視して閉じ込めてるようだけど、ここでは明瞭に少年の意志を認めて尊重しようとしてるんです。そして少年は、その名前を受け入れました。自分の意志で。だから、つぼみのお節介にためらいなく腹を立てたりもできたし、つぼみの華やかな姿を見て素直に首を縦に振れもしたのです。

 だけど、このことは、少年がルー・ガルーとオリヴィエとにますます引き裂かれることをも意味しました。つぼみたちとの賑やかな交わりのなかで、少年の闇は消えるどころかいっそう力を増してきます。それは、つぼみには見せたくない自分の面。ルー・ガルーの顔。駆けつけたつぼみの衣装を引き裂いてしまい、オリヴィエは激しい罪悪感と恐怖にかられます。つぼみに抱きしめられていくぶんほぐされたとき、オリヴィエはつぼみに助けを求めます。それは間違いなくオリヴィエの声。でも同時にそれは、ひた隠しに抑えこもうとするルー・ガルーの悲鳴でもあります。少年にとって狼男としての一面は、いまや打ち消したい過去の闇でありますが、しかしそれはやはり、男爵と共に過ごした日々の証でもあります。それを捨てることはできない。でもそれに立ち戻って生きることもできない。大切に感じるものをこうやって傷つけてしまう自分のありように、少年はいっそう引き裂かれていきます。やがて男爵と対決するとき、オリヴィエは自らの二面性を精算するために、自分の意志で男爵のもとに戻り、男爵から与えられた力を用いて彼の意志を挫こうとします。それは、少年がつぼみの生きる世界と男爵と過ごしてきた道のりとを、オリヴィエとルー・ガルーとを、必死にひとつなぎにしようとした精一杯の意志の表れでした。

 

 その少年と対峙するサラマンダー男爵もまた、少年と同じく引き裂かれた存在なわけですが。

 おそらく当初は少年を都合よく利用しようとしていたのでしょうけど、プリキュアへの復讐を目指す道中で、彼の心中にも少年への情愛、と呼んでよければそういうものが生まれていったのですね。そんな感情は明らかに砂漠の使徒としての自己否定を意味します。それを認めないためにも、ゆりの父親を堕落させるくらいのことは当然やる。ルー・ガルーにべつだん人間の名前をつけたりしないで、ひたすら道具として扱う。その一方で、自らの寿命がさほど長くないことも察知してますから、ますます少年に冷たくあたる。「もう、遅いんだ」という言葉にこめられているとおり、いまさら少年に情愛を注いだり、自分が消えてからのことを考えて少年に人間的な生活のすべを教えたりなんかできない。まぁしたくてもやりようがないのでしょうけど、だからこそプリキュアへの復讐に向かって邁進するほかありません。せめてそこで本懐を遂げて、少年と共に生きてきた日々に意味があったのだと独善的な納得を得られればよし。まことに身勝手ではありますが、砂漠の使徒としての自分と少年の共連れとしての自分とを無理矢理に結びつけなおすためにはーー言い換えれば、プリキュアへの復讐を目的のままにとどめ、少年との生活を手段のままにとどめておくためには、もうどうしょうもなかったわけです。少年との日々を目的にしちゃったら、何のために今まで頑張ってきたのかがわかんなくなっちゃうんです。

 少年がもう一段階こじれたら、サラマンダー男爵そっくりになったのかもしれません。

 

 そんな二人が、プリキュアに救われました。ルー・ガルーはつぼみに再び抱きしめられて。いいなー。今度の「助けて」は、自分だけじゃなく男爵のためでもあり。そして男爵は、オーケストラさんに一時は拮抗するというさすがのパウァを見せながら、よいこのみんなの応援を得たプリキュアによって浄化されます。しかし、元の姿に戻った男爵が口にしたのはプリキュアへの復讐。浄化できてないじゃん。

