「わたしはここにいる」が届くとき

 最近、ついったーにて『涼宮ハルヒ』シリーズについてのぼくの考察に言及いただきくことがありまして。最初に公開した『涼宮ハルヒの憂鬱』考察

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は2003年7月、つまりシリーズ第1作刊行時に自分の日記で連載した考察を2006年にまとめたものです。次の『涼宮ハルヒの消失』考察2つ

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は2010年に公開した前後篇。もう10年以上、『憂鬱』考察なんて17年も前に掲載したコンテンツで、これを日記で書いてた頃に生まれた方々がいまやハルヒたちと同学年ですよ。もうそんな年月が経ったなんて……。

 最近これらの考察に言及してくださった方は、シリーズ作品についての当時の論評・考察などを検索中に発見されたそうで。そこからまた、当時すでに読まれていた方々にも再読いただけたりと、嬉しい反応が続きました。そしてその一方で、最初のアニメ化以前の時期にあれだけネット上を賑わせていた各所のテキストが、現在ほとんど消えてしまっているという事実に、あらためてネット上の記憶の儚さをつきつけられます。もっとも、17年も過ぎれば出版物の多くも書店に並ばなくなるでしょうし、個人サイトをこれだけの間そのまんま維持すること自体がもはや酔狂なことなのかもしれません。

 

 この移ろいの速さを、ぼくは別の点からひねくれたかたちで感じることがありました。

 上に張ったリンクには、それぞれの考察に付されたはてなブックマークの数が示されています。公開当時、『憂鬱』考察には200以上のブックマークが付いていました。また、2ちゃんねるハルヒ板では一時期ぼくの考察urlが何度も貼られたり、いつしかぼくが宣伝してるのではと勘ぐられたりもしました。現在ブクマ数は大幅に減っていますけど、それでも100近くあります。

 これに対して、『消失』考察はどちらも10以下で、しかも公開当時もこれくらいでした。ひとつひとつのブックマークは本当にありがたいですし、数の多寡が問題ではない(そしてはてブのみが閲覧事実の全てでもない)と考えてもいますが、しかし自分の中で、もっと注目してもらってもいい内容なのに……という忸怩たる思いがあったことは、正直に認めます。何しろ考察後篇に至っては、自分で「ひっそり埋もれてたコンテンツを、お読みいただき本当にありがとうございます(礼)。」というセルフブクマを公開からわずか2ヶ月後に付けてるほどですので。

 この『消失』考察は2年以上も悩み続けてようやく形にできたもので、ぼくとしてはその甲斐あっての手応えを感じる出来栄えでした。また、ちょうど『消失』劇場版が上映された時期でしたので、タイミング的に注目してもらえるのでは、という下心もありました。ところが、これがさっぱりですよ。もうこのような長文テキストは読まれない時代なのではないか、作品ファンが7年前から入れ替わり嗜好も変わったのではないか、とか周囲の変化のせいにして納得しようとしつつも、いや結局は自分のテキストに魅力がない、説得力がないからだよね、という話に落ち着くわけです。ただ、後篇公開の数カ月後に『ハートキャッチプリキュア!』の「堪忍袋の緒が切れました!」暫定リストを作成したところ一挙にブクマされたことがあり、じっくり煮込んだ考察よりもこういう消費しやすい刺激物の方が注目されやすいのかな……と感じもしました。(このリストはその後、こってりした考察に仕立て直してます。)

 

 作品に自分が向き合った成果としてはこれ以上もなく満足してるし、そもそも作品自体が広く受入れられてることこそ何よりなんですけど、やはりぼくの考察への反応が欲しいという気持ちは満たされないままにある。そういう欠落感を、そしてそれを感じてしまう自分自身のみっともなさへの引っかかりを抱えたままでいたわけですが。

 この10年の間、たまたま『消失』考察を目にした方々が評価してくださったり、作品をもう一度開いてみるきっかけにしていただけたりするのを、時折経験してきました。自分のテキストをずっとそのまま公開し続けていることで、ネット界がどんどん移ろっていこうともその流れの中に石ころのようにじっと根を下ろし、誰かが渡っていくための足場にしてもらることがある。もちろん言及されればその都度はしゃぎもするのですけど(今回もそう)、短期間のアクセス数を集めなくてもこういうのもいいかな、という気分も、たしかにあるのです。

