オタクとしての自分史その5

 さて、いよいよ2001年放映のアニメ版シスプリ(以下アニプリ)についてです。じつは、この作品にぼくがここまで入れ込むというのは、相当に紆余曲折あってのことでした。結果的に見れば、まぁそうなるよね、という感じもしますけど。

 例えばアニプリ放映当時のぼくは、どれみなど少女キャラが多数登場する作品を好んで観ていました。それ以前の90年代後半もほぼ同様です。しかし、それらの作品はいわゆる美少女アニメではなく、女児向けに丁寧に作られたものばかりです。登場人物たちの個々の成長や相互交流、そういったものをきちんと描いてくれている作品を、ぼくは選んで観ているつもりでした。それに対して、いわゆるハーレムものと呼ばれるような作品は、ぼくにとってまず避けたくなる存在だったのです。

 ここで例に出すのも失礼ですけど、『天地無用!』(1995年)をぼくはまったく視聴していません。ちゃんと観ていれば気に入ったかもしれないんですが、第一印象が悪すぎた。つまり、「可愛い女の子が主人公を取り囲む」という番宣の印象が、それだけで媚びというか露骨な売り方を感じさせ、拒絶する理由になってしまったのです。

 もっとも、特定の登場人物に転げてしまえば簡単に視聴し始めるのもぼくであり、例えばスレイヤーズのアメリアなんかがそうですね。それでもアニメ版スレイヤーズの場合はわりあい王道的な物語が展開したこともあり、「ともかく美少女キャラを売り込もう」というふうには受け止めなかったわけです。

 要するに、可愛い少女が登場するアニメ作品を観たいけど、お話がいい加減なのは耐えられない。意地悪く言えば、「お話がしっかりしている」という言い訳のもとで、安心して美少女キャラを眺めていたい。そんな態度ということになるでしょうか。

 それではアニプリはどうであったかと言えば、当時の評価はさんざんなものだったはずです。いわく作画が酷い、お話が破綻している、山田氏ね、等々。続編の『シスター・プリンセス Re Pure』(2002年)Bパートがかなり原作準拠で(じつは結構そうでもない、というのは考察しましたが)高評価を得ていたことからしても、ファンが待ち望んでいたアニメ化ではなかった、というのがおおよその捉え方だったと思います。

 そして、上に記したぼくの視聴傾向からすると、いわゆるハーレムアニメの一つに数えてもおかしくない設定であることは間違いありませんから、普通であればそれだけで拒絶されて当然です。しかし、そうはならなかったのです。

 

 ぼくがシスプリに出会ったのは、友人の美森氏の家で『電撃G'sマガジン』付録か何かと思われるシスプリのキャラカードを「これを見ろ」と渡された時でした。炬燵に入っていた記憶があるので、2000年初頭あたりでしょうか。ファンになったのは最終盤でしたけど、出会いそのものはわりあい早めだったわけです。しかしその時のぼくは、「ああ、またこういう大勢の美少女キャラで攻めてくるような代物が。しかも妹12人とか、意味不明だしあざといな」と冷ややかに感じながら、とりあえず手の中のカードを1枚ずつめくっていきました。

 すると、そこに。可憐がいたのです。

 その絵はたしか基本立ち絵でしたので、オフィシャルキャラクターズブックをお持ちの方はp.30をお開き下さい。そう、その絵です。この可憐という少女に、ぼくはひと目で転んだのです。運命の出会いとか美化するまでもなく、ぼくはこういう姿形や服装にほんと弱いんですよ。つい最近もデレマスの島村さんにやられました。ただし、この時はまだ1枚の立ち絵だけでしたし、誌上企画での内容を知らなかったので物語性に惹かれることもなく、また「こんなあざとい企画にうかうか乗っかるわけにはいかぬ」という抵抗もあって、美森氏の「で、誰」という問いに「この可憐て子」と答えたものの、しばらくそれっきりになりました。ちなみにこのとき可憐の次に心揺さぶられた妹は雛子。案の定というか。

 

 それから約1年後、アニプリ放映開始となりましたが、ぼくの地域では観られませんでした。そのとき、づしのお二人がわざわざ録画テープを送ってきて下さったのです。ただし、このときのメインは同じく放映地域外だったコメットさん☆(これもDVDを買ったほど大好きな作品)の録画であり、アニプリ第1話はそのついで(というか奇襲兵器)として同封されていたのですね。ぼくはまずコメットさん☆をありがたく観させていただいたうえで、覚悟を決してアニプリを視聴しました。

 なんだこれは。

 初見では、前半かなり辛かったのを覚えています。コメディ……なのか、それとも……。あざとい萌えアニメ……なのか、それとも……。あと山田うざい。こんな感じで、その異様な導入にどうしていいか分からなかったわけです。

 ところがそのとき、可憐が空から降りてきました。

「お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん

 終わった。

 いえ、お話としてはなお辛いんですよ。あざとさやしょうもなさの印象を拭い去ることはできていないんですよ。でも、そういうの次第にどうでもよくなってきたのです。ああ可憐が動いてゆ。可憐が笑ってゆ。えへへ。第1話の可憐は、その後登場する花穂・咲耶・雛子に比べると抑制的で、あまり活き活きとした人格を感じさせません。だけど、それもとりあえず後回し。航の顔をハンカチでふいてあげている場面などで、可憐のアップ笑顔を見つめてぐんにゃりしている自分がいました。

 もっとも、これだけでアニプリに墜ちる理由が生まれたわけでもありません。何度か繰り返し試聴するなかで、可憐以外の描写にもさらに目が向けられていきました。航はいかにも受験キャラだけど、花穂に励まされて素直に感謝しているし、雛子の面倒を彼なりにしようとしてもいる。可憐や咲耶にデレデレするのもまぁ年頃の男子らしい。そして花穂や雛子は相応の子供らしい。これはもしや、それなりに真面目にこしらえてる面もあるのだろうか、と。

 いやいや、ぼくが当時そこまできっちり考えていたはずはありませんけど。むしろ、「こんなあざといはずの作品にはまってしまいそうな自分」を予感して、そうじゃないんだキャラに惹かれたんじゃなくてお話がよかったからなんだ、とか言い訳を早速探そうとしていたのかもしれません。それにしても、ここからぼくが自ら放映を追っかけようと努力することも、アニメや原作(本誌連載)やゲームの情報を集めようとすることもなかったのです。相変わらず動かないオタクでしたので、このまま行けばひょっとするとアニプリへのこだわりは消えていたかもしれなかったくらい。

 ところが、美森氏が親切かつお節介にも、第2話以降の録画テープを時折送ってきたのです。実際には2クール目の途中から録画に失敗していた模様で、ぼくが観られたのはたしか第3話から飛び飛びで第15、6話あたりまでと第24、25話だけ。しかし、そこまで観てしまえば、航と妹達がしだいに関わりを深めていく様子と彼ら個々人の変化、そして終盤2話分における燦緒による共同生活崩壊の危機を、知ることができます。最終回の大団円への関心もさることながら、ぼくはここで、この作品が自分にとって好ましい物語であることを、認めたのです。

 

 翌2002年、ぼくはDVD第2巻(第3-5話収録)を購入しました。アニメ作品のソフトを購入することも、当時のぼくにはきわめて稀なことでした。なぜ第1巻から揃えなかったかというと、第2巻のほうが3話分入ってるし、物語が展開するのもここからだし、もしじっくり視聴し直して気に入らなかったなら継続購入を止めるときでもお得感があると考えたからです。まだはまってるとは言いがたいですね。しかしその一方、前年末までにはすでに脳内家族に可憐と雛子が加わっています。とっくにはまってるとも言えますね。

 要は脳味噌とともにお金の使い方がだんだん緩んできたというわけで、この頃はシスプリのアニメ・ゲームムックや原作キャラクター・コレクションなどを買い揃え始めています。5月8日からは、その直前の連休に購入したキャラコレなどを一気読みしてますね。

そして5月12日には、キャラコレのハートマークの数を妹ごとに調べてます。5月17日には妹が兄を読んだ回数を。5月20日には行数を。我ながら何やってんのか心配になりますが(手遅れ)、おそらくだんだん分かり始めたシスプリの世界を、ぼくなりにどうやって楽しむか・より深く理解するかを模索していたのだと思います。

