オタクとしての自分史その4

 エヴァ以降の90年代後半について語る前に、再び当時のぼくが好きだった作品を列挙してみましょう。今度はアニメだけでなく漫画も含めています。そして、この時期から重要な位置を占めてくるようになるもう一つの分野も。そう、えろげです。

 

・1996年:『鬼畜王ランス

・1997年:『ケロケロちゃいむ』『勇者王ガオガイガー』『夢のクレヨン王国』『からくりサーカス』『To Heart

・1998年:『カードキャプターさくら』『魔法のステージファンシーララ』『ONE 〜輝く季節へ〜』

・1999年:『おジャ魔女どれみ』『To Heart』『メダロット』『あずまんが大王』『クロノアイズ』『ONE PIECE』(連載開始は1997年)

・2000年:『おジャ魔女どれみ♯』『AIR』『Kanon』(発売は1999年)

 

 だいたいこんな感じでしょうか。学生時代ほどの余裕はとっくにありませんから、毎週視聴するアニメ作品は増えようもなく、しかも新たな趣味としてのえろげプレイにいっそう時間を奪われていったのがこの時期です。

 ぼくがえろげに出会ったのは、友人宅にあった『コンプティーク』の「ちょっとHな福袋」でした。たしか『ドラゴンナイト』や『闘神都市』の特集だったはずで、それまでの二次元美少女趣味がパソコンの世界へと羽ばたいた瞬間です。しかし何といってもハード・ソフトともに高価でしたので、実際に自分で購入しプレイするのはしばらく後のこと。それでも1992年には『同級生』『マーシャルエイジ』『妖獣倶楽部』(発売は1990年)、1993年には『痕』『妖獣戦記 -A.D.2048-』シリーズ『Rance IV -教団の遺産-』などをプレイし、月刊『パソコンパラダイス』も読み始めてました。

 えろげーまーとしてのぼくは、「えろい」「ゲームとして面白い」「ひんぬー」の3基準で作品を選び続けてきています。そして、一度はまったゲームは何度も繰り返しプレイするたちです。結果として、アリスソフト作品に費やした時間はいかばかりかと……。子供時代にファミコンを近寄らせなかった反動でこんなことになったのでしょうか。いや、あの頃そんなもの入手してたら同じように没頭していたことでしょう。

 もちろん、そういう「アタリ」ばかりでなく、数多くの「ハズレ」作品で火傷を負いながら、ぼくは自分のえろげー眼を養っていったわけです。もっとも、どれだけ評価が高くとも買わなかった名作も『遺作』『YU-NO』など少なくなく、その一方でさほど人気がなくても自分好みの作品を見つけては悦に入っていたものです。どれだけのお金を注ぎ込んだのかは計算しないことにしていますが、この時期以前に固定収入を得たことで趣味への出費がどんぶり勘定になっちゃっていたこともよくなかったですね。

 そんなわけで、おおよそこの時期は、えろげーという新大陸を開拓するのに忙しく、アニメ・漫画のほうはせいぜい従来どおりという状況でした。

 

 さて、このえろげーを遊ぶためにパソコンを購入したということは、同時にネット環境も手に入れたということを意味しています。このとき以降、ぼくは無限に広いワールドワイドウェブの中で、えろげー関連サイトというきわめて狭い地域を日常的に探索することになりました。そして、そこで発見したのは、しょうもないことを全力で表現する人々の勇姿だったのです。

 いわゆるテキストサイト時代の風景については他所にお任せするとして、ぼくがよく訪問していたえろげファンサイトについて記します。それらは大雑把に言って2つのグループとして把握していました。1つは、いわゆる抜きげーのファンサイト群。もう1つは、いわゆる泣きげーのファンサイト群です。

 前者の代表格は、『エロゲカウントダウン』『国際軽率機構』。ぼくが知らない・知ってても手を出さないものも含めた数多くのえろげ作品について、サイト管理者自身の趣味嗜好によって一点突破全面展開するその感想などの文章を、ぼくは日々楽しみ、憧れてました。憧れというのは、自分でも好きな作品についてこんなふうに自由に表現してみたい、というものです。

 後者の代表格は、『CLOSED LOOP』『アシュタサポテ』『魔法の笛と銀のすず』。こちらでもやはりサイト管理者の色が自由に迸っていましたが、前者に対して批評系・考察系の文章が多く、感想と入り混じって公開されていました。こちらに抱いたぼくの憧れは、こういう感性や知性でもって作品を享受できたなら、というものです。

 そしてこの2つのグループをつなぐ位置に『死刑台のエロゲーマー』があるという塩梅ですが、ただし銀すずは批評系というより感想メインのサイトでしたので、抜きげー中心じゃないけど姿勢は前者グループに近かったかもしれません。

 まぁ結局はどちらもしょうもないことなんですよ。たかがえろげにそこまで真剣に向き合うことは本来無意味です。でも、彼らがそれぞれのやり方で示してくれた真剣な遊び方・楽しみ方、その作品が好きだからここまでやっちゃうよという情念の発散ぐあいに、ぼくは「粋」を見出して惹かれていたのです。それは、不徹底なオタクという自覚のあるぼくにとって、ワナビー的な欲望の表れだったのかもしれません。だからといって自分でサイトを開こうとか、そこまでいかずとも掲示板に書き込んでみようとかは、一切できずにいましたけれども。そこはやはり受動的な人見知りの限界です。

 

 そんなネットサーフィンならぬネット巡回を日々の習いとするうちに、ぼくはとあるサイトに辿り着いていました。

 そう、『づしの森』です。

 おそらくしのぶさんや今木さんの言及リンク経由だったか、また『ONE』などの感想を探し求めての発見だったかと思うのですが、このサイトでのMK2さんと箭沢さんの文章を読むうちに、「なんだこれは」とその異様な力強さに引きずり込まれていったのを覚えています。とりわけMK2さんの文章は、好きな作品に対する情念のたけを、それまでのぼくが知らなかった圧倒的な質量でぶん回してくるものでした。そこには批評系テキストの分析的な視線もあるんだけどそれが目的じゃなくて、ひたすら自分自身が作品に向き合って何を感じ取ってしまったかを縷縷テキスト化しているものでした。感想、といえば感想なんだけど、他の感想系サイトのそれとは明らかに臭いが違う。唯一しのぶさんのとは似ている面がありましたが、それでもやはりラオウとトキみたいに違う。

 書かれていることの大半は、ぼくにはよく分かりませんでした。しかし日参するうちに、ますます引き込まれていきました。そしてそのうち、なんか分かってしまったのですね。テキストの意味やこのサイトのお二人のことが、ではなくて、このサイトは妙に居心地がいい、ということが。もとよりお二人がさかんに掲示板への書き込みを歓迎していたということもあります。そこで実際に変態アットホーム空間が構築されていたということもあります。ですが、今まではそれでも書き込みを躊躇していたであろうこのぼくが、ついに個人サイトの掲示板に書き込んでしまった初めての場所が、このづしだったのです。

 そこで得た数々のご縁はいまでもありがたく、多くの方々とネット上で交流を続けさせてもらってますし、また合同同人誌にも参加させていただくなど、ぼくのオタク的活動の幅がぐんと広がるきっかけとなりました。そしてえろげー作品感想などを自分なりに書いてみたりと、ぼく自身が好きなものについて自由に語ることを、このとき以来あまり怖がらなくなっていきました。このあたり、づしの掲示板で温かく受け入れてもらえたことが、本当に大きかったんだなーと感じます。もうね、すんごく嬉しかったんですよ。ええ。要するに寂しがり屋の人見知りだったというわけですが、30代男性ではまったく可愛くない。

 

 とはいえこの時期のぼくが文章にしたものの中には、本当にこだわっている作品についての感想は含まれていません。書いて楽しい、書きやすいものから取り掛かっていた、ということはあります。しかしその一方で、『ONE』や『AIR』をはじめ、単純に「好き」というだけでなく引っ掛かりを覚えてしまった作品について、ぼくは正面から文章を書くことを明らかに避けていました。

 そこには、近づきを得たサイト管理人の方々のような誠実さや鋭さで作品に向き合えないという、ぼく自身の能力への自信のなさや、がっかりさせる(厳しく評価される)ことへの不安がありました。また、当時のぼくのテキストが獲得しつつあった「軽さ」という味と、これらの作品へのぼくの湿った情念とが相容れず、うまく言葉にできなかったということもありました。そしてもしかすると、今までのぼくのオタクとしての中途半端さに目を向けるならば、ぼくが意識のうえではそこからの脱却を望みながらも、しかしそこに留まることで得られる曖昧さへの安心感を、捨てられずにいたのかもしれません。書いたものをそれなりに楽しんでもらえながらも、何か閉塞感に行き当たったのが、この時期の終わりの頃なのです。

 そういう内弁慶な優等生根性がはじけ飛ぶ時を目前にしていることに、ぼくはまだ気づいていませんでした。ついに幕を開けた21世紀、その最初の2年間にぼくが好きになった作品を並べてみましょう。

 

・2001年:『Cosmic Baton Girl コメットさん☆』『シスター・プリンセス』『も〜っと!おジャ魔女どれみ
・2002年:『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』『シスター・プリンセス RePure

 

  そう、シスプリとの遭遇です。とにかくぼくのオタク生活は、彼女達と出会った時から、ガラリと音を立てて変わってしまったのです。そして、それは、これからも。(続く)

オタクとしての自分史その3

 さていよいよエヴァの衝撃。と言いたいところですが、ここで90年代前半にぼくがほぼ定期視聴したアニメ作品リストを確認してみましょう。当時とりわけ好きだった作品には◯をつけてます。

 

・1990年:『からくり剣豪伝ムサシロード』『キャッ党忍伝てやんでえ』『◯NG騎士ラムネ&40』『◯魔神英雄伝ワタル2』『魔法のエンジェルスイートミント』(ナディアは不定期視聴)
・1991年:『きんぎょ注意報!』『ゲッターロボ號』『◯ゲンジ通信あげだま』『◯絶対無敵ライジンオー』『タイニー・トゥーンズ』『トラップ一家物語』『魔法のプリンセス ミンキーモモ
・1992年:『宇宙の騎士テッカマンブレード』『風の中の少女 金髪のジェニー』『◯伝説の勇者ダ・ガーン』『◯花の魔法使いマリーベル』『◯美少女戦士セーラームーン』『◯ママは小学4年生
・1993年:『恐竜惑星』『◯美少女戦士セーラームーンR』(アイアンリーガー、ムカパラ、マイトガインは不定期視聴)
・1994年:『◯赤ずきんチャチャ』『美少女戦士セーラームーンS』(グルグル、ジェイデッカーは不定期視聴)
・1995年:『新世紀エヴァンゲリオン』『◯飛べ!イサミ

 

 おや、エヴァに◯がついていない……。どういうことでしょうか。

 