 以前この日記でも、こう書いたことがあります。

「たとえハルヒが流行った時代なるものは通り過ぎ顧みられるものだとしても、ぼくの作品愛を注いだ文章がいつか誰かのハルヒとの出会いや再会のきっかけになるとすれば、そのとき作品を介して別々の時が結びつくのだと思いますし、その瞬間にはおそらく新しいも古いもありません。」

 ずいぶん格好つけた文章ですが、実際そんな場面を与えていただく幸運に恵まれて、じつにありがたいな、と感じる次第です。それは、ぼくが好きな作品に真剣に向き合ったテキストを通じて、ハルヒ長門のように時間を越えて「わたしはここにいる」という言葉を、こんなふうに作品愛を表現するぼくがここにいるという事実を、受け止めてもらえたという証なのですから。

「アニメ版『シスター・プリンセス』英語版における翻訳表現の事例」を公開しました

 というわけで、「アニメ版『シスター・プリンセス』英語版における翻訳表現の事例」を公開しました。

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 これは旧日記の2006年3月3日から4月5日にかけて断続的に記していたアニプリ英語版の台詞の翻訳表現について、整理・補足したものです。シスプリ20周年記念でアニプリ期間限定放送中ということもあり、日記に散らばったままの記録をこの機会にまとめて閲覧可能にしておこうかな、と思ったものでして。

 ただ、英語の聞き取りなどあちこち間違えてるとは思いますので、ご指摘いただければありがたいです。

 

 いやー、新規の作品考察とは呼べないとしても、アニプリ考察欄に新コンテンツが追加登録されるのは16年ぶりですよ……。しみじみ。

 

 追記:考察タイトル冒頭を「アニメ」から「アニメ版」に修正しました。アニメ版・英語版と「版」がだぶっちゃいますけど、サイトでの表記は考察シリーズずっとこれで通してますので……。

アニメ版『シスター・プリンセス』視聴のための参照リスト(2019.11.11追記)

 20周年サイト公式チャンネルにて期間限定で少しずつ公開中の『シスター・プリンセス』(以下シスプリ)アニメ版作品、現在は第1作の『アニメ シスター・プリンセス』(以下アニプリ)の前半数話が視聴可能です。

 本放送された2001年から数年間は、当時隆盛を誇った数多のシスプリファンサイトで感想・分析・情報などを拝見できましたが、さすがに現在はそのほとんどが閉鎖されたり関連ページを削除されたりしています。そこで、当時ぼくが拝見していたサイトのうち今でもアニプリに関する内容を掲載されている方々を、自分の備忘録も兼ねてリストアップしご紹介したいと思います。たぶん確認ミスが多々あるはずなので、随時追加予定。

 

Shanghai亭(上海亭)さん『12人いる!』

 最初期からのシスプリファンサイトの代表的存在。シスプリに関する最新情報も今なお更新されてます。「CONTENTS」のところに、アニメ版に限らずシスプリについての膨大なテキストやイラストなどが掲載されており、シスプリという作品全体と当時の受容の姿について教えていただけます。アニプリ感想は辛口。

 

貴也さん『貴也の館』

 アクセスカウンタがシスプリ妹たちだー。思わず声が出ました。原作・ゲーム版なども事項対象に含めた「シスプリ小辞典」は、とくに人名を調べるのに助かります。

 

東雲大尉さん『東雲組』

 原作のキャラクターコレクションシリーズについて、「シスプリ文化保存研究委員会」に考察テキスト2本が掲載されています。

 

桜木天さん『Ballon d'or』

 原作・ゲーム版・アニメ版それぞれのコラムなどを、「Sister Princess」タグから閲覧できます。

 

ちぐまやさん『栄光は誰のために』

 「Anime&Comic」中に複数のアニプリ関連ページが掲載されてます。舞台である島内の各地とその位置について説明されている「プロミストアイランド案内板」、白雪の手料理リスト「白雪のお料理教室」はとくにありがたい。「鈴凛発明リスト」も助かりますが、「メカリンリン」という名称記載がアニプリでの呼び方(だいたい「プロトメカ何号」、ただしムックの『完全ビジュアルブック』では1号・2号を「プロトロボ」と表記)と異なっている点に注意です。

 

26さん『Sister Freedom』

 「Contents」の「シスプリ考察・読み物」に、作品やキャラクターについてのテキストが多数掲載されています。どちらかといえば原作・ゲーム版をベースにされている感じですが、もちろんアニメ版準拠のイラストも。