 ……いいえ、それは事実の反面にすぎません。この頃ぼくは、可憐に、自分の妹になってもらおうとしていたのです。5月7日の段階で、ぼくは「どうやったら可憐さんを妹にできるのだろう」などと記しています。この人……可哀想に……(鏡を観ながら)。このへん、じつに頭の悪い背景があったんですけど、もう説明するのも億劫です。つまるところ、ぼくは可憐の兄として認めてもらうために、アニプリ第3話考察を書き出していたのでした。可憐が好き。アニプリが好き。世間では低評価だけどそんなに悪くない作品なんだよ。ということをまとまった言葉にすることで、そこまで深く理解しているぼくだから可憐の兄として認めてもらえるよね、という気持ち悪い理屈でしょうか。我ながら血迷っている。ちなみに、DVD揃えて全話視聴できたのは7月下旬なので、この段階では物語の結末を知らないままで突っ込んでたわけですね。

 

 そのアニプリ第3話考察ですが、公開当初のものがこちら。この内容について身近な方々からご意見をいただき、それを元にしつつ修正したのが現在のこちらです。

 比べてみると、根拠ある作品内描写(ここでは当番表と<お兄ちゃんと一緒>表)を具体的に分析することで人物関係における何らかの意味を見出す、という方法論は共通。これまでやってきたキャラコレの数える作業とか、そういう頭悪くてもできることをコツコツ積み重ねて、そこから見えてくるものを提示しよう、というわけです。これは、批評系の鋭さを持ち合わせないぼくにとって、また作品を既存の枠組みや固定イメージに無理やりはめこんで評論してしまうことが嫌いなぼくにとって、ようやく獲得できた地味で着実で作品をぼくなりに尊重した理解の深め方でした。

 ただし、公開当初の内容では、たしかに2つの表をもとに妹達の関係についていくらか検討しているものの、それは結局は、いい加減なつくりの作品と評価されがちなこのアニプリが、2つの表に示されるように相応の論理をもって組み立てられているのだということを主張したいがための分析にとどまっていました。結論不明という意見をいただいたのも当然です。

 そこから大幅に修正した現行の内容では、第3話のなかで<お兄ちゃんと一緒>表を妹達が作成しながらも最後に破棄しているという事実をふまえて、兄妹関係や妹同士の関係の変化とその論理を読み取ろうとしています。表という作品内ガジェットと、物語の展開そのものとを、より丁寧に結びつけようとしているわけです。ここでようやく、共同生活とか妹達の葛藤と相互扶助とか航の兄への成長とか、そういった今後の考察の基本的視点がはっきり認識されていきました。つまり、アニメ作品を人物達の相互関係と成長において理解していくというぼくの視聴姿勢が、ここで考察スタイルのなかにしっかり根を下ろせたことになります。そしてこのスタイルによって、ぼくは、考察しながらその対象作品や登場人物達の新たな魅力に気づき、いっそう好きになることができるようにもなれたのです。

 ありがたいことに、アニプリ考察は公開当時あちこちで紹介していただき、様々なご意見も寄せられました。なかには厳しい批判もあったわけですが、それらを含めてぼくの書いた作品考察に反応をいただけたことは、とても嬉しいことでした。そのうえ、ぼくの考察を媒介としてアニプリに関心をもってもらえたり、評価をあらためていただけたりしたことは、想像もしなかった驚きであり幸福でした。それは、作品からぼくがもらった楽しみに対する、ぼくなりの作品への恩返しが僅かなりともできたように感じられたからです。もちろん考察者としてのぼく自身が褒められたという承認欲求を満たされる気分もありましたし、そこで舞い上がって失敗もしましたが、「この考察を読んで、もう一度観てみたくなった」「いっぺん観てみるか」という言葉を目にすることが、本当に嬉しかったのです。

 

 思えば、ネットご近所の方々にIRCで考察を公開前にチェックしていただけたことも、相当助かりました。問題箇所を指摘してもらえたこともそうですが、好意的に読んでくださるそのこと自体が、公開に向けてずいぶん勇気づけられたものです。あのIRCの閉鎖性はいま使ってるTwitterでは得難いもので、ネットへの露出はやはり段階的に行うのがいいと実感しつつ、感謝してます。

 また一方で、あれだけ各所で考察を紹介していただけたのは、シスプリのファンダムが活発だったことに加えて、個人ニュースサイト全盛期だったことも影響しているのでしょう。『カトゆー家断絶』をはじめとするその発信力たるや。公開のたびにあちこちで取り上げてもらえたことで、ぼくのサイトではとうてい届かないはずの方々にまで広く伝わったのはじつに大きかったと思います。

 ネットの状況といえば、だいたいこの頃から、ぼくがそれまで巡回していた多くのえろげ感想サイトが次第に更新を停止し閉鎖していきました。それはテキストサイトが廃っていくのと重なるようにして、なのかもしれません。そうなった理由は、たんにあの頃活躍していた方々が社会生活に入っていったから、なのかもしれません。ともかくもこの流れは、ぼくにとっては、えろげ界隈からアニメ・漫画方面へと(あくまでネット上での)重点をずらすことを促しました。とくにぼくが葉鍵以外のノベルゲー(いわゆる抜きげー以外のそれら)を滅多に購入せず、葉鍵にしても『To Heart』『CLANNAD』までしかプレイしていないようなえろげーまーですので、今木さんたちのブログなどを例外とすれば、最近のノベルゲーやそのライターについての批評などには一切関心を寄せずにきています。もちろんえろげ自体はずっと遊んでるんですよ。実用面重視で。

 

 こうしてぼくはアニメ版シスプリと当時のネット界を通じて、自分の作品への向き合い方やネット上でのあり方を再構築していきました。考察時に作品と向き合う基本姿勢や方法論については、後の日記でごく簡単に、考察の書き方でもっとややこしくまとめてます。自意識がこじれ何事も中途半端な一人のオタクが、やっとのことで自分に合った表現方法を得たのであり、アニプリがぼくをいっちょまえのオタクへと一歩近づけてくれたのでした。裏返して言えば、足抜けするタイミングを失っただけかもしれませんが……足抜けできるとしたらですが。また、何が一人前の条件かよく分かりませんけど、好きな作品について百万字近く綴ったというのはそれなりの専心ではないかと思ってます。

 さて、しかし時代はすでに2002年。しばしば最近年の転換点として挙げられる『涼宮ハルヒの憂鬱』アニメ化の2006年までもう一息です。この前後の状況について、ぼくの視点から書いていくことにします。(続く)

オタクとしての自分史その4

 エヴァ以降の90年代後半について語る前に、再び当時のぼくが好きだった作品を列挙してみましょう。今度はアニメだけでなく漫画も含めています。そして、この時期から重要な位置を占めてくるようになるもう一つの分野も。そう、えろげです。

 

・1996年:『鬼畜王ランス

・1997年:『ケロケロちゃいむ』『勇者王ガオガイガー』『夢のクレヨン王国』『からくりサーカス』『To Heart

・1998年:『カードキャプターさくら』『魔法のステージファンシーララ』『ONE 〜輝く季節へ〜』

・1999年:『おジャ魔女どれみ』『To Heart』『メダロット』『あずまんが大王』『クロノアイズ』『ONE PIECE』(連載開始は1997年)

・2000年:『おジャ魔女どれみ♯』『AIR』『Kanon』(発売は1999年)

 

 だいたいこんな感じでしょうか。学生時代ほどの余裕はとっくにありませんから、毎週視聴するアニメ作品は増えようもなく、しかも新たな趣味としてのえろげプレイにいっそう時間を奪われていったのがこの時期です。

 ぼくがえろげに出会ったのは、友人宅にあった『コンプティーク』の「ちょっとHな福袋」でした。たしか『ドラゴンナイト』や『闘神都市』の特集だったはずで、それまでの二次元美少女趣味がパソコンの世界へと羽ばたいた瞬間です。しかし何といってもハード・ソフトともに高価でしたので、実際に自分で購入しプレイするのはしばらく後のこと。それでも1992年には『同級生』『マーシャルエイジ』『妖獣倶楽部』(発売は1990年)、1993年には『痕』『妖獣戦記 -A.D.2048-』シリーズ『Rance IV -教団の遺産-』などをプレイし、月刊『パソコンパラダイス』も読み始めてました。