 この頃、とくに好きで単行本を揃えていた漫画作品をいくつか挙げてみると、藤田和日郎うしおととら』、長谷川裕一マップス』、椎名高志GS美神 極楽大作戦!!』、聖悠紀超人ロック』(スコラ社の再編集版)など。上で◯つけた作品と共通する点としては、好きなタイプの女の子が登場してるとかを除くと、いわゆる少年漫画的な熱さ(うしおやワタル2やライジンオー)、コミカルさと王道の結合(美神やセラムンやイサミ)、でかいSF的スケールと人間の営みの結合(ロックやマップス)といった塩梅です。そういうのを好んで試聴していた、そして今なおしているのがぼくというオタクなのです。というか、ごちゃごちゃ内省的になったりイヤな「リアル」風味で飾りたてたりする作品群に食傷してたのです。

 すると、そういう人間にとってエヴァは馴染み難い作品だったのか? でも、観始めてからは最終回までほとんど漏れなく視聴してたことは間違いありません。レイの初めての笑顔に撃ちぬかれたとか、いろいろ事情はありますけど、作品全体としてやはり気になる存在だったことは確かです。これ結局どうなるんだろう、と。

 ところで、先ほどの共通点のうち、最後のSF云々のものについては、該当するアニメ作品が例示されていませんね。はい、ここがエヴァに対するぼくのためらいということになります。エヴァも作品世界やテーマのスケールは大きかったのかもしれませんが、TV版最終回まで視聴したかぎりでいうと、風呂敷をたためていませんでした。まぁそれは映画版で、ということだとしても、あの作品にはぼくが好んで観たがるような人間の営みが描かれていません。あるいは、マップス世界のゲンやロック世界のヤマキ長官たちが存在していません。責任を担おうとする「大人」が、そしてその「大人」に抗いながらも学んで自分なりの担い方を模索する「若者」が、いなかったり最後まで頑張れなかったり。最終回できっとなんかやるだろうとぎりぎりまで期待していたシンジがああだとか。そここそがエヴァの同時代的価値なのだと言われればそれまでですが、ぼくはそういうの苦手なの。ロンギヌスの槍よりもスターティアにしびれるの。これは作品の優劣というよりぼくの好みの問題です。

  なお、『マップス』に出会ったのがおそらく1992年頃。ちなみに長谷川裕一作品に初めて出会ったのが1991年に雑誌『COMICクラフト』掲載の『童羅』というのはここだけの秘密。それはさておき、TV版最終回では「あー、これはこれで」と妙に腑に落ちた気分になりましたし、映画版エヴァ(テレビで観た)のラストではそれなりに風呂敷閉じた感をいただきました。

 

 さて、エヴァの物語がぼくの趣味嗜好と合わなかった一方で、エヴァをめぐる当時の活発な論争にぼくが興味を抱かなかった理由が別にあります。とても単純な話で、つまりネット環境がなかったという。あの頃はパソコン通信でしたっけ、テレホーダイの時間帯に掲示板のやりとりをダウンロードしておき、回線外してからゆっくり内容閲覧するとかなんかそういう。友人がやってたのを数回見せてもらったことがありますが、そういう新しいメディアなどに食いつくのが遅いうえ動くの面倒なぼくですから、言うまでもなく自分でネットにつなごうなんて思いもしませんでした。そして、そのダウンロードされた内容を横目で見た程度では、あの論争なるものを追っかけようとか、まして参加しようとかいう発想は浮かばなかったのです。

 もちろん、エヴァ視聴中にぼくなりの疑問を抱いたり、いわゆる謎について考えてみたりしたことは多々ありました。かつての『ムー』の読者ですし、死海文書だの生命の樹だの出てきて引っかからないわけがないのです。オカルト・軍事・美少女といった要素には簡単に食いついたうえで、しかし同時にどこかどうでもいいという冷めた感覚があったことは事実。

 なぜかといえば、そういった謎めいた要素そのものの解釈よりも、シンジたちがどうするのか・どうなるのかのほうがよほど気になったからです。作品世界を構成する要素は、登場人物の運命に関わる点においてしか意味をもたない。というのが、作品を楽しむさいのぼくの基本的姿勢です。彼らが行動する理由やきっかけ、その結果をもたらす要因、主題に向き合うさいの背景。それ以外の要素がいくらそれ自体として興味深かろうと、つまるところどうでもいい。ぼくにとっては、物語を楽しんだうえで味わってもいいおまけにすぎません。

 そういうぼくが読みかじったネット上の論争は、その「どうでもいい」部分にこだわっているように感じられました。そうでないものもたぶん少なくなかったんでしょうけど、わざわざ探す気になれませんでしたし。あるいは、ぼくがもっと若ければ、かつてイデオンに受けた衝撃のように、シンジたちから痛切な何かを受け取っていたかもしれません。しかし、実際はそうではなかった。ネットにかぎらず、雑誌記事や解釈本についても一切触れないまま、関連商品もまったく購入しないままに、ぼくはエヴァを他のアニメ作品同様に「野心的だったけど残念」という感想で片付けていきました。エヴァブームは、ぼくを巻き込まずに過ぎ去っていった台風だったのです。(続く)

オタクとしての自分史その2

 さて続きです。80年代の経験について、つまり主に中高時代。

 

 あの頃のアニメで重要なものといえば魔法少女作品がありますけど、ぼくは『魔法のプリンセスミンキーモモ』も、ぴえろの『魔法の天使クリィミーマミ』以降のシリーズも、本放送当時は視聴してません。また、『アニメージュ』を読んでなかったので、『風の谷のナウシカ』もまだ知りません。このときはリアルロボットアニメばかり好んでました、というかメカが登場しない作品を遠ざけてました。

 とはいえ、そちらについても本腰入れて毎週観てたのは『超時空要塞マクロス』『超時空世紀オーガス』『巨神ゴーグ』『銀河漂流バイファム』『重戦機エルガイム』『機動戦士Zガンダム』……くらい? つまり、ザブングルダグラムボトムズなどにはほとんど触れずにいたわけです。年に2、3本しか連続視聴してませんので、アニメというジャンルそのもののファンとは到底言い難い状態でした。

 

 ただ、その一方で、自分が明らかに「そっち側」へ踏み込んだな、と実感していたことも事実です。その原因のひとつは、アニメ系の雑誌を読み始めたこと。それも『アニメック』と『OUT』。ただし、それらは好きな作品の特集時に購入する程度で、はるかに甚大な影響を及ぼしたのは『ファンロード』の定期購読でした。ちょうど隔月刊から月刊に切り替わる頃でしたか、ある友人から雑誌の存在自体は聞いていたのですが、自分で本屋で発見したのが運命というか。アニメ雑誌とは違った、表向きの宣伝臭のない拵えが、ちょうど厨二病のぼくには直球で届いたのかもしれません。

 そこでまず、自分が知らない様々な作品・作家をシュミ特その他で知る機会を得られたのがじつに大きかった。例えば新井素子の諸作品(最初に読んだのが『グリーン・レクイエム』)、栗本薫グイン・サーガ』(30年以上読み続けてる)。そして投稿者からは、ながいけん(2コマ漫画!)。次に、好きな作品をこうやってどっぷり楽しめるんだ、と気づけたのも相当大きかった。感想、真面目・パロディとりまぜた二次創作、用語辞典、等々。徹底的に味わい尽くす、自分の好きなやり方で作品を思い切り楽しむ、という姿勢が、雑誌全体を貫いていました。

 その一方で、一部のアニメ雑誌に掲載されていたような作品批評や賛否論争などは、『ファンロード』で目にした記憶がありません。作品批判にしてもユーモアのあるかたちでという。あくまでも「ファン」としての表現を、というあたりに編集長イニシャルビスケットのKさんの方針があったんでしょうけど、本来頭でっかちなぼくが批評へと向かわなかったのは、案外この雑誌の影響とも思えてきます。また、この雑誌をそのまま真似したわけではないですが、小山田いくすくらっぷ・ブック』について調べたり考えたりしたことを書きためたのは、やはり刺激を受けてのことだったかも。あの時たしか、全キャラクターの登場コマ数を全話分数えたりしてたはずで、のちのぼくの地道な考察スタイルが基礎づけられつつあったわけです。まぁ、絵を描けない・お話も創れない人間が、好きな作品について批評以外の何かを書こうとすれば、そういう地味な調査に向かうほかなかったとも言えますが。

 

 「そっちがわ側」の実感をもたらした他の原因はというと、宗教・オカルト・軍事などへの傾斜でした。要するに、ぼくを取り巻く世間とは無縁のものに強く惹かれていったという。『ファンロード』と並んでこのとき購読し始めたのが月刊『ムー』でして、いわゆる「世界の隠された真実を知っている」感がぼくを包んでくれたのでした。いつだったか「ユリ・ゲラーのテレパシー実験」というのが誌上で予告されて、特定日時に彼が1つの数字と1つの図形を念じて送るので読者が受信するというものでした。ぼくも自宅で受信を試みたところ、図形のほうは「成功」したのを覚えてます。ええ、かなり本気ではまってました。どれくらい本気かというと、『ファンロード』で『ムー』を揶揄する投稿が掲載されたとき、怒りのあまり『ファンロード』講読をやめたくらい。それも振り返れば、すでに惰性となっていた雑誌講読をやめる言い訳を、たまたま与えてくれただけなんでしょうけれど。事実、『ムー』のほうもその後ほどなく買わなくなってしまいましたし。

 一方、軍事方面は長続きしました。とはいっても軍事雑誌を購読するとかエアガン等のミリタリー趣味に走ったとかではなく、いわゆるシミュレーションゲームへの道です。小学校高学年時あたりでバンダイ『203高地』に出会って以来、ボードウォーゲームに興味を抱いてきたのですが、エポック『D-Day』を自費購入するに至ってとうとうそっちの趣味が花開いてしまいました。いや面白かったですね『D-Day』、何度もプレイしたものですよ。ただし対人プレイはたった2回。あと全部ソロプレイ。それ以降もゲームサークルなどに通ったためしなし。嗚呼、ここでも人見知りで引きこもりの性格が、趣味生活を左右していくのであります。『シミュレイター』や『タクティクス』といった雑誌は立ち読みばかりで、むしろ貯めた小遣いは新作シミュレーションゲームにまとめて使うものでした。そうしないとあの値段では買えない。そしてそこに金が要るので、優先順位の低くなった趣味分野への出費はどんどん切り詰められていきます。『ムー』などを買わなくなったのもそうですが、しかし好きな漫画や堅めの本を読むことはやめませんので、一般男子らしい趣味へと踏み出す気などますます起きようもないのでした。