 でも、そんな男爵を見て、少年は腹の底から笑いました。男爵は懲りない、まったく度し難い。そして、次の機会のために、まだ生きるつもりでいる。復讐という目的に邁進した過去を捨て去って隠棲するのではなく、しかし再び派手な企みをすぐさま起こせるわけでもなく。たとえ心のうちでは、自分の限界を認識していくぶんおとなしく少年と共に日々を過ごすつもりかもしれませんが、そんなことはおくびにも出さない。実際には手段と目的が入れ替わった(というか、どっちも目的となった)日々がこれから続くかもしれないけど、そんなことはわかってはいるがわかるわけにはいかん。これが大人のメンツであり、面倒臭さであり、子供っぽさでもあり、可愛げでもあります。だから少年は、呆れもするし、腹もたつし、安堵もするしで、ぜんぶ一緒くたになるともはやすっきりと笑うほかないという。そんな少年自身も今後について男爵に自分の意志をはっきり伝えてるわけで、オリヴィエとルー・ガルーが、今までとこれからがしっくりと結び合わされました。この意味で、オーケストラさんはたしかに男爵を、そして男爵と少年との生を、浄化していました。

 

 もしかすると、数年を経ずして男爵は消滅してるかもしれないし、デューンが浄化されたときに男爵も一緒に力を喪失してるかもしれません(人間に戻りうるとしても寿命的にはやはり厳しいか)。だとすると、1人となったオリヴィエは今頃どうしてるのでしょうか。なんとなく、フランスのプリキュアを陰から助けてファントムに嫌がらせしたりと、こっそり活躍してそうな気がします。

 

2.つぼみ

 

 この作品のもう一つの柱は、つぼみがどれほど魔性の女か可愛いかを描くことにあります。よね。ね。

 ぼくは元々つぼみ好き好きなんですが、予想をはるかに超えるこのつぼみ押しっぷりはもう諸手を上げて歓迎です。いいぞもっとやれ。まぁ依怙贔屓になってもいけませんけど、物語としてはオリヴィエと4人それぞれがちゃんとからみながらの上ですので。

 プリキュアの4人に共通するのは、他人のためならば自分にできる以上のことを担おうとしてしまうという点です。それがプリキュアとしての意志と素養の重要な一部なのですが、とくにつぼみはこの部分が突出していたように見えます。というか、できることの幅が狭かったり地味だったりするし、いまだ内向的な性格でもあるしで、なんとか頑張ろうとして失敗して落ち込む姿が目立ってたんですね。

 本作品でも、パリの街中で迷子になったり、ショーの練習でこけたり、オリヴィエのお世話を焼きすぎて反発されたりと。でも、以前のようにそのことを引きずらないのは、えりかたちのおかげでもあるし、すでにプリキュアの試練をくぐり抜けて過去の自分を受け入れることができたためでもあります。オリヴィエや男爵に比べると、つぼみは自分を統合できてるんですね。「チェンジ」した後も、自分の嫌な面や忘れたい過去もひっくるめて、これが自分だと認めることができるようになった、と。そして、つぼみは、引き裂かれていたときの自分を忘れてはいません。しだいにオリヴィエの恐怖心と隠したい何かに気づいたとき、つぼみは彼を包み込むことができます。何ができるかは分からなくても、何かしてあげたい。自分にしてくれたことを、お返ししたい。その気持ちをまっすぐもつことができます、もう溢れんばかりに。

  だからこそ、オリヴィエが自分の意志で男爵のもとに戻ったと聞いたとき、辛すぎて、悲しすぎて。何もお返しできないまま、オリヴィエの苦悩を分かち合えないまま、突き放されたかのように感じて。仲間たちに励まされ叱咤されて再び前に進もうとし、狼男と化したオリヴィエをどこまでも信じて身を挺してかばおうとし。弱くて強くて、思いやりがあってお節介で、寂しがり屋で包容力があって、直情径行で内向的で、そのどれもがつぼみの長所であり短所であり、不可欠の一部をなしてます。それは、つぼみとキュアブロッサムのどちらもに共通する、一見矛盾しながらも引き裂かれることのない全体性なのであり、オリヴィエに向けた真摯な意志がそれらを貫いて束ねあげ、少年の心に丸ごと届けました。

 

 んで、そんなつぼみのことが、えりかはもう丸ごと好きで好きで好きで好きで(以下略

 迷子になったつぼみのことをブツブツ言ってても、いざ追いかけるとなると目の色変えて全力走行。つぼみの暴走ぐあいに爆笑しながらも、オリヴィエにつぼみのことを「いいところは最初から変わらないんだよね」と語るときの優しい声。「時々ほんとすごい」この親友がオリヴィエを失って泣きじゃくるとき、半ば呆れながらも、つぼみに抱きついて「つぼみの気持ちは、ちゃんとあの子に伝わってるよ」と言い聞かせるときの表情。頑固で健気で泣き虫な親友のことが、もう愛しくてしょうがないという。