 えろげーまーとしてのぼくは、「えろい」「ゲームとして面白い」「ひんぬー」の3基準で作品を選び続けてきています。そして、一度はまったゲームは何度も繰り返しプレイするたちです。結果として、アリスソフト作品に費やした時間はいかばかりかと……。子供時代にファミコンを近寄らせなかった反動でこんなことになったのでしょうか。いや、あの頃そんなもの入手してたら同じように没頭していたことでしょう。

 もちろん、そういう「アタリ」ばかりでなく、数多くの「ハズレ」作品で火傷を負いながら、ぼくは自分のえろげー眼を養っていったわけです。もっとも、どれだけ評価が高くとも買わなかった名作も『遺作』『YU-NO』など少なくなく、その一方でさほど人気がなくても自分好みの作品を見つけては悦に入っていたものです。どれだけのお金を注ぎ込んだのかは計算しないことにしていますが、この時期以前に固定収入を得たことで趣味への出費がどんぶり勘定になっちゃっていたこともよくなかったですね。

 そんなわけで、おおよそこの時期は、えろげーという新大陸を開拓するのに忙しく、アニメ・漫画のほうはせいぜい従来どおりという状況でした。

 

 さて、このえろげーを遊ぶためにパソコンを購入したということは、同時にネット環境も手に入れたということを意味しています。このとき以降、ぼくは無限に広いワールドワイドウェブの中で、えろげー関連サイトというきわめて狭い地域を日常的に探索することになりました。そして、そこで発見したのは、しょうもないことを全力で表現する人々の勇姿だったのです。

 いわゆるテキストサイト時代の風景については他所にお任せするとして、ぼくがよく訪問していたえろげファンサイトについて記します。それらは大雑把に言って2つのグループとして把握していました。1つは、いわゆる抜きげーのファンサイト群。もう1つは、いわゆる泣きげーのファンサイト群です。

 前者の代表格は、『エロゲカウントダウン』『国際軽率機構』。ぼくが知らない・知ってても手を出さないものも含めた数多くのえろげ作品について、サイト管理者自身の趣味嗜好によって一点突破全面展開するその感想などの文章を、ぼくは日々楽しみ、憧れてました。憧れというのは、自分でも好きな作品についてこんなふうに自由に表現してみたい、というものです。

 後者の代表格は、『CLOSED LOOP』『アシュタサポテ』『魔法の笛と銀のすず』。こちらでもやはりサイト管理者の色が自由に迸っていましたが、前者に対して批評系・考察系の文章が多く、感想と入り混じって公開されていました。こちらに抱いたぼくの憧れは、こういう感性や知性でもって作品を享受できたなら、というものです。

 そしてこの2つのグループをつなぐ位置に『死刑台のエロゲーマー』があるという塩梅ですが、ただし銀すずは批評系というより感想メインのサイトでしたので、抜きげー中心じゃないけど姿勢は前者グループに近かったかもしれません。

 まぁ結局はどちらもしょうもないことなんですよ。たかがえろげにそこまで真剣に向き合うことは本来無意味です。でも、彼らがそれぞれのやり方で示してくれた真剣な遊び方・楽しみ方、その作品が好きだからここまでやっちゃうよという情念の発散ぐあいに、ぼくは「粋」を見出して惹かれていたのです。それは、不徹底なオタクという自覚のあるぼくにとって、ワナビー的な欲望の表れだったのかもしれません。だからといって自分でサイトを開こうとか、そこまでいかずとも掲示板に書き込んでみようとかは、一切できずにいましたけれども。そこはやはり受動的な人見知りの限界です。

 

 そんなネットサーフィンならぬネット巡回を日々の習いとするうちに、ぼくはとあるサイトに辿り着いていました。

 そう、『づしの森』です。

 おそらくしのぶさんや今木さんの言及リンク経由だったか、また『ONE』などの感想を探し求めての発見だったかと思うのですが、このサイトでのMK2さんと箭沢さんの文章を読むうちに、「なんだこれは」とその異様な力強さに引きずり込まれていったのを覚えています。とりわけMK2さんの文章は、好きな作品に対する情念のたけを、それまでのぼくが知らなかった圧倒的な質量でぶん回してくるものでした。そこには批評系テキストの分析的な視線もあるんだけどそれが目的じゃなくて、ひたすら自分自身が作品に向き合って何を感じ取ってしまったかを縷縷テキスト化しているものでした。感想、といえば感想なんだけど、他の感想系サイトのそれとは明らかに臭いが違う。唯一しのぶさんのとは似ている面がありましたが、それでもやはりラオウとトキみたいに違う。

 書かれていることの大半は、ぼくにはよく分かりませんでした。しかし日参するうちに、ますます引き込まれていきました。そしてそのうち、なんか分かってしまったのですね。テキストの意味やこのサイトのお二人のことが、ではなくて、このサイトは妙に居心地がいい、ということが。もとよりお二人がさかんに掲示板への書き込みを歓迎していたということもあります。そこで実際に変態アットホーム空間が構築されていたということもあります。ですが、今まではそれでも書き込みを躊躇していたであろうこのぼくが、ついに個人サイトの掲示板に書き込んでしまった初めての場所が、このづしだったのです。

 そこで得た数々のご縁はいまでもありがたく、多くの方々とネット上で交流を続けさせてもらってますし、また合同同人誌にも参加させていただくなど、ぼくのオタク的活動の幅がぐんと広がるきっかけとなりました。そしてえろげー作品感想などを自分なりに書いてみたりと、ぼく自身が好きなものについて自由に語ることを、このとき以来あまり怖がらなくなっていきました。このあたり、づしの掲示板で温かく受け入れてもらえたことが、本当に大きかったんだなーと感じます。もうね、すんごく嬉しかったんですよ。ええ。要するに寂しがり屋の人見知りだったというわけですが、30代男性ではまったく可愛くない。

 

 とはいえこの時期のぼくが文章にしたものの中には、本当にこだわっている作品についての感想は含まれていません。書いて楽しい、書きやすいものから取り掛かっていた、ということはあります。しかしその一方で、『ONE』や『AIR』をはじめ、単純に「好き」というだけでなく引っ掛かりを覚えてしまった作品について、ぼくは正面から文章を書くことを明らかに避けていました。

 そこには、近づきを得たサイト管理人の方々のような誠実さや鋭さで作品に向き合えないという、ぼく自身の能力への自信のなさや、がっかりさせる(厳しく評価される)ことへの不安がありました。また、当時のぼくのテキストが獲得しつつあった「軽さ」という味と、これらの作品へのぼくの湿った情念とが相容れず、うまく言葉にできなかったということもありました。そしてもしかすると、今までのぼくのオタクとしての中途半端さに目を向けるならば、ぼくが意識のうえではそこからの脱却を望みながらも、しかしそこに留まることで得られる曖昧さへの安心感を、捨てられずにいたのかもしれません。書いたものをそれなりに楽しんでもらえながらも、何か閉塞感に行き当たったのが、この時期の終わりの頃なのです。

 そういう内弁慶な優等生根性がはじけ飛ぶ時を目前にしていることに、ぼくはまだ気づいていませんでした。ついに幕を開けた21世紀、その最初の2年間にぼくが好きになった作品を並べてみましょう。

 

・2001年:『Cosmic Baton Girl コメットさん☆』『シスター・プリンセス』『も〜っと!おジャ魔女どれみ
・2002年:『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』『シスター・プリンセス RePure

 

  そう、シスプリとの遭遇です。とにかくぼくのオタク生活は、彼女達と出会った時から、ガラリと音を立てて変わってしまったのです。そして、それは、これからも。(続く)

オタクとしての自分史その3

 さていよいよエヴァの衝撃。と言いたいところですが、ここで90年代前半にぼくがほぼ定期視聴したアニメ作品リストを確認してみましょう。当時とりわけ好きだった作品には◯をつけてます。