 

疎水太郎さん『storybook.jp』(2019.11.11追記)

 アニプリ放映時は曽我十郎さんというお名前だった兄チャマですが、「シスタープリンセスに関する雑文集」 に多数の美しいテキスト・イラストが掲載されています。リピュアキャラクターズパート第8話の四葉についてのテキストは、原作とアニメ版の相違から四葉という妹を深く掘り下げていく愛情あふれる考察。当時ぼくも拝読してその素晴らしさに嘆息しました。

 

架神恭介さん『カガミ・ドット・ネット』(2019.11.11追記)

 旧サイト名『The 男爵ディーノ』時代の「本気で薦めるシスプリ論」が掲載されています。トップからだとどうやってここにたどり着けるんだろ。アニプリを「萌えアニメ」よりも「ぬるアニメ」「癒やし系アニメ」として楽しむ、という視点。

 

しのぶさん『魔法の笛と銀のすず』(保管)(2019.11.11追記 2019.11.13最終加筆)

 当時ぼくが日参してたサイトのひとつであり、恩人の記念碑。花穂のお兄ちゃまとしてのみならず多数のテキストが日記内に掲載されています。サイト保管先では日記中のタグが切れてますので、まずは2003年2月の各日や2003年7月の6日(リピュアBパート亞里亞話について)・26日(リピュアBパート花穂話について)、2004年2月12日の「女の子コミュニティー」話などがおすすめ。

 以下は全日記中のシスプリ関係記述箇所をおおよそ網羅したものです。

 2001年5月の27日、2001年6月の2日・9日・10日・22日、2001年7月の23日、2001年8月の6日、2001年10月の5日、2001年11月の13日・17日、2001年12月の17日・25日・26日、2002年1月の4日・5日・6日・11日、2002年2月の9日・12日・19日、2002年3月の11日・12日・13日・15日・16日・23日・27日、2002年4月の18日・22日、2002年5月の6日、2002年6月の7日、2002年7月の15日・17日・18日・23日・25日・27日・28日、2002年8月の2日・3日・6日・7日・30日、2002年9月の6日・14日、2002年10月の1日・2日・3日・4日・5日・9日・10日・11日・16日・17日・21日・23日・24日・28日・30日・31日、2002年11月の5日・6日・7日・10日・12日・13日・16日・20日・21日・22日・23日・24日・26日・27日・28日、2002年12月の1日・2日・15日・19日・20日・25日・26日・27日・28日、2003年1月の4日・11日・12日・13日・16日・26日・30日、2003年2月の2日・5日・6日・9日・10日・12日・14日・15日・17日・18日、2003年3月の2日・3日・4日・6日・9日・19日・24日・25日・27日・30日・31日、2003年4月の1日・2日・3日・6日・7日・13日・19日・20日・22日・24日、2003年5月の6日・11日・20日・27日・28日・29日、2003年6月の14日・24日・27日・28日、2003年7月の6日・8日・15日・16日・26日、2003年8月の25日、2003年9月の1日、2003年10月の27日、2003年11月の2日、2003年12月の9日・10日・11日・20日・27日・29日、2004年1月の6日・7日・12日・14日・24日・25日・27日・28日、2004年2月の12日。

 

天野拓美さん『夜想曲 愛情に満ちたあたたかい空気』

 「シスター・プリンセスイラストギャラリー」、とくに「『アニメ版シスター・プリンセス考察大全 改訂新版』挿絵解説」では、後述のぼくの考察を編集した同人誌に描いていただいたアニメ各話モチーフの挿絵が閲覧できます。

 

くるぶしあんよ『ページの終わりまで』

 ぼくのサイトです。アニメ版シスプリ全話考察や原作キャラクターコレクション考察などを多数掲載しています。アニパロコンテンツ『魔法のシスター マジカル・ヒナ』とかもどうぞ。

 

 いやしかし、本当に少なくなった……。ぼくが未訪問のサイトがまだまだあるはずですが、それにしても。などと後ろ向きに構えずに、これからまた増えるんですよねきっと。

そして、それは、今月からも

 シスプリ20周年を記念して、なんと可憐が誕生日の9月23日にVTuberデビューする、という衝撃のニュース。

sister-princess20th.com

 ああ……長生きはするもんじゃて……。とか言いつつ、ぼくは配信界隈からずっと距離をとってきましたので、このニュースに接したときは少々わたわたしましたが。

 そんなことよりも、この可憐の姿を見てすぐに目が引き寄せられたのは、三つ編みの描写でした。あれ……? 裏編みじゃなくて普通の表編みになってる……?