 このような状況は、さらに高校時代にTSR/新和『ダンジョンズ&ドラゴンズ』と出会うことで、いっそう拍車がかかりました。それまでに『火吹山の魔法使い』など一連のゲームブックで下地が整えられていましたが、TRPGはその後ずっとぼくの趣味生活に根を下ろしていきます。人見知りなのによくもまぁ、と思われるでしょうが、つまりほとんど高校時代の友人だけとプレイしてきたわけです。海外ファンタジーの翻訳を読み始めるのは、このあたりからですね。

 

 そして再び漫画やアニメに立ち戻ると。ぼくはこの時期の各段階において、まず週刊少年チャンピオンにて内山亜紀『あんどろトリオ』に、また『ファンロード』記事にて『くりぃむレモン』シリーズに、そしてアニメイトにて森山塔『よい子の性教育』に、それぞれ遭遇していました。

 こういうの、ありなんだ。

 理想化された二次元美少女キャラがえっちい漫画やアニメでもんちっち。ここでのオタクの一性質として、「二次元で性的興奮を得られる」というものが含まれるとすれば、当時のぼくはまったくもってオタクの一員となっていたのでした。後のHENTAIである。

 この流れのままに雑誌『レモンピープル』などにも目覚めていくなかで、当然ぼくは自分が世間の「健全な男子」ではないことを再確認していました。そして、そこから戻る気がないことも。さらに、そういう自分が世間の人たちから白眼視されるであろうことも。まずもって家族から向けられる目が疑念と不安に満ちているわけですから、そりゃ分かりますよね。学業面でそこそこのレベルを維持することで体面を繕いつつ、また「勉強のストレスをこうして発散」などと言い訳もしつつ、一応は他人の目を気にしながらこそこそ趣味生活を営むという習慣が、この頃に備わりました。もっとも、こそこそしてたというのはぼくの主観に過ぎず、家族からすれば「もう少し隠せ」と言いたい有り様だったかもしれません。ただ、自室にその手のポスターを貼ることは中学時代でやめましたし、眉をひそめられそうな本は書架に並べないというのも早くから行ってました(だが母はつねに全てを探しだす)。

 こういう態度を「中途半端」だと言われればその通りです。当時も今もぼくはどれか一つの分野にこだわろうとしないオタクですし、同じ趣味をもつ仲間を探そうともしませんでした(自分を一人前のオタクと思えないのはこのへんの屈託があるからです)。コミケの存在は知ってましたが、自分で足を運ぼうとは思いませんでした。その趣味に対する世間の目に抗おうともしませんでした。正直なところ、気持ち悪がられるだろうな、まぁそうだよな、と我が身を捉えていましたから。その一方で、ぼくから見て気持ち悪く感じるような趣味にはまっている他人を、そのことによって否定しないようにしたい、とも思いました。内向的な人間として、できるだけお互いに干渉しないという原則を、守りたかったのです。そんなぼくの自室では、岩波文庫コバルト文庫と少年漫画単行本とが、ぼくの好きな作品として同じ書架に収められていました。ちなみに机の引き出しの奥にはエーズファイブコミックと富士見ロマン文庫が。

 

 さて、そんな自分が対人能力において相当困ったことになっている、とあらためて痛感したのは大学入学時でした。下宿での一人暮らしは楽でしたし、講義を聞くことも面白かったのですが、自意識がさらにこじれてきていたこともあって、他の「健全」な学生と一つの場を共有することがひたすらしんどかったのです(まぁあちらは一層しんどかったんじゃないかとは思いますが……)。とくに一部の女子学生から時折向けられる視線は、それはそれはモノを見るような、犯罪予備軍を見るような。あれは宮崎勤事件が起こる前のことですから、オタクへの攻撃はあの事件で強化されこそすれ、オタクが忌避される土壌はすでに出来上がっていたはずです。ただし、あの視線はオタク一般へのものではなく、たんにぼくという「根暗」な個人に向けられたものである可能性も高いので、そのへん留保しときます。

 その宮崎勤事件ですが、あのニュースを知ったときのぼくは(被害者の子供達への気持ちを省けば)「ああ、もっと肩身が狭くなるのかな」と思った覚えがあります。ただ、いわゆるオタクバッシングというものを、その後身近に感じたことはほとんどありませんでした。人付き合いがめっさ狭いのでそういうことしそうな人々と接触する機会がなかったし(先の女子学生たちともとっくに疎遠になってた)、居心地の悪さ・居場所のなさということなら日常的すぎて今更でしたし。また、バッシングされた苦痛を訴えてくるような友人がそばにいなかったというのも理由の一つかもしれません。たくましい友人が多かったのではなく、これまたたんに身近に親しい友人がいなかっただけ。むしろ成年漫画の消しが厳しくなるとか、そういう問題のほうが当時切実だったような気がします。腰の部分がまるごと真っ白とか。ええもう。

 

 もちろん、テレビその他での言われようについては若干触れる機会もあったわけですが、だからといって自分から何か行動する気も起きず。それでも一応、「健全」な人達から攻撃されたら、ということはぼんやり考えてはいました。ただし、そこで「いやオタクはそんな迫害されるべき存在ではなく」という具合に、オタク(としての自分)を弁護する気はあまりありませんでした。犯罪者扱いはさすがにたまりませんでしたが、気持ち悪く見られること自体は、そしてそういう対象を不安視して攻撃しがちな人がいることは、認めていたからです。

 そこには、自分というものへの諦めが横たわっていたようにも思えます。また、いくらオタクと自分の弁護を論理的に行ったとしても、まるで効果がないどころかかえって余計に怪しまれることを、そしてその弁護が本来のどうしょうもない自分の姿を隠蔽してしまいかねないことを、恐れていたようにも思えます。

 だから、当時のぼくは、もしも攻撃を受けたならオタクや自分の弁護を行うのではなく、攻撃してきた相手のどうしょうもなさをつきつけてやろうと考えていました。「うん、ぼくはそうかもね。でもそう言う君もこんなだよね、それはそれでどうなのかな」みたいに。「健全」で安全なつもりでいる者の化けの皮を観衆の前ではがしてやるほうが、どうせ火に油を注ぐなら相手へのダメージが残る分だけ楽しいからです。「死なばもろとも」と教えてくれたのは、映画版イデオンのザンザ・ルブ。

 まぁ実際そういう場面でどこまで頑張れたか分かりませんけどねー。幸か不幸か、そういう人達との接触さえ得ずにすむほど人付き合いのなかったぼくは、その閉じた趣味生活のまま90年代に入り、やがて『新世紀エヴァンゲリオン』と出会うことになります。(続く)

オタクとしての自分史その1

 昨年末にまたオタクとサブカルの話とか出てましたが、ついったーで80年代・90年代について尋ねられたので、あくまで自分史としてそのへん書いてみます。とりあえずその前史から。なお、ここでのオタクとはアニメだの漫画だの、そのあたりの趣味についてのです。

 

 80年代に入る頃、つまり小学校高学年時には、ぼくのオタクの素養はだいたいできあがっていたようです。たぶんそれは、実家で売ってた少年漫画雑誌やテレビマガジン・テレビランドなどを欠かさず立ち読みしていたことによって培われたのでしょう。

 ただし、あの頃は『秘密戦隊ゴレンジャー』などの特撮も長浜3部作のようなロボットアニメも『魔女っ子メグ』のような女の子向け作品も、ぼくの近辺の男の子はだいたい視聴して楽しんでいた(そして主題歌もみんなで歌えた)と記憶しています。その一方で、少女漫画雑誌をぼくが手にとることは一度もなく、そのへんは「普通」の男の子でした。

 にもかかわらず、皆と共有したそういう作品群のなかから、ぼくはオタ的要素を摂取していったことになるのでしょう。その原因をとりあえず自分の属性に求めれば、外遊びは好きだけど運動は苦手なことや、身だしなみへの感覚に疎いこと、読書等インドアでの余暇の使い方に馴染んでいたことなどが挙げられます。

 所属集団について言えば、クラスに仲の良い友達はそれなりにいたけど、例えば地域のスポーツクラブなどには参加していなかったので、そういう外向的集団の中で伝達される情報やセンスを一切共有できなかったんですね。これは高学年あたりでけっこう強く自覚しましたが、あの頃adidasだのpumaだのといったスポーツブランド商品が周囲で流行りだしても、それがどんな出自のものなのかさっぱり分からなかったし、また知りたいとも思わなかったのです。同じように、そういう仲間内で伝わるところの男子ファッションや、そこに見いだされる世間的な格好良さの基準やそこへの接近手段、さらにそれらを求めようとする意志も、ぼくは分かち持つことがないままでした。やがてこの断絶感は、「世間の流行のままに上辺を飾ることは格好悪い・頭が悪いことだ」という微妙にバンカラな美学を生み出していきます。この感性は、自分にその素養がないかもしれない・そのための努力をしないことへの不安を、世間への批判的視線を持ちうる者から持ち得ない者への、また(学校の成績という意味で)自分より頭が悪い者達への見下しに変換することで、自分をごまかし宥めていたという面もあったのでしょう。

 学業優秀というのは当時のぼくにとって自尊心の大黒柱でして、小学生時代に座学で困ったことは一度もなく、先生の覚えめでたくもあって学級委員などを何度も務めたものです。そこでは自分の優秀さを認めてもらえる喜びとともに、なぜ同級生はぼくの主張する「正しい意見」に賛成しないのか、といった傲慢さも育むことになりました。まぁいますよね、そういう勘違いしてる子って。

 この頃ぼくが通いつめていた店といえば、なんといっても近所のやや大きめの書店でした。あとで述べるとおり漫画は大好物でしたが、それと並んで当時よく立ち読みしていたのは、岩波文庫パラフィン紙カバー!)やブルーバックスや現代教養文庫講談社現代新書学術文庫。いかにも背伸びしたい年頃の少年として、同級生がプレイボーイ誌やスポーツ雑誌などに向かうなか、ぼくはクラスでただ一人こういった書籍に手を伸ばしていました。

 もちろん内容なんてロクに分からんのですけど、純粋な知的好奇心と同級生への優越感に突き動かされ、小遣いで買ったり親にお願いしたりして寝る前のお供に加えていきました。読み終えた本を小さな本棚に順序良く並べていくことが、たしか相当な楽しみだったはずです。それは、他人に見せるためでもありますが、自分の知識が増えていくことを素直に嬉しく感じてもいたわけで、いわば教養主義的な傾向がここで生まれていたようです。ただし、だからといって定評ある作品や古典を読もうとしていたわけでもなく、立ち読みして気に入ったものしか買いませんでした。自分の感性を信じるというよりは、自分がいちばん頭いいと思っていただけかもしれませんし、誰が何と言おうと好きなものは好き・嫌いなものは嫌いという今でも続く頑固さの表れだったかもしれません。