 自分のおかげでつぼみが変われた、と偉そうに嘯きはするけど、えりかもまたつぼみのおかげでファッション部を再建できたし、自分を変えることができたと知ってるんですよね。頼りない親友を引っ張りもしつつ、頼もしい親友に支えられもしつつ。そのどちらもがつぼみのせい・つぼみのおかげであり、彼女の最初から変わらないよさを間近に感じ続けてきたのが、ほかならぬ大親友のえりか様でした。本編第43話で花について語るつぼみを見つめるときの、えりかの何ともいえぬ表情を思い出します。あの場面ではつぼみがえりかの視線に気づいて、顔を向き合わせた直後に二人ともにっこり微笑むんですよね。鼻血もの。あと、えりかはオリヴィエに焼きもち焼かない。園芸部長話のときと比べて超余裕の態度。このへんもけっこう面白いところでした。

ガルパンOVA感想

 『ガールズ&パンツァー これが本当のアンツィオ戦です!』視聴。以下ネタバレ感想です。(追記:2015年6月10日に長文考察へまとめ直しました。)

 

 本編では一瞬で終わったアンツィオ戦、まぁいかにもイタリアらしいやられかたでしたが、この試合の実際の姿を描いた1本がこれ。久々のガルパン作品ということでわくわくしてたところ、期待以上に楽しませていただきました。突撃砲同士の鍔迫り合いとか、豆戦車の集団暴走とか、なぜか強く見える89式とか、いや燃える展開でしたねー。そして「なるほど、だからこの試合終了の場面に行き着いたのか」と納得させてくれる収束。オチも含めて拍手です。

 

 さて、ガルパンは基本的に学園スポーツもののアレンジなので、勝利へと努力する過程が個人の成長やチーム内外での人間関係の拡大深化と結びついてるわけですが、本編のサンダース戦とプラウダ戦の間に大洗女子のメンバーがこういう練習や準備をしていたんだ、ということが具体化されたことで、個人やチームの成長というものがいっそうつかみやすくなったわけです。

 それに加えて、アンツィオは、学園やチームが資金難だったり、軽めの戦車が主力だったり、さらに戦術眼に欠けたメンバーが多いので隊長の役割がより重要だったりと、大洗女子とよく似たチームなので、こちらとしてはアンチョビたちの苦労や工夫や過失を共感的・好意的に受け取りながら、何が勝敗を分けたのかをぼくなりに比較検討したくなるのでした。というわけで以下駄文。

 

1.リーダーについて

 

 アンチョビもみほも、自分の仲間たちのことが好きで、大切に思っていて、身内の長所も短所もよく掴んでいます。その持てる戦力をふまえて、どうやれば最大の力を発揮できるかと考えます。どちらも本当にいいリーダーですよね。

 アンチョビはP40を獲得して味方を鼓舞しつつ、戦力については冷静に分析したうえで、正面突破ではなくダミーを用いて後方からの撹乱と分断、それに乗じた主力による敵フラッグ車の撃破を狙います。みほはP40とタンケッテへの対策を訓練に盛り込み、各チームの役割を習熟させていきます。カバさんチームへの指導をみるに、アンツィオの「ノリと勢い」にまかせた攻撃をそらしながらⅢ凸でフラッグ車を遠距離射撃、という作戦だったのでしょうか。

 実際に試合が始まると、双方に事前予測とのずれが生まれます。アンツィオ側はダミーが早々に見破られてしまい、大洗女子側は敵の猪突猛進を受けずじまい。そこで両リーダーとも次の手をうつことになるわけで、両者ともちゃんと策を用意していたのはさすがです。しかし、(チームメイトにその指示が通ったかどうかは次の問題としまして、)指示のしかたにどうも両者の個性が表れていたのかな、と。

 

 みほは、各チームから報告を受けたさい、たとえそれが軽率な行為の結果だとしても、「大丈夫」などと一声かけて落ち着かせ、すぐにその報告をふまえた修正指示を出します。もう徹底して、自分の感情をあらわにしません。冷静だけど冷酷ではない、頼りになる隊長の鑑。そして出す指示も要点が簡潔かつ具体的で、指示を出されたチームが何に気づけば有効な行動をとれるかを的確におさえています。ウサギさんチームには「敵を引きつけて」、アヒルさんチームにはタンケッテ戦術の種明かしと射撃ポイントの確認、カメさんチームには囮としての役割。