 

・1990年:『からくり剣豪伝ムサシロード』『キャッ党忍伝てやんでえ』『◯NG騎士ラムネ&40』『◯魔神英雄伝ワタル2』『魔法のエンジェルスイートミント』(ナディアは不定期視聴)
・1991年:『きんぎょ注意報!』『ゲッターロボ號』『◯ゲンジ通信あげだま』『◯絶対無敵ライジンオー』『タイニー・トゥーンズ』『トラップ一家物語』『魔法のプリンセス ミンキーモモ
・1992年:『宇宙の騎士テッカマンブレード』『風の中の少女 金髪のジェニー』『◯伝説の勇者ダ・ガーン』『◯花の魔法使いマリーベル』『◯美少女戦士セーラームーン』『◯ママは小学4年生
・1993年:『恐竜惑星』『◯美少女戦士セーラームーンR』(アイアンリーガー、ムカパラ、マイトガインは不定期視聴)
・1994年:『◯赤ずきんチャチャ』『美少女戦士セーラームーンS』(グルグル、ジェイデッカーは不定期視聴)
・1995年:『新世紀エヴァンゲリオン』『◯飛べ!イサミ

 

 おや、エヴァに◯がついていない……。どういうことでしょうか。

 

 この頃、とくに好きで単行本を揃えていた漫画作品をいくつか挙げてみると、藤田和日郎うしおととら』、長谷川裕一マップス』、椎名高志GS美神 極楽大作戦!!』、聖悠紀超人ロック』(スコラ社の再編集版)など。上で◯つけた作品と共通する点としては、好きなタイプの女の子が登場してるとかを除くと、いわゆる少年漫画的な熱さ(うしおやワタル2やライジンオー)、コミカルさと王道の結合(美神やセラムンやイサミ)、でかいSF的スケールと人間の営みの結合(ロックやマップス)といった塩梅です。そういうのを好んで試聴していた、そして今なおしているのがぼくというオタクなのです。というか、ごちゃごちゃ内省的になったりイヤな「リアル」風味で飾りたてたりする作品群に食傷してたのです。

 すると、そういう人間にとってエヴァは馴染み難い作品だったのか? でも、観始めてからは最終回までほとんど漏れなく視聴してたことは間違いありません。レイの初めての笑顔に撃ちぬかれたとか、いろいろ事情はありますけど、作品全体としてやはり気になる存在だったことは確かです。これ結局どうなるんだろう、と。

 ところで、先ほどの共通点のうち、最後のSF云々のものについては、該当するアニメ作品が例示されていませんね。はい、ここがエヴァに対するぼくのためらいということになります。エヴァも作品世界やテーマのスケールは大きかったのかもしれませんが、TV版最終回まで視聴したかぎりでいうと、風呂敷をたためていませんでした。まぁそれは映画版で、ということだとしても、あの作品にはぼくが好んで観たがるような人間の営みが描かれていません。あるいは、マップス世界のゲンやロック世界のヤマキ長官たちが存在していません。責任を担おうとする「大人」が、そしてその「大人」に抗いながらも学んで自分なりの担い方を模索する「若者」が、いなかったり最後まで頑張れなかったり。最終回できっとなんかやるだろうとぎりぎりまで期待していたシンジがああだとか。そここそがエヴァの同時代的価値なのだと言われればそれまでですが、ぼくはそういうの苦手なの。ロンギヌスの槍よりもスターティアにしびれるの。これは作品の優劣というよりぼくの好みの問題です。

  なお、『マップス』に出会ったのがおそらく1992年頃。ちなみに長谷川裕一作品に初めて出会ったのが1991年に雑誌『COMICクラフト』掲載の『童羅』というのはここだけの秘密。それはさておき、TV版最終回では「あー、これはこれで」と妙に腑に落ちた気分になりましたし、映画版エヴァ(テレビで観た)のラストではそれなりに風呂敷閉じた感をいただきました。

 

 さて、エヴァの物語がぼくの趣味嗜好と合わなかった一方で、エヴァをめぐる当時の活発な論争にぼくが興味を抱かなかった理由が別にあります。とても単純な話で、つまりネット環境がなかったという。あの頃はパソコン通信でしたっけ、テレホーダイの時間帯に掲示板のやりとりをダウンロードしておき、回線外してからゆっくり内容閲覧するとかなんかそういう。友人がやってたのを数回見せてもらったことがありますが、そういう新しいメディアなどに食いつくのが遅いうえ動くの面倒なぼくですから、言うまでもなく自分でネットにつなごうなんて思いもしませんでした。そして、そのダウンロードされた内容を横目で見た程度では、あの論争なるものを追っかけようとか、まして参加しようとかいう発想は浮かばなかったのです。

 もちろん、エヴァ視聴中にぼくなりの疑問を抱いたり、いわゆる謎について考えてみたりしたことは多々ありました。かつての『ムー』の読者ですし、死海文書だの生命の樹だの出てきて引っかからないわけがないのです。オカルト・軍事・美少女といった要素には簡単に食いついたうえで、しかし同時にどこかどうでもいいという冷めた感覚があったことは事実。

 なぜかといえば、そういった謎めいた要素そのものの解釈よりも、シンジたちがどうするのか・どうなるのかのほうがよほど気になったからです。作品世界を構成する要素は、登場人物の運命に関わる点においてしか意味をもたない。というのが、作品を楽しむさいのぼくの基本的姿勢です。彼らが行動する理由やきっかけ、その結果をもたらす要因、主題に向き合うさいの背景。それ以外の要素がいくらそれ自体として興味深かろうと、つまるところどうでもいい。ぼくにとっては、物語を楽しんだうえで味わってもいいおまけにすぎません。

 そういうぼくが読みかじったネット上の論争は、その「どうでもいい」部分にこだわっているように感じられました。そうでないものもたぶん少なくなかったんでしょうけど、わざわざ探す気になれませんでしたし。あるいは、ぼくがもっと若ければ、かつてイデオンに受けた衝撃のように、シンジたちから痛切な何かを受け取っていたかもしれません。しかし、実際はそうではなかった。ネットにかぎらず、雑誌記事や解釈本についても一切触れないまま、関連商品もまったく購入しないままに、ぼくはエヴァを他のアニメ作品同様に「野心的だったけど残念」という感想で片付けていきました。エヴァブームは、ぼくを巻き込まずに過ぎ去っていった台風だったのです。(続く)

オタクとしての自分史その2

 さて続きです。80年代の経験について、つまり主に中高時代。

 

 あの頃のアニメで重要なものといえば魔法少女作品がありますけど、ぼくは『魔法のプリンセスミンキーモモ』も、ぴえろの『魔法の天使クリィミーマミ』以降のシリーズも、本放送当時は視聴してません。また、『アニメージュ』を読んでなかったので、『風の谷のナウシカ』もまだ知りません。このときはリアルロボットアニメばかり好んでました、というかメカが登場しない作品を遠ざけてました。

 とはいえ、そちらについても本腰入れて毎週観てたのは『超時空要塞マクロス』『超時空世紀オーガス』『巨神ゴーグ』『銀河漂流バイファム』『重戦機エルガイム』『機動戦士Zガンダム』……くらい? つまり、ザブングルダグラムボトムズなどにはほとんど触れずにいたわけです。年に2、3本しか連続視聴してませんので、アニメというジャンルそのもののファンとは到底言い難い状態でした。

 

 ただ、その一方で、自分が明らかに「そっち側」へ踏み込んだな、と実感していたことも事実です。その原因のひとつは、アニメ系の雑誌を読み始めたこと。それも『アニメック』と『OUT』。ただし、それらは好きな作品の特集時に購入する程度で、はるかに甚大な影響を及ぼしたのは『ファンロード』の定期購読でした。ちょうど隔月刊から月刊に切り替わる頃でしたか、ある友人から雑誌の存在自体は聞いていたのですが、自分で本屋で発見したのが運命というか。アニメ雑誌とは違った、表向きの宣伝臭のない拵えが、ちょうど厨二病のぼくには直球で届いたのかもしれません。