 ファンの方ならご存知のとおり、可憐のこの三つ編みは、幼い頃に泣いていた自分を慰めるため兄が編んでくれた思い出の髪型です。公式ムックの天広直人公野櫻子作/電撃G'Z Magazine編集部編『シスター・プリンセス ~お兄ちゃん大好き~ Sincerely Yours』(メディアワークス 2004年)p.10-11 に、そのことがはっきり描かれています。可憐にとっては、兄と自分とつなぐ固有の絆の象徴であり、兄が自分を思いやってくれる証であり、それゆえ兄と一緒に暮らせなくなった今でも「あの日からいつもこうして……三つ編みをしています」というわけです。他の妹たちに比べて特徴がないなどと言われやすい可憐ですけど、この三つ編みという何気ない髪型に彼女の兄への想いの深さが示されているのです。そして、その編み方が裏編み(頭部から先端に向かって>>>ではなく<<<のように編む)になってるというのは、つまり兄がしてくれた編み方ということであり、それゆえに可憐はずっとこの裏編みで通してきた、というふうに理解できます。

 ところが、今回のVTuber可憐はどうやら表編みっぽい?

 

 このことをついったーで呟いたところ「三つ編み警察」「シスプリ警察」などと呼ばれもしましたが、べつに表編みだからいけないとか間違ってるとか否定したいわけじゃないのです。むしろ直後に呟いたとおり、画面のこちら側のお兄ちゃん(視聴者)が編み直すと正しい向きに戻るといった展開があったら悶絶するし、表編みにした理由が可憐の口から語られたら転げ回るし、ただたんに間違いだったとしてもそれはそれで面白い。

 もともとぼくは最初のアニメ版シスプリからこの世界に入ったくちで、そこから原作・ゲーム版・アニメ版を包摂する「シスター・プリンセス界」の拡大発展という視点を得た人間です。ちょっと原作準拠じゃない程度でガタガタ言わないし、その逸脱めいた部分からシスプリの新たな可能性が、妹たちの新たな魅力が発見できるのであれば、どんとこいというのが基本的姿勢です。なので、指摘は指摘として、VTuber可憐の今後が楽しみであることは間違いありません。

 

 などと考えていたところ。

 ふと、(あれ、でも本当に可憐の三つ編みはいつも裏編みだったっけ……?)と不安がよぎりました。ネットで画像検索してもそうだと思われるけど、原作絵をきちんと確認したわけではありません。かつてぼくがアニメ版シスプリ全作品全話を考察したさいに座右の銘としていたのは、作品内の描写を必ず確認して考察の根拠とすること、でした。それがあって初めて、世評の一部を支えていた無根拠な先入観を乗り越えることができたわけです。その戒めを自ら破るのもどうかと気づき、原作ムックと天広直人画集に掲載された可憐の髪型を確認することとしました。

 その結果、いきなり最初のムック『オフィシャルキャラクターズブック』(メディアワークス 2000年)に、普通の三つ編みの可憐絵が存在していました(p.33)。水着姿の可憐ですが、海水に浸かるとき表編みのほうがよいなどといった特別な理由でもないかぎり、この絵は明らかに裏編みでない可憐の証拠です。

 しかしこれは最初期なので設定も揺らいでたのではないか? その可能性も考えつつさらに探すと、ありました『天広直人画集2 The Art of Sister Princess』(メディアワークス 2004年)に4枚。うち1枚 (p.69)は『オフィシャルキャラクターズブック』掲載の絵と同一なので、それ以外の3枚(p.46, p.81, p.87)の可憐が表編みっぽい(少なくとも裏編みっぽくない)感じです。

 ここまでの原作絵確認を通じて、割合としてはやはり裏編みが普段どおりではあるけど、表編みもないわけではない(もちろん編んでいない姿もわりとある)、というのが、結論となるでしょう。可憐なら必ず裏編みだ、とか、表編みだと兄との思い出を無視してしまうことになる、とかいった批判は、ちょっと言い過ぎになりますね。ぼくも確認してみて自分の先入観に気づかされました。いや、やはり基本が大切。思い込みよくない。