 その結果、アンツィオは当初ダミー作戦で試合の主導権を握ってたはずなのに、いつの間にか分断されイニシアティブを奪われることとなってしまいました。個々の場面ではM3も89式も追い回されてるんですけど、戦術的にはみほの目論見通りに追い回させられてるわけです。さらにカルパッチョ搭乗車もⅢ凸とタイマンはってしまいますので、P40と連携できる車輌がいなくなるという。

 

 一方アンチョビは、予想以上に頭悪い報告を受けて、次の手をうつ前につい感情を出してしまいます。みほのようにすぐ割り切ることができないというのは、彼女の隊長としての見通しの甘さや策に溺れる弱さでもあるだろうけど、仲間たちの行動をそこまで酷く想定したがらないという人の良さでもあって、ぼくはわりと好きです。(逆にみほはみほで仲間たちを信頼してないんじゃなくて、自身を省みたうえで人間は失敗しがちなものと理解してるんでしょう。だから穏やかに励ませるわけで。)

 そしておそらくその表裏一体の個性が、厳しく言えば敗北を招くことにもなりました。まず、「マカロニ作戦」の破綻をうけて「分度器作戦」を宣言してますけど、現況でどうやって実行に移すのか具体的な指示を出してないんですね。もちろん、事前に伝達してあるわけですからメンバーは分かって当然なんですが、彼女たちの能力はさておき、この流動的な戦況のなかで各自が何を第一に考えて行動すべきかについての確認徹底を、アンチョビがしてないわけです。だから「何だっけ?」で終わっちゃって、何をすべきか、につながらない。全車集結を指示したときも牽制攻撃などを促してないから、みんな一斉に逃げようとして背面を堂々と撃たれちゃう。

 さらに、P40を守りに駆けつけたセモヴェンテが転がり落ちるのにアンチョビは「怪我するぞ!?」と動揺して叫んでますが、勝利のために38(t)を狙うことよりも、自分が搭乗するフラッグ車を逃がすことよりも、仲間の心配を優先しちゃってるわけですよ。もうね、甘い。そしてこれもまたみほとよく似ているんだけど、やはり切り替えが遅い。これがアンチョビの戦車道ですよ、そりゃそんな姐さんにみんなついていきますよ。もう愛しくてたまりません。

 以上、指揮能力の差というものはたぶんあって、それが勝敗を分けた一因だろうとぼくは考えますが、それが両者のよさでもあり、それぞれの仲間たちとの独特なつながりを生み出す基盤であるということは、勝敗とは別の大切なものなのだろうとも思います。

 

2.サブリーダーについて

 

 対戦相手は名ありキャラの人数が限られているという事情もあり、どうしてもサブリーダーの能力や分担などについては描写に制約を受けざるをえないのですが、とりあえずカルパッチョとペパロニの役割を大洗女子のメンバーと比べてみます。

 カルパッチョは試合開始直後にアンチョビの指示を作戦名で言い直して伝達しているように、おそらくこのメンバーの中で参謀的な役割を担っているのでしょう。アンチョビやペパロニたちが言い落してることや忘れていることなどを指摘してフォローする縁の下の力持ち。大洗女子でいうと柚子 でしょうか。ただ、柚子と同じように、若干フォローはするけれど強く修正したりはしないという感じ。そのへんは例えば「マカロニ作戦」を伝達するさいに、ダミーの予備は使用しないことを確認してないあたりに表れてます。両チームとも、よくも悪くも隊長の指揮能力に絶大な信頼をおいてるんですよね。

 しかし、このカルパッチョがⅢ凸とタイマンするためにP40の護衛から離れたのは、相当大きかったのかなーと思います。なんで護衛してたかといえば、たぶんP40を狙う敵車輌を側面撃破したり、タンケッテによる撹乱に乗じて敵フラッグ車を狙撃したりするためでしょう。カルパッチョ搭乗のセモヴェンテが同型車の別働隊を率いていないのは、アンブッシュによる敵戦力漸減よりもそれらを優先したことの証だと想像します。なのにⅢ凸に引きずられたことで、アンチョビの選択肢がえらい狭められてしまったという。そして、カルパッチョが護衛を離れたのは、Ⅲ凸の攻撃力を警戒したためでもあるけど、むしろカバさんチームのエムブレムを見て「たかちゃん」搭乗車と気づいたからですよね。役割よりも個人的な理由をつい優先してしまうあたり、意外と熱いというか、いかにもイタリア風味というか。幼なじみと全力で戦えて、しかも後で同じ装填手と分かって、嬉しかったでしょうね。エリカとは違ったタイプの、友人かつライバル。いいですね。