 そこでまず、自分が知らない様々な作品・作家をシュミ特その他で知る機会を得られたのがじつに大きかった。例えば新井素子の諸作品(最初に読んだのが『グリーン・レクイエム』)、栗本薫グイン・サーガ』(30年以上読み続けてる)。そして投稿者からは、ながいけん(2コマ漫画!)。次に、好きな作品をこうやってどっぷり楽しめるんだ、と気づけたのも相当大きかった。感想、真面目・パロディとりまぜた二次創作、用語辞典、等々。徹底的に味わい尽くす、自分の好きなやり方で作品を思い切り楽しむ、という姿勢が、雑誌全体を貫いていました。

 その一方で、一部のアニメ雑誌に掲載されていたような作品批評や賛否論争などは、『ファンロード』で目にした記憶がありません。作品批判にしてもユーモアのあるかたちでという。あくまでも「ファン」としての表現を、というあたりに編集長イニシャルビスケットのKさんの方針があったんでしょうけど、本来頭でっかちなぼくが批評へと向かわなかったのは、案外この雑誌の影響とも思えてきます。また、この雑誌をそのまま真似したわけではないですが、小山田いくすくらっぷ・ブック』について調べたり考えたりしたことを書きためたのは、やはり刺激を受けてのことだったかも。あの時たしか、全キャラクターの登場コマ数を全話分数えたりしてたはずで、のちのぼくの地道な考察スタイルが基礎づけられつつあったわけです。まぁ、絵を描けない・お話も創れない人間が、好きな作品について批評以外の何かを書こうとすれば、そういう地味な調査に向かうほかなかったとも言えますが。

 

 「そっちがわ側」の実感をもたらした他の原因はというと、宗教・オカルト・軍事などへの傾斜でした。要するに、ぼくを取り巻く世間とは無縁のものに強く惹かれていったという。『ファンロード』と並んでこのとき購読し始めたのが月刊『ムー』でして、いわゆる「世界の隠された真実を知っている」感がぼくを包んでくれたのでした。いつだったか「ユリ・ゲラーのテレパシー実験」というのが誌上で予告されて、特定日時に彼が1つの数字と1つの図形を念じて送るので読者が受信するというものでした。ぼくも自宅で受信を試みたところ、図形のほうは「成功」したのを覚えてます。ええ、かなり本気ではまってました。どれくらい本気かというと、『ファンロード』で『ムー』を揶揄する投稿が掲載されたとき、怒りのあまり『ファンロード』講読をやめたくらい。それも振り返れば、すでに惰性となっていた雑誌講読をやめる言い訳を、たまたま与えてくれただけなんでしょうけれど。事実、『ムー』のほうもその後ほどなく買わなくなってしまいましたし。

 一方、軍事方面は長続きしました。とはいっても軍事雑誌を購読するとかエアガン等のミリタリー趣味に走ったとかではなく、いわゆるシミュレーションゲームへの道です。小学校高学年時あたりでバンダイ『203高地』に出会って以来、ボードウォーゲームに興味を抱いてきたのですが、エポック『D-Day』を自費購入するに至ってとうとうそっちの趣味が花開いてしまいました。いや面白かったですね『D-Day』、何度もプレイしたものですよ。ただし対人プレイはたった2回。あと全部ソロプレイ。それ以降もゲームサークルなどに通ったためしなし。嗚呼、ここでも人見知りで引きこもりの性格が、趣味生活を左右していくのであります。『シミュレイター』や『タクティクス』といった雑誌は立ち読みばかりで、むしろ貯めた小遣いは新作シミュレーションゲームにまとめて使うものでした。そうしないとあの値段では買えない。そしてそこに金が要るので、優先順位の低くなった趣味分野への出費はどんどん切り詰められていきます。『ムー』などを買わなくなったのもそうですが、しかし好きな漫画や堅めの本を読むことはやめませんので、一般男子らしい趣味へと踏み出す気などますます起きようもないのでした。

 このような状況は、さらに高校時代にTSR/新和『ダンジョンズ&ドラゴンズ』と出会うことで、いっそう拍車がかかりました。それまでに『火吹山の魔法使い』など一連のゲームブックで下地が整えられていましたが、TRPGはその後ずっとぼくの趣味生活に根を下ろしていきます。人見知りなのによくもまぁ、と思われるでしょうが、つまりほとんど高校時代の友人だけとプレイしてきたわけです。海外ファンタジーの翻訳を読み始めるのは、このあたりからですね。

 

 そして再び漫画やアニメに立ち戻ると。ぼくはこの時期の各段階において、まず週刊少年チャンピオンにて内山亜紀『あんどろトリオ』に、また『ファンロード』記事にて『くりぃむレモン』シリーズに、そしてアニメイトにて森山塔『よい子の性教育』に、それぞれ遭遇していました。

 こういうの、ありなんだ。

 理想化された二次元美少女キャラがえっちい漫画やアニメでもんちっち。ここでのオタクの一性質として、「二次元で性的興奮を得られる」というものが含まれるとすれば、当時のぼくはまったくもってオタクの一員となっていたのでした。後のHENTAIである。

 この流れのままに雑誌『レモンピープル』などにも目覚めていくなかで、当然ぼくは自分が世間の「健全な男子」ではないことを再確認していました。そして、そこから戻る気がないことも。さらに、そういう自分が世間の人たちから白眼視されるであろうことも。まずもって家族から向けられる目が疑念と不安に満ちているわけですから、そりゃ分かりますよね。学業面でそこそこのレベルを維持することで体面を繕いつつ、また「勉強のストレスをこうして発散」などと言い訳もしつつ、一応は他人の目を気にしながらこそこそ趣味生活を営むという習慣が、この頃に備わりました。もっとも、こそこそしてたというのはぼくの主観に過ぎず、家族からすれば「もう少し隠せ」と言いたい有り様だったかもしれません。ただ、自室にその手のポスターを貼ることは中学時代でやめましたし、眉をひそめられそうな本は書架に並べないというのも早くから行ってました(だが母はつねに全てを探しだす)。

 こういう態度を「中途半端」だと言われればその通りです。当時も今もぼくはどれか一つの分野にこだわろうとしないオタクですし、同じ趣味をもつ仲間を探そうともしませんでした(自分を一人前のオタクと思えないのはこのへんの屈託があるからです)。コミケの存在は知ってましたが、自分で足を運ぼうとは思いませんでした。その趣味に対する世間の目に抗おうともしませんでした。正直なところ、気持ち悪がられるだろうな、まぁそうだよな、と我が身を捉えていましたから。その一方で、ぼくから見て気持ち悪く感じるような趣味にはまっている他人を、そのことによって否定しないようにしたい、とも思いました。内向的な人間として、できるだけお互いに干渉しないという原則を、守りたかったのです。そんなぼくの自室では、岩波文庫コバルト文庫と少年漫画単行本とが、ぼくの好きな作品として同じ書架に収められていました。ちなみに机の引き出しの奥にはエーズファイブコミックと富士見ロマン文庫が。

 

 さて、そんな自分が対人能力において相当困ったことになっている、とあらためて痛感したのは大学入学時でした。下宿での一人暮らしは楽でしたし、講義を聞くことも面白かったのですが、自意識がさらにこじれてきていたこともあって、他の「健全」な学生と一つの場を共有することがひたすらしんどかったのです(まぁあちらは一層しんどかったんじゃないかとは思いますが……)。とくに一部の女子学生から時折向けられる視線は、それはそれはモノを見るような、犯罪予備軍を見るような。あれは宮崎勤事件が起こる前のことですから、オタクへの攻撃はあの事件で強化されこそすれ、オタクが忌避される土壌はすでに出来上がっていたはずです。ただし、あの視線はオタク一般へのものではなく、たんにぼくという「根暗」な個人に向けられたものである可能性も高いので、そのへん留保しときます。