 

 などと反省していたところ。

 ふと、(あれ、もしやアニメ版もときどき裏編みじゃなかったりする……?)と不安がよぎりました。いやいやさすがにあれだけ何度も視聴したアニメ版でそんなことあるはずが。という予断を抑えていざ確認。

 ……ああーっアニプリ(最初のシリーズ)の可憐が表編みだーっ。

 思わず口を突いて出る「そんな馬鹿な!?」しかしこれが最後の真実。リピュアはAB両パートとも裏編みでしたが、アニプリ可憐はムック掲載絵も含めて設定段階から表編みでした。いやーお兄ちゃん失格ですわー。思い込みほんとよくない。

 さてこうなりますと、VTuber可憐は原作準拠とすればわりとレアな編み方をしてるということになるのみならず、編み方ゆえにアニプリ準拠だとする見方さえ可能になってきます。当初は、原作設定を踏襲していないのでは? というあまり前向きではない疑問から始まった確認作業は、こうして新企画を様々な視点から受容し楽しむきっかけを、ぼくに与えてくれたのでした。もしかするとゲストにプロトロボや山田が登場するかも(それはどうか)。

 もちろん同じように、ゲーム版からの見方も試せますよね。VTuber可憐が語る言葉や仕草を、可憐ぽい・可憐ぽくないの二分法で受け止めるのではなく、ここは原作ぽい・ゲーム1のここを思い出す・アニメのあの場面だ・素の桑谷夏子さんだ等など、シスター・プリンセス界に存在するいろんな視点から、それぞれの立場で楽しんできたファンが反応し、お互いに交流し、この豊かな世界をさらに発展させていくことが、ぼくたち兄のつとめであり喜びなのでしょう。(追記:もちろん、この機会に初めてシスプリに出会う方々もおられますよね。その新鮮な受け止め方からぼくも気づかされることがきっとあるのでは、と思います。)

 

  そういえば可憐の三つ編みの向きについて、考察を書いてたころ利休さんが何気なく「これ逆向きですよね、お兄ちゃんに編んでもらったからかも」と指摘されてたのを思い出しました。後日の原作でそのとおり描写されてるのを見て、さすが利休さん……と驚嘆したものです。ちなみに、のちのアニメ版シスプリ考察本の解説を書いていただいたお方。

 さらにうろ覚えながら、そのあとアニプリ可憐が表編みなことに気づいて、この可憐はこれから航お兄ちゃんに(裏編みで)編んでもらえるのではないか、などと話してたような記憶が……うっすらと蘇り……。これが本当なら、ぼくは今回の一件で完全にうっかりしていたことになりますけど、こちらはぼくの記憶の捏造かもしれません。過去の日記のどこかに残してあればと思うのですが。こういうの、そのつどちゃんとまとめて文章にしておくべきですね。

 

 というわけで、ごちゃごちゃ述べてまいりましたがともかくも、今後の展開が楽しみです。アニメ版も20周年チャンネルにて期間限定で順次公開されますし、ついでにぼくの考察などもご笑覧いただければもっけの幸い。

ガルパン最終章第2話感想(追記あり)

 第1話から1年半……完結まであとどれだけかかるのかこの作品。以下ネタバレ感想です。

 

 いやーボカージュきれいでしたね。『パットンズ・ベスト』(VG/HJ)のマップを思い出しちゃいました。でも戦車砲の一発であんなふうに啓開できるものなんでしょうか。ヘッジロウカッターいらなくないですか。

 

 1回戦をなんとか乗り切った大洗女子でしたが、対戦相手のBC自由学園はエリート校と庶民校が合併してできた過去があるんでしたね。するとこのBC自由学園、もしも大洗女子が他の学園艦に併合されてたらどうなっていたか、を想像する一つのモデルでもあります。
 もちろん(みほが黒森峰に戻りかけていたように)生徒が複数の学園艦に分散転校させられる可能性も高かったでしょうし、受け入れる側の問題についてはサンダース考察の1(3)で記しましたが、例えば大洗女子がもう一つの弱小校と対等なかたちで合併させられたとするならば。そこには、安藤と押田のようにお互いの文化・伝統をできるだけ尊重しようとしながらも、しかしどこかで相容れない部分を残し、時にはあからさまにぶつかり合わざるを得なかったかもしれません。
 その意味で、BC自由学園は大洗女子の一つの未来を映し出す鏡であり、またそこでマリーがああ暢気に見えて2つの伝統の間でどれほどバランスをとる努力を続けてきたかを想像させます。そのストレスで甘いものも食べたくなるし薔薇風呂にも入りたくなる。いやそれは本人の贅沢趣味でしょうけど、角谷前会長の干し芋と似たような気配を感じたりもしたわけです。
 さらにいえば、これがフランス・アンシャンレジュームの貴族階級と市民階級の(そしてベル薔薇の)パロディだからまだ何とかなっていますけど、第二次世界大戦中のヴィシー政権と自由フランス政府をモチーフにしていたらどんな修羅場が待っていたことか。背筋が寒くなります。