 ペパロニの方は、どうにも敗北の直接原因のような印象をもってしまいますけど、まぁあれだけ作戦が分かっていなければしょうがないところ。しかしまた、指示は忘れるけどアンチョビを本心から慕ってるのは明らかで、そのアンツィオの中でも図抜けて陽気な性格からしても、メンバーの士気をもり立てるのにこれ以上もない適役です。ペパロニが鼓舞してカルパッチョがフォローするというのがサブリーダーのバランスなんでしょうが、とはいえアンチョビも含めて全体的にノリと勢いが強すぎるので、いかんせん釣り合いとれてないんですよね。

 そのペパロニですが、タンケッテ群があれだけしぶとく蘇り続けたのは、彼女の率先垂範もあってのことかなと思います。文字通りの根性で、対する相手がアヒルさんチームというのがその意味でもまた好敵手でした。また、最後に駆けつけたものの一瞬早く撃破されてしまったわけですけど、もし間に合っていたなら38(t)に向かって突撃をかましてたんじゃないかな、と想像してます。あるいは、最初からP40の護衛チームに属していたら(それはタンケッテ統率者としてありえないことですが)、実際の護衛タンケッテのようにP40側面を落ち着いてカバーするのに飽きたらず、いきなりカチコミかけて大洗女子の動揺を誘い、万一みほから一瞬のスキを奪えたならカルパッチョが一撃を食らわして勝利、なんて展開もあったかもしれませんね。まぁやがてヘッツァーをマウスに突撃させるみほのことですから、冷静に対処できちゃいそうですが……。

 ともあれ敗北後もアンチョビたちと同様に明るいペパロニでしたが、今後アンチョビが引退・卒業を迎えるときに、引退試合では絶対に勝って姐さんの花道に、などと考えてすんごい真面目に準備して訓練してそれでも負けちゃって、戦車道を始めてこのかたこんなに悔しいことはなくて、でもドゥーチェが満面の笑顔で「いい試合だった! さぁ食べるぞ!」と迎えてくれて、ペパロニが涙ぽろっぽろ零しながらも晴れやかに、という続編をどなたかお願いします。

 

 大洗女子のサブリーダーというと、全体の統括としては杏ということになるのかもしれませんが、実際のところは調整役として柚子だったり、叱咤役として桃だったり、みほも含めた情動フォロー役として沙織だったり。また、各チームのリーダーがそれぞれサブリーダーの役割を果たしつつあるのが、大洗女子のまたとない強みであり成長のポイントなのでしょう。とくに今回目立ったのが典子と梓。

 典子はバレー部長としてチームを引っ張る素地があり、さらに今回はたんなる根性論だけでなく、「少しだけ頭使ってあとは根性!」を言葉通りに実行してます。みほの指示で落ち着いたあと、砲手のあけびに主砲の動揺を抑える指示を出してます。頭使ってる。また、地味に重要なのは、典子の偵察能力ですね。サンダース戦でも頑張ってましたけど、視力だけじゃなく訓練の賜物だと思います。

 梓ははっきりと、砲手・操縦手への効果的な指揮の場面でその成長の姿が描かれました。この場面でとりわけ素晴らしいのは、みほから新たな指示を受けてないのに、梓は敵戦力を引きつけておくという以前の指示を現況に沿って解釈しなおし、要するに目標とすべきは敵戦力を味方のフラッグ車や主力に接近させないことだから、少しでも確実に撃破することが重要だ、と判断してることです。作戦や指示の目的・目標を理解することで、柔軟な修正や自主的な戦闘行動が可能になってるんですよね。優季にも「西住隊長みたい~」と言われてましたが、聖グロリアーナ戦での反省とみほの戦いぶりへの敬愛を、隊長の強さの根幹を見据えたうえできちんと活かせた格好です。