 その宮崎勤事件ですが、あのニュースを知ったときのぼくは(被害者の子供達への気持ちを省けば)「ああ、もっと肩身が狭くなるのかな」と思った覚えがあります。ただ、いわゆるオタクバッシングというものを、その後身近に感じたことはほとんどありませんでした。人付き合いがめっさ狭いのでそういうことしそうな人々と接触する機会がなかったし(先の女子学生たちともとっくに疎遠になってた)、居心地の悪さ・居場所のなさということなら日常的すぎて今更でしたし。また、バッシングされた苦痛を訴えてくるような友人がそばにいなかったというのも理由の一つかもしれません。たくましい友人が多かったのではなく、これまたたんに身近に親しい友人がいなかっただけ。むしろ成年漫画の消しが厳しくなるとか、そういう問題のほうが当時切実だったような気がします。腰の部分がまるごと真っ白とか。ええもう。

 

 もちろん、テレビその他での言われようについては若干触れる機会もあったわけですが、だからといって自分から何か行動する気も起きず。それでも一応、「健全」な人達から攻撃されたら、ということはぼんやり考えてはいました。ただし、そこで「いやオタクはそんな迫害されるべき存在ではなく」という具合に、オタク(としての自分)を弁護する気はあまりありませんでした。犯罪者扱いはさすがにたまりませんでしたが、気持ち悪く見られること自体は、そしてそういう対象を不安視して攻撃しがちな人がいることは、認めていたからです。

 そこには、自分というものへの諦めが横たわっていたようにも思えます。また、いくらオタクと自分の弁護を論理的に行ったとしても、まるで効果がないどころかかえって余計に怪しまれることを、そしてその弁護が本来のどうしょうもない自分の姿を隠蔽してしまいかねないことを、恐れていたようにも思えます。

 だから、当時のぼくは、もしも攻撃を受けたならオタクや自分の弁護を行うのではなく、攻撃してきた相手のどうしょうもなさをつきつけてやろうと考えていました。「うん、ぼくはそうかもね。でもそう言う君もこんなだよね、それはそれでどうなのかな」みたいに。「健全」で安全なつもりでいる者の化けの皮を観衆の前ではがしてやるほうが、どうせ火に油を注ぐなら相手へのダメージが残る分だけ楽しいからです。「死なばもろとも」と教えてくれたのは、映画版イデオンのザンザ・ルブ。

 まぁ実際そういう場面でどこまで頑張れたか分かりませんけどねー。幸か不幸か、そういう人達との接触さえ得ずにすむほど人付き合いのなかったぼくは、その閉じた趣味生活のまま90年代に入り、やがて『新世紀エヴァンゲリオン』と出会うことになります。(続く)

オタクとしての自分史その1

 昨年末にまたオタクとサブカルの話とか出てましたが、ついったーで80年代・90年代について尋ねられたので、あくまで自分史としてそのへん書いてみます。とりあえずその前史から。なお、ここでのオタクとはアニメだの漫画だの、そのあたりの趣味についてのです。

 

 80年代に入る頃、つまり小学校高学年時には、ぼくのオタクの素養はだいたいできあがっていたようです。たぶんそれは、実家で売ってた少年漫画雑誌やテレビマガジン・テレビランドなどを欠かさず立ち読みしていたことによって培われたのでしょう。

 ただし、あの頃は『秘密戦隊ゴレンジャー』などの特撮も長浜3部作のようなロボットアニメも『魔女っ子メグ』のような女の子向け作品も、ぼくの近辺の男の子はだいたい視聴して楽しんでいた(そして主題歌もみんなで歌えた)と記憶しています。その一方で、少女漫画雑誌をぼくが手にとることは一度もなく、そのへんは「普通」の男の子でした。

 にもかかわらず、皆と共有したそういう作品群のなかから、ぼくはオタ的要素を摂取していったことになるのでしょう。その原因をとりあえず自分の属性に求めれば、外遊びは好きだけど運動は苦手なことや、身だしなみへの感覚に疎いこと、読書等インドアでの余暇の使い方に馴染んでいたことなどが挙げられます。

 所属集団について言えば、クラスに仲の良い友達はそれなりにいたけど、例えば地域のスポーツクラブなどには参加していなかったので、そういう外向的集団の中で伝達される情報やセンスを一切共有できなかったんですね。これは高学年あたりでけっこう強く自覚しましたが、あの頃adidasだのpumaだのといったスポーツブランド商品が周囲で流行りだしても、それがどんな出自のものなのかさっぱり分からなかったし、また知りたいとも思わなかったのです。同じように、そういう仲間内で伝わるところの男子ファッションや、そこに見いだされる世間的な格好良さの基準やそこへの接近手段、さらにそれらを求めようとする意志も、ぼくは分かち持つことがないままでした。やがてこの断絶感は、「世間の流行のままに上辺を飾ることは格好悪い・頭が悪いことだ」という微妙にバンカラな美学を生み出していきます。この感性は、自分にその素養がないかもしれない・そのための努力をしないことへの不安を、世間への批判的視線を持ちうる者から持ち得ない者への、また(学校の成績という意味で)自分より頭が悪い者達への見下しに変換することで、自分をごまかし宥めていたという面もあったのでしょう。

 学業優秀というのは当時のぼくにとって自尊心の大黒柱でして、小学生時代に座学で困ったことは一度もなく、先生の覚えめでたくもあって学級委員などを何度も務めたものです。そこでは自分の優秀さを認めてもらえる喜びとともに、なぜ同級生はぼくの主張する「正しい意見」に賛成しないのか、といった傲慢さも育むことになりました。まぁいますよね、そういう勘違いしてる子って。

 この頃ぼくが通いつめていた店といえば、なんといっても近所のやや大きめの書店でした。あとで述べるとおり漫画は大好物でしたが、それと並んで当時よく立ち読みしていたのは、岩波文庫パラフィン紙カバー!)やブルーバックスや現代教養文庫講談社現代新書学術文庫。いかにも背伸びしたい年頃の少年として、同級生がプレイボーイ誌やスポーツ雑誌などに向かうなか、ぼくはクラスでただ一人こういった書籍に手を伸ばしていました。

 もちろん内容なんてロクに分からんのですけど、純粋な知的好奇心と同級生への優越感に突き動かされ、小遣いで買ったり親にお願いしたりして寝る前のお供に加えていきました。読み終えた本を小さな本棚に順序良く並べていくことが、たしか相当な楽しみだったはずです。それは、他人に見せるためでもありますが、自分の知識が増えていくことを素直に嬉しく感じてもいたわけで、いわば教養主義的な傾向がここで生まれていたようです。ただし、だからといって定評ある作品や古典を読もうとしていたわけでもなく、立ち読みして気に入ったものしか買いませんでした。自分の感性を信じるというよりは、自分がいちばん頭いいと思っていただけかもしれませんし、誰が何と言おうと好きなものは好き・嫌いなものは嫌いという今でも続く頑固さの表れだったかもしれません。

 こういった小学生時分の姿勢というものは、ぼくをオタ道へ誘う原因のひとつとなりつつ、オタクのタイプ選択にも影響していったように思われます。また、この頃に身についた他の傾向としては、例えば芸能番組や実写ドラマをほとんど観なくなりました。いわゆる三次元への興味が薄れていったわけですね。キャンディーズピンクレディーの番組を観ていたぼくは、松田聖子の頃に芸能番組から離れました(もっとも妹が観てたので、ぼくも一応あの頃のアイドルソングに馴染んでますが)。また、『金八先生』などの有名ドラマも毎回試聴することは稀でした。こう、なんか、演技がうそ臭くて虚構感が強すぎる、という。もちろんアニメや漫画だって虚構なんだけど、どうせ虚構ならそちらのほうがよほど洗練されているし脳内補完しやすい。少なくともアイドル人気で作品評価をごまかしてはいない。そんな感じだったでしょうか。

 

 さて、漫画とアニメの話をもう少し詳しく。

 小遣いのやりくりで厳選された本のなかで、やはり漫画の単行本は大きな位置を占めていました。しかし、単行本がピンポイントで強い影響を与えてきたとすれば、その影響を受ける素地を長年形成してきたのは漫画雑誌です。最初に触れましたが、実家で売っていた五大少年誌チャンピオン・キング・マガジン・サンデー・ジャンプを、週刊月刊ともに欠かさず読めたという。だいたいチャンピオンで『がきデカ』が連載開始するあたりから、サンデーで『究極超人あ~る』が完結する頃までの間ずっとです。