 

 さて、トーナメントは他の1回戦も終了した模様。2回戦の組み合わせは記憶のかぎりでは、大洗女子と知波単、サンダースと継続、黒森峰とプラウダ、聖グロとアンツィオ、でしょうか。右側の山では、聖グロが勝ち上がって大洗女子と公式トーナメント初対決となるのか。それともエリカ率いる黒森峰がみほの大洗女子に挑むのか。ぼくとしては第1話感想でも書いたとおりエリカとみほの戦いを期待するばかりですが、黒森峰伝統の・西住流王道の規律ある正面からの戦いぶりを垣間見せたエリカが、さてカチューシャやダージリンにどう立ち向かうか。見ものです。(あれ、アンチョビは……?)


 そして大洗女子では、桃の家族の姿が描かれました。なんとかの子だくさん。さらに母親は病身、自営業の文具店は旧態依然であまり景気は良くなくといった具合。パンの耳を揚げたのが出てきたときは思わず(うっうー!)と心の中で叫びましたが、あの場面でいくつか腑に落ちることがありました。
 まず、桃の頑張り屋さんだけど不器用な性格の、育つ由来がここにある。あの愛想のない店長が父親だとして、今風の店内にする気が一切なさそう。昔ながらの商売を真面目に続け、それが客離れを生んだとしてもどうもしないし、どうすればいいか分からない。家族を養う立場としてあんまり無策にも思えますけど、でも何ができるかと言われれば世の中たしかにそういうものですし、逆に桃たちがこの学園を守るためにみほを掲げて戦車道大会で優勝するという一手に縋らざるを得なかったというのも、たまたま結果オーライでしたが同じようなギャンブルを一家の主が選ぶわけにもいかない。でも、桃自身の経験は、彼女が現実に突破口を開こうとするとき、決して小さくない推進力を与えるような気もするのです。
 次に、桃が生徒会室であんこう鍋を囲んだり、トンカツ屋で戦車カツを食べたりしてたTVシリーズ場面を思い出すと、あれ家族みんなとだとなかなか食べる機会ないのかもしれないなーとふと。もちろん桃は自分だけよければいいという子じゃないけど、逆に自分だけおいしいもの食べる後ろめたさに縛られる時期も過ぎているはずで(角谷たちとの楽しい時間そのものは素直に満喫したいだろうから)、自分がおいしいもの食べたぶんをどこかで家族にお返ししてるんじゃないかな、と想像したりします。試合で遠征するとき、甘味のお土産買ってたりするんですかね。生徒会費で(いけない)。
 そして、沙織が学内連絡のIT化を提案するとき、桃はいかにも古くさい文書掲示などにこだわるんですが、これは融通が利かないというよりは桃自身が述べているとおり、相手と直接会う・言葉を交わすことの大切さを、生徒会広報としてこの巨大な学園艦全体を導いてきた実感のうえで示しています。お銀たち船舶科のメンバーが桃にだけは一目おいているのも、そうやって艦底にまで不器用に誠実に足を運び顔を合わせようとしてきた桃に、言葉のうわべだけでない一貫した信念や学園生徒への分け隔てないまなざしを、看取したからなのでしょう。それがいま、桃を助けてくれているという。よかったね桃ちゃん。

 

 追記:知波単学園のこと書き忘れてました。

 西隊長・福田隊員の成長ぶりは、劇場版の大学選抜との一戦ですでに道筋がつけられていましたので、そこのとこはまっすぐ来たなーという印象です。あとマレー半島かどこかみたいな密林が怖い。地形に合致した車輌による水陸からの挟撃や夜襲という、いかにも日本軍モチーフらしい戦いぶりですが、つまりこの大会は夜中もそのまんま試合続行なんですね。プラウダ焦土作戦もいけるのか。観戦者はどうしてるのか。完徹のダージリンオレンジペコがいつもの調子で紅茶を嗜んでたりして。

