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地味にコンテンツを作り続けることの幸せ

 最近話題となっていたメディアクリエイターなるものについて。ウェブでコンテンツを作りたいとか、コンテンツが主役とかいう言葉を読むと、いったいどんなコンテンツを作ってくれるんだろう、と想像したくなります。コンテンツというのは、定義としては「意味あるまとまりを与えられた情報のかたまり」みたいなものだとして、では具体的にどういう意味をもちどういう中身のあるかたまりを作ってくれるのかな、と期待するわけです。一応は。

 

 そう感じるぼくも、サイトを立ち上げたときからずっと自前の(ただし商業作品ファンダムにおける二次産物としての)コンテンツの作成・発信に努めてきた、という自覚を持ってます。その具体的なかたちは、好きなアニメ作品などについてのSS・パロディなどの二次創作、ゲーム感想、そして作品考察など。今ではこの考察がぼくのサイトの主要コンテンツになってますけど、ホームページの並びが示すとおり考察は開設当初「その他」扱いだったんですよね。

 開設した頃といえば、サイトを開いたとお知らせする前にいくつかのゲーム感想を書き上げておき、閲覧者に日記以外の読み物も楽しんでいただけるように配慮した覚えがあります。うちに来るとこういうものが読めますよ、という自己紹介でもあり、「せっかくここに来ていただいたのだから、おもてなしをしなくては」という意識の表れでもありました。テキストサイト時代のあの雰囲気のなかで、うち独自の味をまずは一口試してもらい、それが気に入ったらまた足を運んでいただきたい、というわけです。(そういうある程度の分量のあるコンテンツをまとめようとすると、ブログなどでは文字数や形式の制約があって不便です。そこで、ぼくは今でもテキストサイト時代のままに、ページをそれぞれ切り出して書き綴っています。)

 それから間もなくアニメ版シスプリの考察を書き始めたところ、ありがたいことに多くの反響を頂戴できたため、その後のコンテンツ作成の方向性がだいたい決定することとなりました。とはいえ考察一辺倒でもなく、その考察作業中に得た作品の解釈視点や二次創作のヒントなどを活かしてパロディ(アニメシリーズ妄想)やSSをこしらえたりと、コンテンツ同士をつなげて広げていく楽しみにも目覚めました。

 

 いま「楽しみ」と書きましたが、最初のアニプリ考察以来、ぼくはずっと「好きな作品について考えぬくこと」や「それについてじっくり書くこと」を楽しんできています。誰かに褒めてもらうことやアクセスを集めることもそれぞれ喜べることですけれど、何よりもまずこのコンテンツ作成過程そのものを楽しいと感じられるおかげで、ぼくは(休み休みしながら)今まで続けてこれました。

 そして、この考察というコンテンツを書き始める前と後を比べてみると、ぼくはその対象作品や登場人物や彼らの関わりあいというものを、もっと好きになることができてます。作品世界とそこに生きる人々の姿をもっと深く理解できたように思えて、作品享受に奥行きが出てきますし、登場人物をいっそう愛しく感じられるのです。この、対象作品に対する理解や愛好の深化は、ぼくのコンテンツ作成における第1の目標となっています。この目標をぶれずに置いたおかげか、ぼくのコンテンツはあくまで元の作品に対する二次的な内容にすぎないにもかかわらず、いろんな閲覧者の方から価値創出的(作品の新たな側面を浮かび上がらせるという意味で)との評価をいただいてきました。ほんと、身に余る光栄。

 しかもこの理解の深化は、コンテンツを積み重ねていくとそのぶん応用可能性を持ち始めるのですね。例えば、アニプリ考察で得た解釈視点のいくつかは、ハルヒネギまなど別作品の考察のさいにずいぶん役立ちました。また、現在書き続けているガルパン考察では戦車道の女子教育的意義や後進育成といった観点を掲げてますが、これらは「学校教育なんだから戦車道も当然そのための価値をもつはずだし、先輩後輩間での伝統の継承があるはず」という常識的判断に基づいています。この、一見異常な作品内描写も真正面から向き合ってみると意外な面白さや合理性・作品内原則を発見できるというのは、アニメ版シスプリでさんざん経験したことでした。

 もっとも、これは反面として、ぼくの作品解釈視点がパターン化・固定化するという危うさも持っています。ある程度やむを得ないことですけれど、なるべくそれを避けるために、ぼくは作品内描写をしっかり観る・聴くように心がけてます。きれいに整ったわかりやすい図式に、作品を無理矢理はめこまないように。作品内描写の細部を大切に、と。

 

 こういう考察執筆の意欲は、閲覧者の方々からの反応にも大きく支えられています。褒められたり賛同の声をいただいたりすれば「ああ、こう考えるのはぼくだけではなかった」と安心しますし、批判の言葉を頂戴すれば「なるほど修正しよう」とか「これは検討に値する批判だから反論を加筆しよう」となりますし、こいつ馬鹿だwと言われれば「わーいそのとおりー」と小躍りします。

  ただ、以前も書きましたがとびぬけて嬉しい反応といえば、ぼくのコンテンツを契機にその対象作品をもう一度観てみよう・読んでみようとされる方や、初めてその作品に手を伸ばしてみようとされる方の存在です。いやー。ほんと幸せ。ぼく自身その作品のことが好きで好きでたまらずに二次コンテンツを作り出しているわけですよ。そんなぼくのコンテンツを媒介として、誰かが作品に興味を抱いたり、作品愛を深めなおしてくれたりする。間接的に、作品への恩返しができる。この嬉しさったらもうたまらんですね。脳内麻薬がどばどば漏れだす感じ。

 正直、この快楽を知ってしまったらもう他所様のコンテンツのパクリなんてする気になりません。あるいはコストパフォーマンスからすれば(パクリは論外として)、ぼくのような長文を綴ってごくわずかな新規ファンを獲得するよりも、簡潔で印象的な宣伝ひとつで多くのアクセスや新規ファンを得るほうが効率的なのでしょう。それはそれで意味がある。でも、ぼくは自分のやり方しかできないし、こっちのほうがやりがいがあって楽しい。

 要するに、ぼくは「ガルパンはいいぞ」の根拠を何万字もかけて説明するタイプの人間なのです。実際すでに10万字書いた。でもシスプリのときは90万字を越えてた(吐血)。そして自分のその不器用さ愚直さを作品と閲覧者に向けて用いていくことは、持ち主であるぼくにしかできないんですよね。結局のところ、ここにぼくのなけなしのクリエイター魂があるのかもしれません。

 

 自分の作品解釈力が深まること、その作品の素晴らしさにもっと気づけてもっと好きになれること、閲覧者の方々が作品に触れる機会となった結果その人達が作品をもっと好きになり、そのうえぼくの気づかない新たな作品の姿を教えてくれること。これをぼくは、作品を中心とする相互贈与の循環として捉えてますが、その循環にわずかでも寄与できることが、作品ファンにとってのぼくの至福のときなのです。絵を描く人、感動を呟く人、批評する人、二次創作する人、それぞれがそれぞれの得意なやり方で迸らせた作品愛のかたちをありがたく拝見しながら、ぼくは自分のスタイルで今後も(休み休み)続けていこうと思います。