 漫画を読むことが人生の一部となったのも当然ですが、単行本を買うくらい好きだったのは、小山田いくすくらっぷ・ブック』『星のローカス』、とり・みきるんるんカンパニー』、江口寿史『すすめ!パイレーツ』など。ただし、それ以前に吾妻ひでお『ふたりと5人』や山上たつひこがきデカ』などの影響も大きかったし、聖悠紀超人ロック』などはずっと好きで、はるか後に大人買いしたものです。記憶に残る作品としては、ジョージ秋山『ギャラ』とか。

 これらの漫画作品からどんな影響を受けたかといえば、ギャグセンスや物語の趣味、そしてキャラクターへの傾倒。ただ、のちのオタク成長過程にとって何より重大だったのは、少女キャラクターへの性的関心に基づく視点を獲得したことではないでしょうか。いわゆる二次元でおっきおっきというやつです。この起源はけっこう根深く、ダイナミックプロ作品のぼいーん系から始まり(『グレートマジンガー』EDの炎ジュンにブラウン管ごしにちゅっちゅしてた記憶あり、また月刊少年ジャンプで『けっこう仮面』も読んでた)、小学校入学時にはすでに漫画・アニメキャラによるハーレムを寝床で妄想していたはずです。どんな第一次性徴なのか自分。

 もちろん同級生やアイドルなど三次元の女の子にも興味はあったわけですが、問題は、手塚治虫吾妻ひでおとり・みきたちがその代表格ですが、ああいう曲線で描かれた漫画キャラの性的魅力に目覚めたのですね。そうなるともう、毎週立ち読みする少年漫画誌は興奮のベルトコンベアみたいなものでした。たまーにこっそり目にする大人向けエロ漫画誌(『エロトピア』『大快楽』など)から直球の描写を喰らうこともありましたが、けっきょく劇画には馴染めないままであり、その手の雑誌でやまぐちみゆきのエロ4コマに出会ったときに我が意を得たりと感じたのは良き黒き思い出です。

  アニメでは、何よりも『無敵超人ザンボット3』の衝撃が甚大で、その後はなんとなくああいう物語に惹かれていくようになりました。ブロック玩具でオリジナルの合体ロボットを作っては、その活躍と終焉を描く長編ストーリーの空想をよく繰り返したものです。言うまでもなくメインキャラの大半は戦死。ガンダムブームにはずいぶん遅れて乗っかるのですけど、少ない小遣いでケイブンシャのムックなどを購入したことを記憶してます。つまり、プラモなどの立体ものに行かず本に向かう習性がここですでに確立。もう模型でごっこ遊びする年齢でもないので、組み立てたら楽しみが終わるプラモは小遣い的にコストパフォーマンスが悪いと感じられました。同じ金額で本を買えば、寝る前のお供として何度も楽しめたのです。この、一人で繰り返し楽しめるものを好む傾向も、今に至って変わりません。

 ガンダムブームの流れで次に受けた衝撃は、映画版『伝説巨神イデオン』でした。TV版をまったく視聴していなかったんですが、ガンダム3部作を観なかったことへの反動で、イデオンは自分で観てみようと思い立ったんですね。たまたま友達もつきあってくれたので、事前情報なしに映画館に来てみたところ、あの発動篇をくらって声も出なかったのでした。カーシャの最期とか、もう。もう。ザンボット3の傷口が開いた瞬間でした。

 そう、だいたいこのあたりまでに、アイドルについて語るよりもカーシャについて語るほうが、ぼくの口は滑らかになるように育っていたのです。(続く)

ガルパン聖グロ考察を公開しました

 えらい久しぶりの日記ですが、ええと日記というよりサイト更新の報告です。

「アニメ『ガールズ&パンツァー』にみる後継者育成と戦車道の諸相・その1 ~聖グロリアーナ女学院篇~」を公開しました。ぼくからのささやかなクリスマスプレゼント、よろしければご笑覧ください。

 以前この日記で8/3に書いた内容を、思いっきりふくらました結果こうなりました。どれくらい膨張させたかというと、文字数にして23倍近くという。元の文章も日記としてはそれなりに長文だった気がしますけど、やはりブログよりもこうして単一の考察コンテンツとして切り出した方が、全力で長文を書ききったという満足感に浸れますね。

 「その1」ということですので、余裕とやる気があれば他の強豪校や大洗女子についてもリライトする予定です。今回のは夏からずっと加筆修正していたので、次はいつになるやらですが……。

好きな作品に対する異論への向き合いかた

 ついったーTLで、自分の苦手な批評家などが自分の好きな作品について論じたときどういう反応をするか、という話題があがり、ぼくの場合はと考えておりました。ぼくが考察を書くときの姿勢とも関わることなので、それについてはずいぶん前に書きましたけど、久々にあらためて文章にするとどんな塩梅なのか。

 

 ぼくの苦手な批評家、はいっぱいいます。というか、批評家や批評というものがだいたい苦手。アニメ批評などをたまたま読む機会があっても、その内容がさっぱり理解できないということがあまりにも多く、ああこれはぼくの頭では届かない世界なのだな、と自分の能力に見切りをつけて現在に至ります。批評に触れるということは、そういう自分の頭の悪さを再確認させられるということでもあるので、まぁ気分的にしんどいですね。

 また、それらの批評を読むことはぼくが作品を楽しむうえで必要不可欠なものではないし、読んで(自分が誤読する可能性もあって)腹を立てたりモヤモヤしたりするくらいなら、最初から近寄らないでいたほうが幸せではないか、という快楽計算もあります。ぼくは批評を作品と切り離して楽しむということができないたちで(理解できないんだから当然ですけど)、作品にまつわるたいていのものは、他人の批評だろうと感想だろうと二次創作だろうと公式展開だろうと、ぼくがその作品をよりいっそう楽しめるようにしてくれる手引きとして(のみ)ありがたい存在なのです。もちろん批評で飯を食ってる人たちには彼らの真剣な理屈があるだろうからそれはそれとして、ぼくはぼくで趣味を楽しむ範囲内で受け取らせていただく、というわけです。

 だから、ニュースサイトなどで批評系テキストが紹介されていても、それが好きな作品について新たな享受の手引きになりそうだという予感を得ないかぎり、ぼくはまず辿りません。ついったーでは、プロアマ問わず批評系の方々をほとんどフォローしてません。気楽に作品を楽しみたい場で毎日、他人の論争に耳を傾けられるだけの余裕は、ぼくにはないからです(知己を得ている批評系の方の呟きを時折まとめて拝読することはよくあります)。自分の能力や耐性や関心にあわせてネット視野を調整しているつもりですし、その外部がずんどこ広いことも一応意識しているつもり。

 

 そういう穴熊タイプのぼくが、苦手な批評家がぼくの好きな作品について論じているという情報のみならずその内容について知ってしまう機会は、意外とあるっちゃあります。例えばついったーTLでも、こちらがフォローしてる方々が話題にされてたりするし、RTが飛んでくることもあるし。RTの文字色を白に設定してそのままでは目に入らないようにしてますけど、それでもつい読んじゃったりして。

 そんなとき、気になったまま放置できない場合は、思い切って当の批評を自分で読んでみたりもします。そして、やっぱりまるで分かんないや、となれば放置&忘却。なるほど面白く分析してくれてるぞ、と思えれば以後の作品鑑賞の手引きのひとつにさせていただきますが、そのとき誰が書いたのかはあまり気にしません(著者の存在を無視するのではなく、苦手意識をそこだけ和らげたり、その批評家へのぼくの認識を改めたり、ということ)。

 さて、問題となるのは、その批評で示される作品像が自分の作品解釈とあまりに異なるだけでなく、何度読んでも「この人は本当にあの作品を視聴したり読んだりしてるのか……? この人にとって都合のいい枠組みに合わせて、作品をてきとーにはめ込んでるだけじゃないのか……?」と感じてしまった場合です。

 まず、ネット上でお付き合いのある方々が、その批評についてきっちり批判を行われている最中ならば、ぼくはその方々にお任せして「ふんふん、なるほどー」と学ばせていただくことにしています。両方の見解をもとにして、ぼくなりに考え直せることもありますし。ありがたいですね。