 

 追記その2(7/8):思い出したら気になってきた場面について。

 桃の実家訪問に続く生徒会室の一幕。沙織が華と優花里と作業をしながら、桃先輩は私立難しいかも(家計的に)という感じの話をしてるんですが、その背後わりと近い位置にあるソファー周りに当の桃たち先代生徒会メンバーがいるという。すぐ近くに本人がいるのに、けっこう大きな声でそういう話をしちゃう子でしたっけ沙織。先輩たちがいることに気づいていないはずはない描写だったと思うんですが、このあたりどう解釈したらいいのか。ぼくが大事な情報を掴み損なっている可能性もありますけど。

 もう一つ、知波単の戦車があの窪地に滑り落ちてしまった場面で、罠にかけた側の大洗女子は上方からもっとじゃんじゃんばりばり砲撃してもよかったのでは。場面としてはいくらか明るかったけど実際の光景ははるかに闇が深いのだとすれば、そう簡単に狙い撃てないということかもしれませんし、みほたちも砲撃しやすい位置をまだ確保できてなかった(車体下部を晒してしまうと逆に装甲薄い場所を狙われてしまう)ということかもしれませんが。なんとなく、西・福田たちのやりとりを続けさせる猶予を得るため、砲撃をゆるめにしてたかの印象があります。

開店休業ではありますが

 こちらを読んでつらつらと。

ertedsfdsddty.hatenablog.com

 インターネット上の「本業」という感覚、ぼくもかなり強く持ってます。以前も何度か書いた覚えがありますが、自サイト(このブログではなく)を開こうとした16年ほど前に、メインコンテンツ(閲覧者へのおもてなし)をどうするかを結構まじめに考えてました。当時の錚々たるえろげレビューサイト・テキストサイト群、そのうちぼくが日参していたえろ・ネタ系(『エロゲカウントダウン』や『国際軽率機構』など)と批評・叙情系(今木さんのところ(夏葉さんによる保管)や『アシュタサポテ』など)の2大グループのいずれかに加わる能力も自信もなく。さらに、サイトを開こうとした直接の原因は、箭沢さん・MK2さんの『づしの杜』や、しのぶさんの『魔法の笛と銀のすず』に憧れてでしたから、この方々の独特の文章を真似できないのは当たり前だとしても、得意分野がなるべく重ならないような、しかも自分も閲覧者も楽しめる隙間はないものかと、探してたわけです。

 まぁともかく読み物を書いてみようということで、最初はゲーム感想をネタ系と叙情系の中間くらいな感じで書き出し、あわせて日記を綴り、両方がある程度溜まったところでサイトを公開しました。そう、閲覧者というお客様を迎えるのだから、ちゃんとした店構えをこしらえておかなければ、という感覚があったのです。ただ、始めてしばらくは方向性が定まらず、どうしたものかと思案に暮れていました。

 ところがアニメ版シスプリと出会ったのをきっかけにして、作品に感じたことだけでなく、作品内容について自分の中であれこれ考えを巡らすようになりました。この作品はネット上での評価があまり芳しくなかったのですが、ぼくはすんごい高く評価しており、ずれが気になってもいたのです。そこで、まず第3話をとっかかりにして、この作品の面白さや、理屈がちゃんと通っている証拠を、説得的かつ読んで楽しめるものとして文章化しようとしたとき、考察というスタイルを発見しました。

 これがぼくにはぴったりの隙間でした。一見大真面目な、しかし本気と冗談の境目が分からない文章。作品愛を理屈っぽさで照れ隠ししてるわけですが、このスタイルは先達の得意分野とうまいこと重ならず、しかもぼくの性格・能力と噛み合ったのです。もちろん、ただ自分と相性がよいというだけで書けるものでもなく、当時の閲覧者から寄せられる反応は、ぼくの文章を読んで楽しんでいただけている、という嬉しい実感を与えてくれました。