 こういった小学生時分の姿勢というものは、ぼくをオタ道へ誘う原因のひとつとなりつつ、オタクのタイプ選択にも影響していったように思われます。また、この頃に身についた他の傾向としては、例えば芸能番組や実写ドラマをほとんど観なくなりました。いわゆる三次元への興味が薄れていったわけですね。キャンディーズピンクレディーの番組を観ていたぼくは、松田聖子の頃に芸能番組から離れました(もっとも妹が観てたので、ぼくも一応あの頃のアイドルソングに馴染んでますが)。また、『金八先生』などの有名ドラマも毎回試聴することは稀でした。こう、なんか、演技がうそ臭くて虚構感が強すぎる、という。もちろんアニメや漫画だって虚構なんだけど、どうせ虚構ならそちらのほうがよほど洗練されているし脳内補完しやすい。少なくともアイドル人気で作品評価をごまかしてはいない。そんな感じだったでしょうか。

 

 さて、漫画とアニメの話をもう少し詳しく。

 小遣いのやりくりで厳選された本のなかで、やはり漫画の単行本は大きな位置を占めていました。しかし、単行本がピンポイントで強い影響を与えてきたとすれば、その影響を受ける素地を長年形成してきたのは漫画雑誌です。最初に触れましたが、実家で売っていた五大少年誌チャンピオン・キング・マガジン・サンデー・ジャンプを、週刊月刊ともに欠かさず読めたという。だいたいチャンピオンで『がきデカ』が連載開始するあたりから、サンデーで『究極超人あ~る』が完結する頃までの間ずっとです。

 漫画を読むことが人生の一部となったのも当然ですが、単行本を買うくらい好きだったのは、小山田いくすくらっぷ・ブック』『星のローカス』、とり・みきるんるんカンパニー』、江口寿史『すすめ!パイレーツ』など。ただし、それ以前に吾妻ひでお『ふたりと5人』や山上たつひこがきデカ』などの影響も大きかったし、聖悠紀超人ロック』などはずっと好きで、はるか後に大人買いしたものです。記憶に残る作品としては、ジョージ秋山『ギャラ』とか。

 これらの漫画作品からどんな影響を受けたかといえば、ギャグセンスや物語の趣味、そしてキャラクターへの傾倒。ただ、のちのオタク成長過程にとって何より重大だったのは、少女キャラクターへの性的関心に基づく視点を獲得したことではないでしょうか。いわゆる二次元でおっきおっきというやつです。この起源はけっこう根深く、ダイナミックプロ作品のぼいーん系から始まり(『グレートマジンガー』EDの炎ジュンにブラウン管ごしにちゅっちゅしてた記憶あり、また月刊少年ジャンプで『けっこう仮面』も読んでた)、小学校入学時にはすでに漫画・アニメキャラによるハーレムを寝床で妄想していたはずです。どんな第一次性徴なのか自分。

 もちろん同級生やアイドルなど三次元の女の子にも興味はあったわけですが、問題は、手塚治虫吾妻ひでおとり・みきたちがその代表格ですが、ああいう曲線で描かれた漫画キャラの性的魅力に目覚めたのですね。そうなるともう、毎週立ち読みする少年漫画誌は興奮のベルトコンベアみたいなものでした。たまーにこっそり目にする大人向けエロ漫画誌(『エロトピア』『大快楽』など)から直球の描写を喰らうこともありましたが、けっきょく劇画には馴染めないままであり、その手の雑誌でやまぐちみゆきのエロ4コマに出会ったときに我が意を得たりと感じたのは良き黒き思い出です。

  アニメでは、何よりも『無敵超人ザンボット3』の衝撃が甚大で、その後はなんとなくああいう物語に惹かれていくようになりました。ブロック玩具でオリジナルの合体ロボットを作っては、その活躍と終焉を描く長編ストーリーの空想をよく繰り返したものです。言うまでもなくメインキャラの大半は戦死。ガンダムブームにはずいぶん遅れて乗っかるのですけど、少ない小遣いでケイブンシャのムックなどを購入したことを記憶してます。つまり、プラモなどの立体ものに行かず本に向かう習性がここですでに確立。もう模型でごっこ遊びする年齢でもないので、組み立てたら楽しみが終わるプラモは小遣い的にコストパフォーマンスが悪いと感じられました。同じ金額で本を買えば、寝る前のお供として何度も楽しめたのです。この、一人で繰り返し楽しめるものを好む傾向も、今に至って変わりません。

 ガンダムブームの流れで次に受けた衝撃は、映画版『伝説巨神イデオン』でした。TV版をまったく視聴していなかったんですが、ガンダム3部作を観なかったことへの反動で、イデオンは自分で観てみようと思い立ったんですね。たまたま友達もつきあってくれたので、事前情報なしに映画館に来てみたところ、あの発動篇をくらって声も出なかったのでした。カーシャの最期とか、もう。もう。ザンボット3の傷口が開いた瞬間でした。

 そう、だいたいこのあたりまでに、アイドルについて語るよりもカーシャについて語るほうが、ぼくの口は滑らかになるように育っていたのです。(続く)

ガルパン聖グロ考察を公開しました

 えらい久しぶりの日記ですが、ええと日記というよりサイト更新の報告です。

「アニメ『ガールズ&パンツァー』にみる後継者育成と戦車道の諸相・その1 ~聖グロリアーナ女学院篇~」を公開しました。ぼくからのささやかなクリスマスプレゼント、よろしければご笑覧ください。

 以前この日記で8/3に書いた内容を、思いっきりふくらました結果こうなりました。どれくらい膨張させたかというと、文字数にして23倍近くという。元の文章も日記としてはそれなりに長文だった気がしますけど、やはりブログよりもこうして単一の考察コンテンツとして切り出した方が、全力で長文を書ききったという満足感に浸れますね。

 「その1」ということですので、余裕とやる気があれば他の強豪校や大洗女子についてもリライトする予定です。今回のは夏からずっと加筆修正していたので、次はいつになるやらですが……。

好きな作品に対する異論への向き合いかた

 ついったーTLで、自分の苦手な批評家などが自分の好きな作品について論じたときどういう反応をするか、という話題があがり、ぼくの場合はと考えておりました。ぼくが考察を書くときの姿勢とも関わることなので、それについてはずいぶん前に書きましたけど、久々にあらためて文章にするとどんな塩梅なのか。

 

 ぼくの苦手な批評家、はいっぱいいます。というか、批評家や批評というものがだいたい苦手。アニメ批評などをたまたま読む機会があっても、その内容がさっぱり理解できないということがあまりにも多く、ああこれはぼくの頭では届かない世界なのだな、と自分の能力に見切りをつけて現在に至ります。批評に触れるということは、そういう自分の頭の悪さを再確認させられるということでもあるので、まぁ気分的にしんどいですね。

 また、それらの批評を読むことはぼくが作品を楽しむうえで必要不可欠なものではないし、読んで(自分が誤読する可能性もあって)腹を立てたりモヤモヤしたりするくらいなら、最初から近寄らないでいたほうが幸せではないか、という快楽計算もあります。ぼくは批評を作品と切り離して楽しむということができないたちで(理解できないんだから当然ですけど)、作品にまつわるたいていのものは、他人の批評だろうと感想だろうと二次創作だろうと公式展開だろうと、ぼくがその作品をよりいっそう楽しめるようにしてくれる手引きとして(のみ)ありがたい存在なのです。もちろん批評で飯を食ってる人たちには彼らの真剣な理屈があるだろうからそれはそれとして、ぼくはぼくで趣味を楽しむ範囲内で受け取らせていただく、というわけです。

 だから、ニュースサイトなどで批評系テキストが紹介されていても、それが好きな作品について新たな享受の手引きになりそうだという予感を得ないかぎり、ぼくはまず辿りません。ついったーでは、プロアマ問わず批評系の方々をほとんどフォローしてません。気楽に作品を楽しみたい場で毎日、他人の論争に耳を傾けられるだけの余裕は、ぼくにはないからです(知己を得ている批評系の方の呟きを時折まとめて拝読することはよくあります)。自分の能力や耐性や関心にあわせてネット視野を調整しているつもりですし、その外部がずんどこ広いことも一応意識しているつもり。

 

 そういう穴熊タイプのぼくが、苦手な批評家がぼくの好きな作品について論じているという情報のみならずその内容について知ってしまう機会は、意外とあるっちゃあります。例えばついったーTLでも、こちらがフォローしてる方々が話題にされてたりするし、RTが飛んでくることもあるし。RTの文字色を白に設定してそのままでは目に入らないようにしてますけど、それでもつい読んじゃったりして。

 そんなとき、気になったまま放置できない場合は、思い切って当の批評を自分で読んでみたりもします。そして、やっぱりまるで分かんないや、となれば放置&忘却。なるほど面白く分析してくれてるぞ、と思えれば以後の作品鑑賞の手引きのひとつにさせていただきますが、そのとき誰が書いたのかはあまり気にしません(著者の存在を無視するのではなく、苦手意識をそこだけ和らげたり、その批評家へのぼくの認識を改めたり、ということ)。

 さて、問題となるのは、その批評で示される作品像が自分の作品解釈とあまりに異なるだけでなく、何度読んでも「この人は本当にあの作品を視聴したり読んだりしてるのか……? この人にとって都合のいい枠組みに合わせて、作品をてきとーにはめ込んでるだけじゃないのか……?」と感じてしまった場合です。

 まず、ネット上でお付き合いのある方々が、その批評についてきっちり批判を行われている最中ならば、ぼくはその方々にお任せして「ふんふん、なるほどー」と学ばせていただくことにしています。両方の見解をもとにして、ぼくなりに考え直せることもありますし。ありがたいですね。

 次に、ぼくのネットご近所で、どなたもその批評について反論されていないならば、ぼくの熱量が低いときは「まぁ否定も肯定もされてないからいいか。こういう批評も流通する自由があるよね」などと割り切ろうとします。

 最後に、ぼくのネット視界内で身近などなたかがその批評に賛同されているならば。さぁ困りました。と同時に、心が沸き立つときです。

 

 最後のケースで、ぼくはつねに、自分の中に生まれた攻撃性が向かう先を確認することにしてます。いやーすんごくカッカときますからねそういうとき。できるだけ平穏に保ちたいネット視界がいきなり土足で踏み荒らされたような気持ちから、瞬時にテンパりやすいのです。ただし、そのとき例えばついったーでは、その制約内で表現できる程度の簡単な意見(自分の作品解釈)を表明するにとどめて、なるべく論争に持ち込まないようにしてます。いや、たぶん周囲の皆様がぼくの瞬間沸騰に反応するのを我慢してくださってるんだと思いますが……。ぼくとしては、ご近所の方々の賛同意見に対してねちっこく反論し続けたところで相手にも自分にも嫌な思いを与えるばかりですので、反論すべき本来のターゲットが当の批評そのものであることを、ここで多少のガス抜きをしたあとで確認し直します。テッカマンエビルが悪いんじゃなくて、寄生したラダムが悪いんだ。こいつが。こいつさえいなければ。