 次に、ぼくのネットご近所で、どなたもその批評について反論されていないならば、ぼくの熱量が低いときは「まぁ否定も肯定もされてないからいいか。こういう批評も流通する自由があるよね」などと割り切ろうとします。

 最後に、ぼくのネット視界内で身近などなたかがその批評に賛同されているならば。さぁ困りました。と同時に、心が沸き立つときです。

 

 最後のケースで、ぼくはつねに、自分の中に生まれた攻撃性が向かう先を確認することにしてます。いやーすんごくカッカときますからねそういうとき。できるだけ平穏に保ちたいネット視界がいきなり土足で踏み荒らされたような気持ちから、瞬時にテンパりやすいのです。ただし、そのとき例えばついったーでは、その制約内で表現できる程度の簡単な意見(自分の作品解釈)を表明するにとどめて、なるべく論争に持ち込まないようにしてます。いや、たぶん周囲の皆様がぼくの瞬間沸騰に反応するのを我慢してくださってるんだと思いますが……。ぼくとしては、ご近所の方々の賛同意見に対してねちっこく反論し続けたところで相手にも自分にも嫌な思いを与えるばかりですので、反論すべき本来のターゲットが当の批評そのものであることを、ここで多少のガス抜きをしたあとで確認し直します。テッカマンエビルが悪いんじゃなくて、寄生したラダムが悪いんだ。こいつが。こいつさえいなければ。

 もうね、こういうときは趣味に関わる防衛機制が働いてますから、自分の中に生まれた攻撃的衝動をいくら抑えようとしても無理なのですよ。我慢してもろくなことにならない。だったらせめて、その矛先を正しい方角に向けましょう、ということで、不快の根源たるその批評さえ打破してしまえば、ぼくの溜飲はとりあえず下がるはずなのです。

 

 え? ぼくの反論程度でその批評や批評家についての評判が動揺するわけないって? そんなもの最初からどうでもいい。だってそんな評判を気にするってことは、いつまでも自分の苦手な批評家をヲチし続けなきゃいけないってことでしょ? 不毛の極みです。それよか、自分の考察がネットご近所でその批評についての認識を若干考え直していただくための材料になりさえすれば、そしてネット視界に再び平穏が戻りさえすれば、だいたい目的の半分は達成されたことになるんですから。

 残りの半分の目的は、好きな作品についての半端な批評を目にしてしまったことで生まれたぼくのドロドロした衝動を、さらなる作品愛へといかにして昇華するか、です。さっき溜飲が下がるとは言いましたけど、その批評や批評家やシンパをいくら批判したり罵ったりしたところで、ぼくが得るものって何もないんですよ。どうしたって自分の負の面を露呈させるわけだし、そんな自分の切り売りで飯が食えるわけでもないし、なにより今後ぼくの好きな作品を鑑賞する楽しみをそういう記憶が汚染してしまうというのが心底つらい。深刻さに雲泥の差はあるにせよ、犯罪被害者の心境ってこういうのなんですかね。自由言論ですから犯罪でもなんでもないわけですけど。

 だから、ぼくはこういうとき、

(1)その批評をできるだけ受け止めたうえで、作品をもう一度観直して、作品内からその批評の根拠のなさを指摘できるような具体的箇所を確認する

ことに加えて、

(2)むしろ、それらの具体的箇所も含めてこんなふうに解釈しちゃったほうが、その批評よりも作品に即しながら別方向に突き抜けてて面白くね? と自分なりに思える作品像を提示する

ことを、同時に目指すことにしています。そして、その結果まず間違いなく、

(3)ぼくがその作品の新たな魅力に気づいて、その作品をもっと好きになる

のです。

 ここまできてようやくぼくの攻撃性は作品愛へと昇華されるというめんどくささですが、(3)まで辿り着きますと、最初はぼくに苛立ちを与えていた批評も、ぼくと作品との関係をいっそう深化させるための手がかりとして役立ってくれたことになるわけで、自分の中では「結果的にありがと!」という気持ちになれるのですね。他人へのヘイトを蓄えずにいられるのは、ぼくの趣味生活にとっては本当に大切なことです。そうすれば、「ああ、馬鹿みたいな分量と内容のテキストを一つの作品に捧げてしまった」という満足感と、「やっぱこの作品好きだわー」という愛情に、手放しでひたれますし。

 

 そんなわけで、基本的には自分自身の作品享受に寄与するかどうかだけが焦点なのですが、 いわゆる承認欲求というものを一切求めないかといえばそれは違います。そりゃやっぱり自分の主張を誰かに認めてほしい。できれば賛意を得たい。多くの読者を得たい。「こいつすごい馬鹿だw」という声もわりと嬉しい。

 ただし、「ぼくのことを認めてほしい」という気持ちは、「ぼくの考察をきっかけにして、誰かがこの作品を初めて好きになったり、今まで以上に好きになったり、もっと面白く感じたりしてほしい」という気持ちに、上書きされがちです。それは、ぼくの書いたテキストが、作品にとって役に立った、ということだからです。ぼくに喜びを与えてくれている作品への恩返しが図らずもできた、ということだからです。これが作品の評判をわずかでもプラスに変えたということであるなら、もう最高。

 このとき、その人たちが、ぼくが反論した批評からもそういう手がかりを得ていたとしても、それはそれでかまわないわけですよ。ぼくが受け入れないけど別の誰かが受け入れる意見もいっぱいあるし、ぼくの意見は誰かにとってまったく受け入れられない不快な意見であり得るし。実際、そういう反応をいただいたことが過去にあります。で、解釈の議論は議論として活発なうえで、そういう多様性が相互尊重のもとで確保されているファンダムは、作品をより豊かに楽しむことのできる場となるのではないか、と考えている次第です。ただし、日頃のぼくは「自分なりのしかたで作品を楽しめれば十分」と閉じこもっているわけですので、このへんは我ながら都合よく使い分けてますね。

 

 いまちょっと触れましたけど、自分を嫌ってる人が自分の作品解釈を読むことによって、自分が好きな作品を嫌いになってしまう人もいるんじゃないか? という不安(これも関連話題でした)について補足しておきます。

 この不安は、アニメ版シスプリ考察を書き進めていた頃にずっと抱いてましたし、忘れられない失敗経験ももってます。そこは反省するとして、しかしそれでも、自分の解釈や作品愛を一定のルールのもとで表現することにためらいはありません。一定のルールとはつまり、「比較の度を越えて他作品を見下さない」とか、「誹謗中傷しない」とか、「自分の頭で理解できていないことを書かない」とか、「自分に都合の悪い事実を無視しない」とか、そういう当たり前のものです。

 まず、そういう危険性に(配慮するだけでなく)囚われすぎてしまうと、何も書けなくなるというのがひとつ。無理ですそんなの。

 次に、ぼくと感性や判断基準が対照的な人にとって、「ぼくが好きな作品」は「すぐには手を出さずともよい作品」の標識として役立つかもしれない、というのがひとつ。(事実、ぼくにとってそういうサイト管理者がいるのです。その人が本気でオススメの作品のいくつかを実際購入してみるとぼくに7割くらい合わない、という。)

 さらに、ぼくの文章を読んで作品から離れてしまうなら、その人と作品との関係がその程度だったということ、というのがひとつ。その人が本気でその作品を好きであるなら、ぼくの解釈など押し流す勢いでご自身の言葉を示せばいいんじゃないかな、と。もちろん、好きになる前の作品に触れる第一歩を失うこともあり得ますけど、世の中ぼくの文章以外にもその作品について語っているものはたくさんありますし、そもそも作品そのものの創作物としての魅力は、いちファンの存在で完全に消せるほどヤワじゃないと信じています。

 最後に、ぼくの作品考察は、ぼくを嫌ってる人がそう手軽には読みきれない分量で書かれてますので、読む意欲をあらかじめ奪うことによって危険を回避できてないかしら、というのがひとつ。長いよ。毎度長いよ。もっとも、本文を読まずにタイトルに掲げられた作品名だけ見て判断しちゃうような人がいるかもしれませんが、どのみちそういう人はぼくの趣味生活とは無関係です。