 杏はいつもどおりでしたが、柚子が囮としてのフラッグ車の移動をこなしてましたし、エルヴィンも敵のダミー確認後に、Ⅲ凸を38(t)の前から後ろに移動させてカバーしてます。サンダース戦以来、こういう戦術行動をみほの指示なくても自発的にできるようになってきてるんじゃないかな、と勝手に想像。さっき梓について記しましたが、大洗女子の車長たちは、隊長の方針に従いながら自分で考えて具体化するという努力をそれぞれ始めているように感じます。これもまた、アンツィオとの差の一面なのかな、と。

 

3.戦車について

 

 リーダー、サブリーダーとくれば一般隊員がくるべきところ、そこはあんまり問題じゃない気がするんですよね。いやまぁ、桂利奈がM3の操縦をいっぱい練習したんだろうなとか、カエサルが下宿でも頑張ってたなとか、個々人の努力はあるわけですが、それはアンツィオでも彼女たちなりに真面目にやってると思うんです。だいたい双方とも操縦手の技量水準が凄すぎるよね。

 それよりも試合に影響してると考えるのは、使用車輌の違いです。火力もそうですが、むしろ通信。例えばアンツィオのカルロ・ヴェローチェCV33では、ペパロニが車長と通信手と機関銃手(砲手)を兼任してます。セモベンテM41ではカルパッチョが車長兼装填手。どちらの車輌も、部隊全体への通信を行うときは戦闘中の彼女たちが通信する余裕はあまりありません。一方の大洗女子では、4号と89式とM3は通信手が独立、38(t)とⅢ凸は車長兼通信手というぐあいに、通信が戦闘中でも比較的やりやすい(通信手が砲撃・装填・操縦を担わない)車輌が揃っています。みほの指示が伝わりやすく、みほに各車からの報告が上がりやすいのは、こういう乗員配置を含む装備面の特徴にも由来してるのかな、と。むろんサンダースほかの強豪校は当然のごとくその手の車輌を装備してるんですが、大洗女子もこの点に関してだけは遜色ないのです。

 そういえば、みほが第1話で倉庫の4号に触れながら「いけるかも」と呟いたとき、その脳裏には保管ぐあいや火力・装甲だけでなく、通信手の独立による効率的な部隊運用のことまですでに念頭にあったのかもしれません。また、この通信の重要性を実感したからこそ、沙織もハムの資格をとろうと頑張ってるわけですよね。作品内ではみほが直接指示を出してる場面も多い一方、沙織もプラウダ戦などで次第にその努力の成果を示していくことになります。

 

 もっとも、アンツィオにそのへん考慮した装備を、と求めるのはないものねだりであって、アンチョビは自分たちの持てるものを最高度に活かして勝利を掴もうとしたわけです。そして、おやつを我慢して蓄えた資金でわざわざ通信効率を上げるよりは、マジノ戦でも苦労したと思しき装甲貫通力を優先したというのも、やはりうなずける話。また、交戦中の通信能力の弱さを補うために、これまでアンチョビは自車も攻撃軸の一方に据えて、一度動き出した作戦を最前線で適宜修正するように努めていたんじゃないでしょうか。ペパロニたちに直接声をかけながら、こっちだついてこい、とやるわけです。さっすが姐さん、一生ついていきます。

 しかし、そのやり方を補えるような火力・装甲を求めてP40を入手した結果、アンチョビがその機動力と前線指揮能力を自ら失い、これまで抑えこんできた通信面の問題が勝敗に結びつくかたちでくっきり表れてしまったのだとしたら、これはなんとも皮肉な顛末でした。

 

 以上、書いているうちにいろいろ思いつくこともあって自分でも驚きましたが、これほんとにそのまま観てても面白いし、様々な視点からも楽しめる作品です。そして今回のアンツィオは、がんばるけどモノもおつむも若干足りてなくて、でも明るく前向きで爽やかで、本編のなかに挟むと準決勝戦・決勝戦のシビアさとちょうどバランスがとれる感じもじつに心地よく、アンチョビかわいい。

 あと、本編DVD第6巻のおまけ映像で大洗女子に贈られたアンチョビ缶詰ですが、あれってアンツィオが少ない予算を割いて何かお祝いをと予定していたところ、総督からの指示が伝えられるなかでペパロニたちの脳内で細かいとこ間引かれてああいうセール品を買っちゃうこととなり、しかも値引きシールさえ剥がさずに発送しちゃった、とかいう裏事情なんでしょうかね。アンチョビがあとで知ったら頭かかえそうですが、たぶん詳細は報告されないのでだいじょぶな気もします。