 もうね、こういうときは趣味に関わる防衛機制が働いてますから、自分の中に生まれた攻撃的衝動をいくら抑えようとしても無理なのですよ。我慢してもろくなことにならない。だったらせめて、その矛先を正しい方角に向けましょう、ということで、不快の根源たるその批評さえ打破してしまえば、ぼくの溜飲はとりあえず下がるはずなのです。

 

 え? ぼくの反論程度でその批評や批評家についての評判が動揺するわけないって? そんなもの最初からどうでもいい。だってそんな評判を気にするってことは、いつまでも自分の苦手な批評家をヲチし続けなきゃいけないってことでしょ? 不毛の極みです。それよか、自分の考察がネットご近所でその批評についての認識を若干考え直していただくための材料になりさえすれば、そしてネット視界に再び平穏が戻りさえすれば、だいたい目的の半分は達成されたことになるんですから。

 残りの半分の目的は、好きな作品についての半端な批評を目にしてしまったことで生まれたぼくのドロドロした衝動を、さらなる作品愛へといかにして昇華するか、です。さっき溜飲が下がるとは言いましたけど、その批評や批評家やシンパをいくら批判したり罵ったりしたところで、ぼくが得るものって何もないんですよ。どうしたって自分の負の面を露呈させるわけだし、そんな自分の切り売りで飯が食えるわけでもないし、なにより今後ぼくの好きな作品を鑑賞する楽しみをそういう記憶が汚染してしまうというのが心底つらい。深刻さに雲泥の差はあるにせよ、犯罪被害者の心境ってこういうのなんですかね。自由言論ですから犯罪でもなんでもないわけですけど。

 だから、ぼくはこういうとき、

(1)その批評をできるだけ受け止めたうえで、作品をもう一度観直して、作品内からその批評の根拠のなさを指摘できるような具体的箇所を確認する

ことに加えて、

(2)むしろ、それらの具体的箇所も含めてこんなふうに解釈しちゃったほうが、その批評よりも作品に即しながら別方向に突き抜けてて面白くね? と自分なりに思える作品像を提示する

ことを、同時に目指すことにしています。そして、その結果まず間違いなく、

(3)ぼくがその作品の新たな魅力に気づいて、その作品をもっと好きになる

のです。

 ここまできてようやくぼくの攻撃性は作品愛へと昇華されるというめんどくささですが、(3)まで辿り着きますと、最初はぼくに苛立ちを与えていた批評も、ぼくと作品との関係をいっそう深化させるための手がかりとして役立ってくれたことになるわけで、自分の中では「結果的にありがと!」という気持ちになれるのですね。他人へのヘイトを蓄えずにいられるのは、ぼくの趣味生活にとっては本当に大切なことです。そうすれば、「ああ、馬鹿みたいな分量と内容のテキストを一つの作品に捧げてしまった」という満足感と、「やっぱこの作品好きだわー」という愛情に、手放しでひたれますし。

 

 そんなわけで、基本的には自分自身の作品享受に寄与するかどうかだけが焦点なのですが、 いわゆる承認欲求というものを一切求めないかといえばそれは違います。そりゃやっぱり自分の主張を誰かに認めてほしい。できれば賛意を得たい。多くの読者を得たい。「こいつすごい馬鹿だw」という声もわりと嬉しい。

 ただし、「ぼくのことを認めてほしい」という気持ちは、「ぼくの考察をきっかけにして、誰かがこの作品を初めて好きになったり、今まで以上に好きになったり、もっと面白く感じたりしてほしい」という気持ちに、上書きされがちです。それは、ぼくの書いたテキストが、作品にとって役に立った、ということだからです。ぼくに喜びを与えてくれている作品への恩返しが図らずもできた、ということだからです。これが作品の評判をわずかでもプラスに変えたということであるなら、もう最高。

 このとき、その人たちが、ぼくが反論した批評からもそういう手がかりを得ていたとしても、それはそれでかまわないわけですよ。ぼくが受け入れないけど別の誰かが受け入れる意見もいっぱいあるし、ぼくの意見は誰かにとってまったく受け入れられない不快な意見であり得るし。実際、そういう反応をいただいたことが過去にあります。で、解釈の議論は議論として活発なうえで、そういう多様性が相互尊重のもとで確保されているファンダムは、作品をより豊かに楽しむことのできる場となるのではないか、と考えている次第です。ただし、日頃のぼくは「自分なりのしかたで作品を楽しめれば十分」と閉じこもっているわけですので、このへんは我ながら都合よく使い分けてますね。

 

 いまちょっと触れましたけど、自分を嫌ってる人が自分の作品解釈を読むことによって、自分が好きな作品を嫌いになってしまう人もいるんじゃないか? という不安(これも関連話題でした)について補足しておきます。

 この不安は、アニメ版シスプリ考察を書き進めていた頃にずっと抱いてましたし、忘れられない失敗経験ももってます。そこは反省するとして、しかしそれでも、自分の解釈や作品愛を一定のルールのもとで表現することにためらいはありません。一定のルールとはつまり、「比較の度を越えて他作品を見下さない」とか、「誹謗中傷しない」とか、「自分の頭で理解できていないことを書かない」とか、「自分に都合の悪い事実を無視しない」とか、そういう当たり前のものです。

 まず、そういう危険性に(配慮するだけでなく)囚われすぎてしまうと、何も書けなくなるというのがひとつ。無理ですそんなの。

 次に、ぼくと感性や判断基準が対照的な人にとって、「ぼくが好きな作品」は「すぐには手を出さずともよい作品」の標識として役立つかもしれない、というのがひとつ。(事実、ぼくにとってそういうサイト管理者がいるのです。その人が本気でオススメの作品のいくつかを実際購入してみるとぼくに7割くらい合わない、という。)

 さらに、ぼくの文章を読んで作品から離れてしまうなら、その人と作品との関係がその程度だったということ、というのがひとつ。その人が本気でその作品を好きであるなら、ぼくの解釈など押し流す勢いでご自身の言葉を示せばいいんじゃないかな、と。もちろん、好きになる前の作品に触れる第一歩を失うこともあり得ますけど、世の中ぼくの文章以外にもその作品について語っているものはたくさんありますし、そもそも作品そのものの創作物としての魅力は、いちファンの存在で完全に消せるほどヤワじゃないと信じています。

 最後に、ぼくの作品考察は、ぼくを嫌ってる人がそう手軽には読みきれない分量で書かれてますので、読む意欲をあらかじめ奪うことによって危険を回避できてないかしら、というのがひとつ。長いよ。毎度長いよ。もっとも、本文を読まずにタイトルに掲げられた作品名だけ見て判断しちゃうような人がいるかもしれませんが、どのみちそういう人はぼくの趣味生活とは無関係です。

大洗女子の副隊長・車長について

 というわけで、ガルパンの大会対戦相手をひと通り見たうえでの大洗女子の副隊長・車長についてです。アンツィオ聖グロリアーナ・サンダースプラウダ・黒森峰

  先日も書いたように、ぼくは、大洗女子の副隊長は複数存在していると考えてます。生徒会の3人は全員そうだし、沙織や優花里もそう。ただ、あらためて見てみると、後者の面々は副隊長というより副官かな、とも思います。ここで想定してるのは、全隊員に対する指揮・管理を隊長と分担するのが副隊長。隊長のそばでその補佐をしたり隊長自身のケアを行ったりするのが副官。みたいな区別です。

 あんこうチームの連中についてざっくり言うと、沙織はみほの情動サポートにくわえて、通信という大洗女子の大きな武器を担いました(みほ自身がしばしば直接通信で指示するとしても、通信機器の調整は沙織の仕事ですから、ある意味で命運を握ってるようなもの。彼女がアマチュア無線の資格を求めたのはハード面の学習を含めてなのかもしれません)。優花里は部隊全体への指揮権を持たないけど、みほのそばにいる唯一の戦車マニアとして専門的な会話ができる相手でしたし、偵察その他に活躍してくれたほか、みほの昨年度の自己否定を裏返そうとしてくれる存在でした。華は沙織とともにみほを最初から支えてきたうえ、サンダース戦の段階ですでに砲撃位置をみほに意見具申するなど、持ち前の柔らかさだけでなく意志の強さでも隊長をサポートしました。麻子は言うまでもなく操縦の神様で、なんとなくチームのマスコット。この4人が一緒に搭乗してたからこそ、みほは日常でも試合中でも様々な壁を突破してこれました。この意味から、4人のうち少なくとも沙織と優花里は副官っぽいな、と思うわけです。

 ただし、ぼくが見たところの副隊長と副官については、エリカのところで、彼女が大会対戦校の中でほとんど唯一の、部隊全体に指揮を行った副隊長だと述べたように、両者の区別はどこの参加校でも曖昧ではあります。

 

 

1.生徒会の3人

 

 ぼくが彼女たちを副隊長と見て取る理由は、3人とも部隊全体に対して指示できる立場にあり、そのことを隊長・隊員から認められているからです。もちろん生徒会役員で3年生というのは相応の敬意の対象となる要因ですが、それだけじゃなかろう、と。

 

 桃は組織上の正当な副隊長を担っており、その立場から隊員にたえず命令を下しています。いわば叱り役の鬼軍曹。訓練でも怒鳴ってばかりですし、やらなきゃならないことをやらせる係なので、どうしても親近感は湧きにくい損な役回りなのですが、本編では隊員の誰かが桃を揶揄したり陰口をたたいたりする場面は描かれませんでした。もっとも、DVD第6巻のおまけ映像であけびが(ヘタレ姿も含めて)桃の真似をしてるように、内心の反発はそれなりにあったはずです。しかも実際、練習試合でも大会1回戦でもそのヘタレた本性をさらけ出しちゃってるわけですから、「普段あんなに威張ってるのに」とナメられてもおかしくないはず。ギャップ萌えを生み出すにはちょっと足りない感じもするし。しかし、それにもかかわらず、桃は副隊長としての立場を大会の最後まで維持できました。

 それは、一つには、隊長みほが桃を副隊長として敬意をもって対し続けたからでしょう。3年生・生徒会役員だから、みほが目上には一歩引くから、というだけじゃないのです。試合中や作戦会議ではともかくも、訓練・管理面でみほが桃の指示をくつがえしたことは、おそらくないはずです。実際に訓練中の桃の指示を確認すると、自分ができるかどうかは別にして、間違ったことは言ってないんですね。むしろ、移動・隊列維持・遮蔽など基礎的なスキルを新米隊員に叩き込むための内容をきっちり怒鳴っている。しかしそもそも、桃自身がその初心者の1人であるはずです。ということは、鬼軍曹としての出で立ちも含めて、桃は戦車道について彼女なりに必死に勉強して(それこそあまり勉強できなさそうなのに学園のために必死になって)、そこで学びとったものをなんとか短期間のうちに隊員に精一杯伝えようとしてるんですね。そして、その訓練時の指示内容は、みほから見ても大きな問題を感じない水準だったわけです。みほが苦手な規律面・管理面で頼りにしていただけでなく、こういう桃の戦車道に対する生真面目な努力を、みほは廃校問題を知る前から看取していたんじゃないでしょうか。