 そして、そういう遠方からのお客様よりに先んじてぼくを支えてくれたのが、ネットご近所の方々です。考察をサイトに公開する前に読んでチェックしてくださったり、新たな視点を提供してくださったり、何よりぼくが店の“前”や“外”で何かやらかしても、この内々で慰めや諭しをいただけました。本当にありがたいことでしたし、たしかにそこには「商店街」というイメージがかなりしっくりします。ただし、ぼくの場合はこのように、ネットご近所の方々の店がうちと隣り合って並ぶ感じですが。そして、ご近所の店ですでに素敵なものをいろいろ提供していただいてるから、自分の店では別のものをお出ししよう、という。何かの流れで商店街のお祭りもしましたし、そこには近い趣味・性癖を持つ者同士の協同意識と、お互いの大切な領域には干渉せず得意分野は尊重するという距離感、そして似たような方向を向きながらそれぞれ違ったルートを選んでお互いが負けじと張り合うような穏やかな競争意識とが、混じり合っていたように思います。今では管理者のサイト同士ではなくSNS上でのやりとりが専らではありますが、そんな空気はあまり変わらずにあるのではないでしょうか。

 今のネット界では巨大なショッピングモールもあるし相場師の寄り合いみたいな場所もあるけど、ぼくはやっぱり商店街のつきあいの中で、たまに「本業」のシャッターを上げてみたくなるのです。この流行遅れのものはたぶんここにしかないよ、と。

時代論を語れるほどの距離を、好きな作品に対してとれない

 最近、『涼宮ハルヒ』シリーズの何が新しかったのかとか、時代の変化をどのように表現していたのかとか、話題となっていましたが。

 以前にも記したとおり、ぼくは作品を用いた批評や時代論というものに好んで触れることはありません。読まないのは読まず嫌いだとして、自分でも一切試みようとしない理由は何よりまず、ちゃんと事実を確認して分析を行う方法論を持ち合わせていないためです。そしてもうひとつ大きいのは、例えばこの作品について言えば、作品を時代・社会の中に位置づけるために必要なはずの、作品との距離を確保することができないためです。ぼくはこの作品に出会ってから今までずっと、一人のファンとして作品を深く味わって楽しむことや、ハルヒたち登場人物をよりいっそう好きになることだけを求めており、そのために時代論などが役立つとは(自分の性格・能力上)あまり思えません。

 あえて語るとすれば、現代日本において若い男性がその社会的地位の低下によって自尊感情を動揺させゆく状況下で、キョンのようなさしたる能力のない男子がハルヒという超越的能力を持ちながら生きづらさと寂しさを抱えている女子に必要としてもらえ、しかもその女子の世話を一手に引き受けることが許されるという内容が、落ち目の男性に自尊心の手がかりとしてのパターナリズムの幻想を提供したのではないか、などと論じてみることはできます。しかし、こういうのは他所様のところで間違いなく既出のものでしょうし、しかも自論の根拠となる事実や社会事象を示すことができませんし、何よりぼく自身がこういうの論じても楽しくない。ぼくが作品をさらに深く楽しめるようになるわけではないし、ましてハルヒたちをもっと好きになれるわけでもない。

 つまるところ、ぼくは現役の・ほとんど作品とのみ向き合うかたちでの享受者であって、それゆえ作品を俯瞰したり位置づけたりするための距離をとれないのです。もちろんあの頃と比べれば機会はぐんと減りましたが、ぼくは今でもシリーズ単行本を開くことがあります(ぼくはアニメよりも原作にはまったくちです)。そしてあの頃ぼくがどのように作品に向き合い、登場人物たちに向き合ったかは、当時のぼくの考察に示したところです。正直、本作品に向けて今後これ以上の文章を書ける気がしません。

ハルヒの空、SOSの夏 −『涼宮ハルヒの憂鬱』考察−

「あたし」の中の… ―『涼宮ハルヒの消失』長門有希考察前篇―

「お前」にここにいてほしい ―『涼宮ハルヒの消失』長門有希考察後篇―

 ハルヒシリーズの何が新しかったのか。ぼくには分かりません。ただ、これらのテキストを書きたくなるくらいぼくはこの作品を好きになったのだ、ということしかぼくには言えませんし、今もこの作品が好きなのです。たとえハルヒが流行った時代なるものは通り過ぎ顧みられるものだとしても、ぼくの作品愛を注いだ文章がいつか誰かのハルヒとの出会いや再会のきっかけになるとすれば、そのとき作品を介して別々の時が結びつくのだと思いますし、その瞬間にはおそらく新しいも古いもありません。