自戒として

  昨年秋からしばらく、将棋棋士が将棋ソフトを用いた不正行為を行っているのではないかという疑惑が、さまざまに取沙汰されました。これについては日本将棋連盟公式サイトにも第三者調査委員会の調査報告書(概要版pdf)が掲載されているとおり、疑うに足る根拠はひとつもないという検証結果がすでに示されており、これを受けて今回の処分で三浦九段が受けた損害をどう補償するのかをはじめとして、あまりにも多くの課題がなお残されたままとなっています。

 その中にはもちろん、日本将棋連盟とその執行部が拙速な処分を行ったことへの責任追及・原因究明が含まれます。人によっては、問題化のきっかけを作った久保九段・渡辺竜王らに何らかの責任を問いたいという向きもあるでしょう。また、メディアの問題についてはぼくも、この問題を煽った週刊誌などのマスコミ(今後それらの出版社の発行物は一切購入しないつもりです)やその情報に半ば依拠して煽ったまとめサイトなどのネットマスコミ(今後それらのサイトは一切閲覧しないつもりです)へ思うところがあります。

 しかし、この日記でぼくが記そうとするのは、そのような他者への批判や糾弾ではなく、ぼく自身がこの問題をめぐって反省すべきことについてです。ぼくは指さない将棋ファン(いわゆる「観る将」)の一人であり、連盟発行の月刊誌『将棋世界』やNHK将棋番組を長らく楽しんでいるもののそれ以上の積極的な行動を一切とってきていません。そういう後ろ向きファンでも今回の騒動にはだいぶ慌ててしまったのですが、その慌てぶりをいま振り返ってみると、自分の判断・憶測のしかたにずいぶん危ない面があることに気づかされました。その危うさについて記すことで、三浦九段へのお詫び、将棋ファンとしての反省とともに、似たような状況下で同じ過ちを犯さないための備忘録を、ここに留めたいと思います。

 

 その危うい判断・憶測とは、今回疑惑対象とされた三浦九段と、疑惑提唱者の一人とされる渡辺竜王に対するものです。疑惑についての報道を目にしたとき、ぼくは反射的に2つの思いを抱きました。「え、まさかそんな」と「あるいは、もしかして」です。しょせんは週刊誌の報道ですから、過去の経験からしてすぐに信じるべき理由はない。しかし、ほかならぬ渡辺竜王による指摘が発端であるのであれば、逆に無視することも難しい。しかししかし、三浦九段が……? ここでぼくの中に宙ぶらりんな判断状態が生まれました。そして、どちらの側にも決定的な一押しがない段階で、ぼくはそれぞれの側の正しさを納得しやすくするための物語を、頭の中で編み始めたのです。

 ここでその具体的内容を述べることはしません。その記述自体がお二方への誹謗中傷にほかならないからです。ともかくぼくは両者の背景事情を妄想し、自分の知る範囲での情報(その真偽を問わず)をもとに理屈づけ、自分が納得できそうな物語をこしらえていきました。そして、これらのわかりやすい物語が一度できあがってしまうと、以後の追加情報を解釈するさいに必ずそのフィルターにかけてしまうという癖がつきました。それでもその妄想内容や騒動についての臆見を記すことだけはさすがに控えてきましたが、しかし頭の中ではそのつどの結論がぐるぐる渦を巻いてもいました。

 ぼくの妄想が結果的に合ってるか間違ってるかは、ここでは問題になりません。そもそも妄想である時点で無意味な内容ですから。ただ、ぼくがそういうことを考え始めてしまったという事実、ぼくがもっと冷静に判断できるときまで踏みとどまれずに自分の納得を優先させてしまったという事実、そういう弱さを自分が持っているという事実は、ここで何度でも強調しておきたいと思います。このことを忘れてしまうとき、ぼくは再び誰かの尊厳を自分の中で無自覚に踏みつけてしまうでしょうし、そんな自分のふるまいの責任を身勝手に当事者になすりつけてしまうでしょう。そういうわけで、自分にとってたいへん恥ずかしいことですが、お詫びと反省を込めて、ここに刻んでおくことにします。義憤にかられる気がしたときにこの文章を読み返すこと>自分。