 もう一つには、平隊員たちも、桃を蔑んだり反発を示したりするまでに至らない理由があったように思います。もちろん最上級生の役員だから、ということもありますが、桃はなんだかんだ言いながら、訓練もその他の作業もちゃんと参加するんですね。隊員に任せて全体管理にまわることもありますけど、訓練には必ず自分も加わって最後まで一緒に汗を流す。自分を規律の例外としない。風呂もみんなと一緒に入る。桃が一生懸命で公平なのは誰もが否定できません。このへん、杏たちと共に生徒の先頭に立って学園生活を盛り上げてきただけのことはあり、率先垂範を旨としているのです。

 まぁ試合中にうまくできないのは誰もが同じことですし、彼女の気弱さと高揚感によるトリガーハッピーな面は、抑制的なみほの指揮よりも初心者的には分かりやすくノリやすい向きがあり、つい隊員が引っ張られてしまうということもありました。そのへんの問題はプラウダ戦前半まで見受けられましたが、砲手を杏に譲って装填手を務めてからは、その生真面目な面を遺憾なく発揮し、じつに滑らかな装填速度で38(t)無双の影の立役者となりました。あと、アンツィオ戦の前にみほが隊員たちに頼られて囲まれ、見かねた沙織たちに助けてもらってるのを柚子と一緒に眺める桃の、その柔らかく暖かな表情たるや。

 

 柚子は副隊長の役職にはついていませんでしたが、生徒会副会長としての能力を部隊内でも発揮して、実質的な全体サポートを行っていました。管理面での裏方役を担い、また杏や桃の暴走を若干抑える働きを果たすほか、そのおっとりした性格で全体の空気を和らげてもいました。あまり目立たない役回りですけど、ヘッツァー改造時の「おぅらーい! おぅらーい!」の声とか、繰り返し聞いてると一日の疲れが消えますよね。そして一般的な評価としてはスタイル抜群。ぼくとしては、むしろカチューシャのほうが(以下しゅくせー)。

 とくに桃との関係でいえば、みほや隊員の前で強面を装う桃に、柚子が「桃ちゃん」とつい呼びかけて「桃ちゃんと呼ぶな!」と怒鳴られるパターンがありました。あれは日頃の2人の関係や桃の姿をみほたちにも想像させ、サンダース戦で桃が「柚子ちゃん」と泣きついたりもしたこともあいまって、桃のイメージを適度に緩めてくれたのかもしれません。

 しかし、温和な雰囲気を生む副隊長としての役割と並んで、いやそれを上書きするほど印象的だった柚子の活躍は、やはり試合中のあの操縦技量でしょう。練習試合からすでに、横合いから駆け込んで4号をカバーしながら敵に近接射撃できる位置へぴたり、ですからね。

 その後はみほもカメさんチームの回避能力を最初から計算に入れて作戦を立ててるように感じます。サンダース戦ではフラッグ車をお願いして、初戦開始後いきなり敗北という可能性を狭めてますし、その成功をうけてアンツィオ戦でも引き続きフラッグ車、最終局面で巧みにM40の砲撃を回避して囮の役目を演じきってます。あれはあんこうチームの上方からの砲撃も含めて、完全にサンダース戦終盤の応用でしたので、皆がすぐ従える1つの型にしてるんでしょうね。そして、その型を外した(もはや38(t)をも攻撃力として用いざるをえないので)プラウダ戦では、みほはやむなくカメさんチームにその操縦技量を見込んで敵を混乱させる斬り込み役を任せるしかなかったのですが、いやー圧巻。もう言葉もありません。決勝戦でのヘッツァー単騎遊撃や「ふらふら作戦」、そしてあのマウスへの突撃も、柚子の腕前あってのことでした。大会を通じて、みほからの信頼は相当に厚かったと思われます。

 

 杏はプラウダ戦の途中までやる気のない隊員として振る舞ってましたが、生徒会長であり、みほを引き込んだ張本人であり、やはり隊員の間でも相応の立場にありました。杏が副隊長というより、みほが会長の代わりに隊長を務めてるという感じ。

 本編でも、杏がしてることは、砲手となってからの技量発揮をのぞけば、いわば軍令ではなく軍政レベルというか、戦術ではなく戦略レベルというか。そもそもが彼女の発案により、学園を存続させるために戦車道大会優勝という大目標を打ち立てたわけでして。さらに、この実現のために柚子や桃に指示しながら、物・人・金などの工面を図り、大会出場へのハードルをクリアしていったのでした。実際に勝つことはみほの指揮手腕に任せ、まずは勝てるチャンスを得るための状況そのものを、杏は組み上げてきたわけです。さすがは学園艦を指揮する生徒会長、ということでしょう。あとは大まかな方針をそのつど決定し、みほが隊長をやめないように時々発破をかければよし。

 この立場を利用することで、杏は試合でも彼女にしかできない役割を果たしてます。それは、試合開始前に味方が対戦校に呑まれないようにすること。生徒会長という役職柄、杏は隊長でも副隊長でもないのに、対戦校の隊長と自然に挨拶ができます。みほや桃を差し置いて、いきなり杏が出迎えたりもします。そこで杏が鷹揚に振るまい、逆に相手の隊長を呑んでかかるかのような余裕ある態度を示すことで、みほや隊員たちが余計な緊張をせずにすんでいる可能性があるとぼくは思うのです。事実として大洗女子は弱小校ですから、せめて気合負けしないというのは絶対に必要なことでしょう。ちっちゃいけど自信たっぷりな杏の後ろ姿は、それだけでもう大洗女子の戦う姿勢そのものを象徴していたのでした。

 

 それにしても、なんで杏は最初から砲手やらなかったんでしょうかね。たぶん腕前は磨かなくてもあのレベルに達してたんだと思いますが。まぁ面倒臭かったというのもあるでしょうし、副隊長の桃に任せたかったというのもあるかもしれません。でも、優勝が彼女の絶対目標なんですから、手を抜くというのは基本的にありえないはずなんです。

 もしや杏が、カメさんチームの砲手の技量を桃レベルだと見せておくことで、いざ自分が砲手となったときに奇襲効果を見込めると考えていたならば……? 事実、プラウダ戦では38(t)の猛攻に相手が完全に呑まれていました。あれはもう、杏がいよいよ出番と覚悟するほどの追い詰められた状況だったわけですが、おそらく事前情報で「38(t)は操縦は巧みだが砲撃は問題外」と理解していたプラウダの隊員たちは、ブリーフィングとまったく異なる照準能力・予想以上の軽快な機動・素早い装填による連射、の連携にパニックに陥ったんじゃないでしょうか(そこを一撃で落ち着かせたノンナもさすが)。

 この想定で問題となるのがサンダース戦で、あの最終局面はもうずいぶん追い詰められてませんでしたか、という。とりあえずはまだ後ろにカバさんチームのカバーがあったし、どのみちあの距離では敵フラッグ車を狙うことも難しいし、ということで、もしカバーのⅢ突が撃破されたならそのときは、という腹づもりが杏にあったかもしれません。

 また、こう想定してみたときにあらためて感嘆するのは、決勝戦でのヘッツァーの任務の意味です。黒森峰は、準決勝でのカメさんチームの活躍をチェック済みでしたから、これを脅威とみなして警戒するのは当然です。この結果、カメさんチームは(そして大洗女子は)重要局面で切れる奇策カードを1枚失っちゃいました。ところが、みほはこれを逆手にとって、カバさんチームではなく杏たちに遊撃的な待ち伏せ攻撃を指示したんじゃないでしょうか。つまり、ヘッツァーを泳がせることで、まほたちが側面・後方を過剰に警戒しなければならず、そのぶん分散し隙が生まれやすい状況をつくろうとしたのです。(あそこでパンターやヤークトパンターの履帯でなく側面・背面を撃ち抜けたはず、という話もありますが、あんまり戦果を出しすぎて主力に狙われたら孤立無援のヘッツァーはひとたまりもないでしょうし、ほどほどに警戒されたからこそ無事に丘にたどりつけ、その足でかき回してⅢ突らによる撃破率を高めて結果的により大きな戦果を得たつもり、と考えてみたり。)

 切り札を出したら終わりではなく、表に出したままにすることで相手の意識を拘束するという、使えるものは二重三重の意味で使い倒すみほの計略の鋭さがここに見られます。この鋭さは、みほが相手の戦術意図だけでなく、相手の感情まで想像できているから得られるものなんですかね。いや、恐ろしい。(あるいは、この遊撃戦法は杏がみほに提案したものかもしれませんが、そうなると生徒会長の人心掌握術の根幹がここにあるんだな、ということになり、それもそれで怖い。)

 

 

2.典子

 

 個人的には、アヒルさんチームは影のMVPだと思うんですよねー。練習試合でも果敢なアイディアでぎりぎり粘りましたし、サンダース戦では欺瞞・敵フラッグ車偵察と誘引・味方フラッグ車カバー、アンツィオ戦では偵察ののちタンケッテ群を一手に引き受け、プラウダ戦ではフラッグ車として最後まで我慢の逃避行。そして黒森峰戦ではヘッツァーとともにマウス撃破の立役者となり、さらにパンター群を引きつけて勝利に貢献しました。敵を直接撃破する主力には絶対になれないものの、それ以外の役割はたいていこなしてるんじゃないでしょうか。

 その原動力となったのは、バレー部復活を目指す4人の強固な意思統一や、バレー部員らしい身体能力の高さもさることながら、やはり車長であり唯一の2年生メンバーである典子のリーダーシップが大きいと感じるわけです。

 

 誤解があるかもしれませんけど、典子は決して単純な脳筋キャラではありません。そりゃ初めて89式に搭乗したときは「根性ー!」の一言でなんとか乗り切ろうともしてましたし、それ以降も彼女の根性論っぽい台詞はしばしば出てきます。しかし、最初の模擬戦でみほたちの4号をⅢ突との協同攻撃で狙おうとしたり、そもそもあんな崖の半ばあたりに埋もれてた89式を発見しそこまで辿り着いたり、聖グロ練習試合では勝手知ったる大洗市街地のギミックを用いた奇襲を試みたりと、根性だけではできない知的な行動をあれこれ示しているのですね。

 さらに見ていけば、サンダース戦では欺瞞行動を任されて敵の一部を見事に誘引(木を切り倒して束ねた体力もさすが。ただし戦車でへし折ったのかも)、続いて偵察によって敵フラッグ車を発見のうえこちらも罠に誘導、バレーボールの技術で発煙筒を飛ばしてるのも頭の良い工夫です。プラウダ戦では前半こそ勢いにつられてフラッグ車らしからぬ追撃をかましてますが、後半は自分たちの務めに専念。最後のノンナに命中弾をくらう直前には一瞬典子が振り返る絵があり、もしかすると何か察知して急回避を命じていたのかもしれません。そして決勝戦では、みほの指示を正しく理解して89式でできるだけの挑発を行い、黒森峰の隊員をきりきり舞いさせました。この挑発能力はマウス撃破時にも発揮されてましたね。

 さらにOVAアンツィオ戦では、典子は「少しだけ頭使ってあとは根性!」という名言を残してます。このあとアヒルさんチームはペパロニたちに翻弄されてしまいますが、みほの指示を受けて速やかに落ち着きを取り戻し、訓練を思い出して敵タンケッテの弱点を次々と狙っていきます。ここで実際に典子は少しだけ頭を使い、砲手あけびに主砲の振動を体で押さえつけさせることで、移動しながらの砲撃を命中させやすくしてるのです。

 こういった行動を可能にしてる大きな要因は、やはり車長の典子の知性です。考えてみれば、アヒルさんチームがあれだけ偵察担当として優秀だったのは、89式の小ささもあり、また攻撃力がないために偵察に特化せざるを得なかったという事情もあるでしょうけど、典子が敵を視認する能力や、単独で地形を読み取る能力などが秀でていたことの証でもあります。だいたい、典子はセッターでしょう。バレーボールでセッターというのは司令塔であり、状況を瞬時に判断して最善のトスを上げる存在。知的でないはずがないのです。「逆リベロ」とかよく分かんないことも言いますけど。

 

 もちろん、この知性だけでなく、典子には強固な意志が備わっています。試合の中でどれほど絶望的な苦境に陥っても、典子は泣き言ひとつこぼさずに、メンバーを叱咤激励し続けます。それは、優勝がバレー部復活を意味するから。勝たなければ、廃部という決定を覆せないから。

 そもそも典子たちが戦車道を選択したのは、あの全校生徒ガイダンスに参加して自発的にということでしょうから、おそらく典子たちは戦車道選択者への諸々の特典をすべて辞退して、その代わりにバレー部復活を願い出たのでしょう。そこで杏はすんなりそれを許可するのではなく、特典はそのままにしたうえで「大会優勝」を廃部撤回の条件にした、という感じでしょうか。ある意味で生徒会長に乗せられたわけですが、しかし典子としても堂々と受けて立った格好です。学園艦廃艦の撤回を求めた起死回生の一手として戦車道大会優勝を掲げた杏と、バレー部復活の撤回を目指して戦車道大会優勝を目指す典子とは、じつにそっくりな戦い方をしているのです。

 だから、勝利のためならルールの範囲内で最大限の努力をする、絶対にあきらめない、ということなのでしょう。優れた身体能力をもつバレー部メンバーが89式以外の主力戦車に搭乗していればずいぶん活躍しただろうに、とはぼくも想像したものですが、典子たちだったからこそ89式の能力を限界以上に引き出せた、とも考えられます。そして、その知性と意志とをもって鉄の団結をもたらしたのは、典子のリーダーシップに他なりません。4月当初に自分以外の部員が残らず、新入部員も3人だけで廃部と通達されたとき、自分も1年生もあきらめさせずに引っ張ってきたのが典子です。おそらくは決勝戦の前日だけでなく、厳しい訓練を終えたあとバレーボールの練習に汗を流すのがアヒルさんチームの日々だったでしょう。聖グロ戦でこそ待機中にトス練習をしていましたが、「いつも心にバレーボール!」という典子の言葉は、そのままチームの団結のシンボルでした。

 あと、典子の体育会系的な先輩・リーダーへの礼儀正しさは、たぶん編成当初の部隊を引き締めてたんじゃないかな、と想像します。1年生チームはあんなだし、歴女チームも別方向にあんなだし。みほや桃の指示にちゃんと敬意を持って従う(教えを請うときは麻子にも敬語を用いてる)という態度を自然にとれるバレー部員の存在は、隊員らしさを形作るうえでけっこう重要な核になったのかな、というわけです。

 

 ところで、1年生3人がバレー部員のユニフォームらしき格好なのに典子だけ体操着っぽい理由ですが、1年生たちは中学のユニをとりあえず着用してるだけのことなのか。それとも、典子が1年生にはバレー部復活を約束した証として高校部活のユニフォームを与え、自分はいったん廃部させてしまった責任を負って復活までユニ着用を禁じたのか。すでに公式で語られてるかもしれませんけど、いろいろ想像できますね。優勝パレードを終えて学園艦に戻り、典子がユニフォームを久々に纏って部員の前に立つ瞬間。もう号泣(ぼくが)。

 

 

3.梓

 

 典子と並んでぼくが高評価してるのが、1年生車長の梓。まぁどなたも注目してたはずですが、脳天気な年少者集団が次第に成長していくという役回りですので、いちばん伸びしろがはっきりしてましたよね。

 ぽやぽやした理由で戦車道を選んだウサギさんチームですので、模擬戦や聖グロ練習試合では案の定戦意喪失。しかし、聖グロ戦での圧倒的な非勢をはねのけかけたみほの活躍を目の当たりにして、梓たちは反省とともに憧れを抱きます。6人とも、みほたちが学園艦に戻るまでタラップ上で待ってたんでしょうかね。あれだけ怖い思いをしたんだから、自分には無理だもうやめたい、となってもおかしくないんですよ。なのに、あえて踏みとどまって頑張ろうと決意したのは、それだけみほが眩しかったということでもあるし、部分的にはみほが西住流の・戦車道の体現者として理想の女性(格好いい・モテる)像になったということでもあるし。

 あるいは、メンバーが6人もいたというのが意外と大事だったのかもしれません。1人2人だったら自分の判断と感情で逃げ腰になれちゃいますけど、6人もいると相互に影響しあって空気を生み出しちゃいます。もちろん戦車を放棄して逃走したようなパニックの伝染もあり得るんですけど(アンツィオ戦前にも暗い倉庫内でみんなメソメソしてますね)、そこで6人が同調したからこそ、一息ついた誰かが試合の行方を気にしだして、それじゃ遠目に見物を、という流れになったとき、全員がつられて行動したんじゃないでしょうか。そして、みほの活躍に、1人が「先輩すごい……」と呟けば、皆もそう感じててうなずくわけですよ。自分を振り返って反省しはじめれば、それが我も我もと続きます。

 例えば、そこで最初に「もう一度頑張ろう」と言い出したのが、梓だったのかもしれません。みほたちを迎えたとき、梓は車長として6人の真ん中に立ち、お詫びを述べてます。とくにみほは自分と同じ車長ですから、憧れと自分の至らなさへの反省はそのぶん深かったとも想像します。

 

  それでもサンダース戦では、砲弾の積み忘れに笑ってますので、まだ梓の真剣味は足りてません。ただ、ここでは初の真剣試合を前にして、優季のうっかりを(あやに続いて)厳しく叱るなどよりは、気分を緊張させないように配慮していたのかもしれませんが。表情も、笑顔というよりは苦笑ですし。一方で試合開始直前のみほの訓示を、梓とあやは(たぶんも紗希も)真面目に聞き入ってますよね。

 さて、ウサギさんチームの役割は、部隊内では比較的優れたM3の装甲と、防御時には短所となる車高を活かした、偵察が専らです。よくアヒルさんチームと共に両サイドをチェックしてますね。サンダース戦では偵察に成功した直後いきなり包囲攻撃されますが、そこで梓は懸命にふんばって正確な情報を隊長に報告します。4号と無事合流してみほの姿をとらえたときの、梓のほっとした声たるや。そこまで車輌放棄せずに6人でこらえてきたわけです。そして逃走先に再び敵が待ち構えているのを見たとき、梓は「どうする?」と誰にともなく聞いてしまいます。経験不足のうえにいったん安心したからこそ、自分で判断して即応することができなくなっちゃってるという。ここではみほの敵中突破という大胆な指示に驚き、またシャーマン戦車から一撃かすられて車内で耳を抑えてます。もしかすると、砲撃を受けたのはこれが初めてだったのかもしれません。

 このままなら萎縮してしまいそうなところで、みほの情報戦が功を奏して、ウサギさんチームはカバさんチームと共にM4を1輌撃破することに成功します。これがねー、じつに大きかったと思うんですよ。退却時に37ミリ砲で後方を撃ってましたけど、あれは防御的なものだし撃破なんて無理。でも、ここでそのM4を主砲で撃てた、しかも戦果を挙げられたというのは、さっきまでの落ち込みそうな士気を一挙に回復して余りある自信を、梓たちにもたらしたはずです。その勢いもあって、終盤で挟撃されたときも隊長の指示に従いつつ、「今度は逃げないから!」と自分たちに活を入れられました。このときの6人の表情がいいですね、隊長への全幅の信頼のもとでの覚悟。それは同時に、反省と努力によって得た自分たちの成長をみほに見てもらうチャンスでもありました。そのあと撃破されてしまいましたが、役目は全うしたわけですし、無線がまだ生きていたならばみほの諦めない訓示も聞けてたわけですね。そのうえでたしかに勝利を獲得した隊長への敬意はますます高まったことでしょう。……桃のあの泣き言まで聞いてしまっていたかもしれませんが……。

 

 さて1回戦勝利ののち、油断せずに次に備えた訓練に入るわけですが。M3への砲弾積み込み作業の光景について、砲弾を搬入しづらい側で上げ渡しているという指摘をどこかで拝見した記憶があります。描写ミスの可能性もありますが、これは積み込みしやすいほうの側面がふさがってるなどトラブル時を想定した訓練なのかもしれません。 試合中は何が起きるか分からない(実際プラウダ戦では主砲を損壊している)ので、不利な状況でも最善を尽くせるように励んでいるという想像。逆にいえば、渡河なんてそれこそ何度も訓練したでしょうから、決勝戦でエンジン停止したときはあれだけ焦ったわけです。あと彼氏が離れていくとかも想定外。

 アンツィオ戦のことはこないだ書きましたので省略。ここでも勝利してつい増長しちゃうのはウサギさんチームに限ったことではなく、プラウダ戦では試合開始中盤に痛い目にあってしまいます。ただ、開始前の作戦伝達時に「なんだか負ける気がしません。それに、敵は私たちのことナメてます!」と語った梓の言葉には、ただの増長だけとも言えない意味が込められてるように感じます。それは、自分たちを見下す相手への反発心にくわえて、こちらを軽視するプラウダはそこに隙があるのではないか、という梓なり敵情分析です。サンダース戦ではみほがアリサの増長を突いて逆用したのでしたし、アンツィオ戦では相手を「ノリと勢いだけ」とナメないことで対応に成功したわけです。プラウダが大洗女子を弱小校と蔑むのであれば、それこそが相手の急所になる、という判断です。

 梓はここで、彼女なりにみほをもう1段高いところで見習おうとしてみたのではないでしょうか。アンツィオ戦では優季に「梓、西住隊長みたい~」と言われて、梓としては相当に嬉しくもあり照れくさくもあり、よりいっそう憧れの隊長から学ぼうと意を強くしたと想像します。ウサギさんチームの車長としては、そこそこできるようになってきた。となれば次は、味方全体の勝利のために自チームの行動だけでなく全体の行動方針を考えてみる、というステップアップを視野に入れる段階です。もしも梓が本当に隊長みたいになれるのであれば、いつか彼女が大洗女子の隊長になりうるんですから。だとすれば、この台詞は梓の増長ではなく、責任感と誇りの表れなのです。

 ただまぁ、実際にはそんな態度がカチューシャの策にぴったりハマってしまうわけですが。寒さと空腹と絶望的な戦況で、あの典子さえ士気がだだ下がり。しかし、そんな廃屋にみほのあんこう踊りが降臨。主力メンバーが次々加わった結果、気がつけばウサギさんチームも一緒に踊ってるわけですが、これはみほの心意気に打たれたことでもあり、場の明るくなっていく空気に同調したということでもあり、またさらに、あんこう踊りが梓たちにとって一つのシンボルでもあったがゆえかな、と思います。

 つまりあんこう踊りとは、聖グロ敗戦の結果みほたちが衆目の前で踊らされた罰ゲームであり、それを隊長たちにさせてしまった自分たちの不甲斐なさの記憶なのです。もちろんみほはそんなことを思い出させるつもりなど毛頭ないんですが、梓たちは当然思い出します。ここで隊長たちだけあのときのように踊らせておくわけにはいかない。自分たちも分かち合わねばならないし、分かち合いたい。だけど、あのときの記憶は同時に、みほのあんこうチームが今よりもっと絶望的な孤立状態にありながら聖グロを敗北間際まで追い詰めたことをも思い出させます。いまはまだこんなに味方が揃っている。いまだ諦めることのない隊長に率いられている。そして、そんな隊長に憧れて、ここまで仲間と頑張ってきた自分がいる。主砲が使えなくても勝利のために貢献できることは、すでに実戦経験済み。それに、敵は私たちのことナメてます!

 そして梓たちはフラッグ車を守るために身を挺して犠牲となり、撃破されてなお(サンダース戦のように悲鳴をあげることなく)士気高く報告と無事の返事を行い、カモさんチームに護衛を託すのでした。6人ともチームで思考の共有ができてるんですよね、やはり同調しやすいのだとも言えますし、あんこうチームと同じように各人が冷静で自主的な判断ができつつあるのだとも想像できます。

 

 決勝戦前夜には、6人揃って『戦略大作戦』を視聴しながら涙。あれって砲塔旋回できないティーガー戦車に感情移入してるんですかね……。M3も主砲はそうだし。しかし、そのおかげで彼女たちは、試合でエレファントを撃破するという殊勲を挙げるのでした。そのへんは以前も書きましたので、ここでは渡河でエンコしたときの梓とあやの判断に注目します。すぐには再始動できないと見た2人は、決意の視線を交わすと、ウサギさんチームを残して先に進むよう隊長に具申します。それはもちろん、彼女たちなりに全体の利益を考えてのこと。足止めのために犠牲となるのは、みほだって同じ状況ならそうするだろうと考えていたかもしれません。しかし、みほはそうではなかった。仲間を助けることを優先する隊長の姿に、梓たちは練習試合を超える感動に震えます。隊長は仲間の誰をも切り捨てない。そして、そのうえでじつは勝利を捨てるつもりもない。みほ自身が救われたこの行動によって、梓たちは憧れの隊長の新たな面に気付かされ、そんな素晴らしい隊長に大切な一員として受け入れられている自分たちへの誇らしさを強く抱きます。

 そんな気概に支えられてか、市街戦に移ってマウスに翻弄されてもみほの咄嗟の計略に従って牽制攻撃を行い、マウス撃破の喜びに浸ることなく敵主力の接近予想時間を報告するという切り替えの早さ。練度高い。その後の大活躍については、ここではもう繰り返しません。自分たちで立案した戦法で挑むことをみほに任されたんですから、もう嬉しかったでしょうねー。渡河での恩返しもありますから、そりゃ気合も別格です。なお、ヤークトティーガーが右折先ですぐ方向転換して待ち伏せをかけている可能性に梓が気づいたのは、聖グロ戦でみほがマチルダを仕留めたあのやり方を覚えてたからでしょうか。

 これと同様に、たぶん今後も梓は「先輩ならどうしたんだっけ・どうするだろう」とつねに考えていくことになるんだろうと思います。それは、みほを絶対視するということではなく、自分を超える憧れの存在にたえず向き合うということ。隊長の指揮ならばヤークトティーガーを自車の損失なくうっちゃれたかもしれない。待ち伏せをもっと早く看破して、大回りして背後に出られたかもしれない。あるいは、急停止の直後に全速右折して主導権を確保できたかもしれない。まぁM3で駆逐戦車2輌撃破というのはすでに伝説の領域ですが、それに満足せず上を目指せるというのが、梓の輝ける戦車道なのでしょう。

 

 

4.エルヴィン、そど子、ナカジマ、ねこにゃー

 

 まとめてですみません。

 

 エルヴィンは、歴女チームのリーダーであるカエサルを差し置いての車長なんですが、これは専門からして彼女たち納得の分担でしょうね。模擬戦でⅢ突に乗り込む前、エルヴィンが冬戦争云々と(じつは間違ってる)その知識で3人を叱りつけてますから、それじゃせっかくだから車長はエルヴィンで、となっても自然な流れ。また、このチームはお互いの知識・能力を冷静に理解し尊重しあってる感じがするので、ちゃんと考えての適材適所なのでは、と思います。(なんで砲弾抱えてぷるぷるしているカエサルが装填手か、って? ローマ兵のタフさ故ですよ!)

 さすがにエルヴィンも苦境に焦る場面がありますけど、基本的に彼女はロンメルびいきですしⅢ突の実績もこれを活かす戦術も知ってますから(最初は仲間の趣味を容れてあんな塗装してたけど)、脳内ドイツ軍の機動防御を戦車道試合で実際に演じられることに士気は高いし合理的判断もできる。言ってみればエルヴィンは「パンツァー・ハイにならない優花里」なので、安定した指揮能力を保っていました。みほもカバさんチームを攻撃主力に据えて作戦立案してますね。サンダース戦では伏撃に成功し、アンツィオ戦ではなんと突撃砲同士の格闘を演じきり、プラウダ戦では敵フラッグ車を撃破する殊勲。あのとき、みほからの「Ⅲ突を雪中に埋めて伏撃」という指示を、すぐ理解して短時間に実行してしまうあたりが歴女チームの恐ろしさですが、エルヴィンは当然のことながらああいう突撃砲の隠蔽方法を知っていたでしょう。惜しむらくは決勝戦で、マウスからの撤退指示が間に合わなかったことですが、フラッグ車をかばう意味合いでなければ、たぶん伝説の戦車の登場に見とれてたんじゃないかしら。気持ちは分かります。

 

 そど子はプラウダ戦からの参加でしたが、試合中の活躍はさほど目立ったものではありません。フラッグ車のカバーや、集団行動の一翼を担うなど。逆にいえば、いきなり参加させられたのに、それなりについていけたあたりが風紀委員の意地ということでしょうか。意外な視力を活かして、プラウダ戦では偵察を任されてもいました。

 ただ、むしろ彼女の大きな役割は、日頃の訓練時にあるように思われます。つまり隊員の風紀を維持すること。プラウダ戦の前に、隊員の服装の乱れなどを厳しく叱りつけてますけど、あれはそど子にすれば当然の行為(新しい環境で気後れしないための攻撃的防御かも)であると同時に、叱り役を1手に引き受けてきた桃の負担を減らしてくれることでもありました。規律化のために桃は結成時からずっと一同を叱り続けてきたんですが、日常レベルの事柄については、桃が口を出さなくてもそど子が自主的にやってくれるわけです。実質的な副隊長補佐が加入してくれたという、これはけっこうありがたかったんじゃないでしょうか。そのぶん桃は訓練に専念できるし、部隊管理や新戦力獲得などにも気を回せてました。

 また、隊員にとっても、桃にはさすがに口答えできない一方で、そど子には比較的気楽に文句も軽口も言える関係をつくれました。ちんまいことや麻子と奇妙な仲良し関係なことも影響してますけど、風紀委員として日頃お馴染みなことにくわえて、そど子は戦車道の場では新参者ですから、ここで気安さが生まれてるんですね。つまり、風紀委員という堅物を参加させることで、隊内には叱り役の分散と緊張緩和が得られたということになるわけで、そういえばそど子たちを無理やりメンバーに加えたのが杏でしたね。まさか……そこまで考えて……あるいは直感して……?

 

 ナカジマは決勝戦でのレオポンチーム指揮で大活躍してますが、あれはどちらかというとメンバー全員の技量のおかげ。同じく全員の功績としては、やはり自動車部という裏方としての役割がもう、みほたち最敬礼です。発掘されたボロ戦車をたちまち動けるようにし、毎回あれだけぶっ壊しても回収して直しちゃうんですから、『泥の虎』を思い起させる整備士の神業。搭乗するのがポルシェティーガーってのもそのつながりですよね。「ゆっくりでいいよー」というあの名台詞も、なんとなくハンスの動きはとろいけど確実に修理する姿を呼び起こしませんか。しませんね。

 強豪校については後継者育成の視点でいろいろ書きましたけど、大洗女子は梓がみほの後を受け継ぐとしても、もしかすると遥かに重大なのは、この自動車部の部員確保かもしれません。それぞれの試合の勝ち負けもさることながら、補給・兵站が結局は命綱なのです。

 

 ねこにゃーのアリクイさんチームは決勝戦冒頭でいきなり撃破されてましたが、あのおかげでみほのフラッグ車がカバーされて助かった、というのがすでに専らの評価。車長としての能力はあんまりないものの、戦車道ゲーム『ぱんつぁー・ふぉー!』ではその身代わり能力をイベントカード化されており、うまく使えばかなり有効なはずです。

 また、アリクイさんチームとしては、チームユニットにプラス修正の能力がちゃんと与えられてるんですねーこれ。他のチームに比べるとさすがに見劣りしますけど、こういうメンバーが揃った大洗女子はみほが語ったとおり、戦力不足を「戦術と腕でカバー」できるだけの素質をもち、実際にそれを成長させることのできた素晴らしい仲間たちだったのだな、とあらためて実感するのでした。(チームユニットの多くは大会シナリオの途中で能力向上します。)